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Interview by KUVIZM #4 ハハノシキュウ(ラッパー、小説家)

ビートメイカーのKUVIZMが、アーティスト、ビートメイカー、エンジニア、ライター、MV監督、カメラマン、デザイナー、レーベル関係者にインタビューをする"Interview by KUVIZM"。

第4回は、ラッパー、バトルMC、小説家、ライター等多岐にわたって活動するハハノシキュウさんに、自らを形成したものや、それぞれの活動の背景、この10年のラップシーンについてお話をうかがいました。

【ハハノシキュウ プロフィール】
青森県弘前市出身のラッパー/小説家。2012年05月、処女作品集『リップクリームを絶対になくさない方法』をリリース。2013年09月、フリースタイルダンジョン初代モンスターDOTAMA とのコラボアルバム『13 月』をリリース。2016年11月、地下アイドルおやすみホログラムの遍歴をエモーショナルにラップした『おはようクロニクルEP』がポニーキャニオンからリリースされ、実質メジャーデビューを達成する。2017年06月、ハハノシキュウ× オガワコウイチ名義で2 枚組アルバム『パーフェクトブルー』をおやすみホログラム所属のgoodnight! Recordsからリリース。さらに、2017年12月には自身のセカンドソロアルバム『ヴェルトシュメルツ』と盟友インプロデュオHUHとの即興コラボアルバム『3年後まで4年かかるタイムマシン』をOOO!SOUNDより2枚同時リリース。そして、2019年04月には念願の小説家デビューを果たし、星海社より『ワールド・イズ・ユアーズ』を刊行する。同年の07月、その小説を買ってくれた人へのサービスを建前に、小説の宣伝ソングという本音を隠して『小説家になろうEP』をデジタルリリース。同時に自主レーベル『猫背レコーズ』を立ち上げ『懐祭り』『顔』『鼠穴』と矢継ぎ早にリリースする。9月に2冊目の小説『ビューティフル・ダーク』を刊行して間もなく、Amaterasとのコラボアルバム『エログロ』のリリースを迎える。現在、3冊目の小説を執筆中。

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-子ども時代、地元

KUVIZM:
ご出身はどちらですか?

ハハノシキュウ:
青森県の弘前市ですね。

KUVIZM:
どこの市出身であるかは、これまでも公表していたのでしょうか?

ハハノシキュウ:
はい、そうですね。青森県出身の人は"どこの市出身か?"って重要視してる人が多い気がしますね。例えば“弘前市と八戸市だったら、その違いははっきりしなきゃいけない”みたいな。

KUVIZM:
イメージ的に、神奈川県で、横浜、川崎、鎌倉、湘南……は全然違うみたいな感じですかね。弘前市はどんな街ですか?

ハハノシキュウ:
津軽半島の方、つまり日本海側なんですけど。絵に描いたような雪国ですね。青森県は青森市が県庁所在地なんですけど、所謂“じゃない方の街”で。青森市を“光”と捉えると、弘前市は“陰”ですね。

例えば、青森市の『ねぶた』は汗だくで“らっせーらっせーらっせーらー”という“あ”の母音の掛け声でアッパーなテンションで踊ったり騒いだりするんですが、弘前市の『ねぷた』は、“やーやーどー“という“ お”の母音で下がり気味、『ねぶた』と比べるとテンションが低いんです。楽器とか舞踊とかあるけど、基本的にただ歩くだけなんです。やってる側は好きでやってるんでしょうけど“しゃーねーからやるか”くらいの適温でやってる感じで。

その“たらたらやってる感”が市民の心身に根付いてる感じがありますね。勿論、やってる人たちは本気の熱量を持ってるんですけど。

KUVIZM:
シキュウさんも『ねぷた』には参加してたのですか?

ハハノシキュウ:
自分は町内会に入ってなかったんで参加しなかったですね。周りでやってる人はいましたけど、本番に向けて“ねぷた”を作ったり、練習したりで、夏休みが丸々つぶされる感じですね。
基本的に練習ってものが苦手です。

KUVIZM:
地元は好きですか?

ハハノシキュウ:
好きですね。地方から東京に来た人って“ 早く自分の街から脱出したい”みたいな。東京に行きたくて仕方なかった人が多いと思うんですけど。

主観なんですけど、弘前市の人は逆で“できれば地元にいたい”という人が多いイメージがあります。“地元に就職先がないから、仕方なく東京に行く”という人が多い気がします。僕も進学で地元を出たんですけど、地元に戻ってくる気満々でした。

KUVIZM:
地元に残りたいと思うのって居心地の良さですかね?愛ですかね?

ハハノシキュウ:
愛だと思います。余計な事を言わない人が多くて、おせっかいとか焼かない距離感があります。方言のせいだと思うんですけど。良くも悪くも論理性が欠落してるんですよね。その適当さが東京では有り得ないというか。その分、根性とか大事にしてるのは嫌だなーって思いますけど。

ここまで話したような環境下で、陰側の人の精神が悪い意味で育つ感じはありますね。シソンヌのじろうさんとか、人間椅子も弘前市出身なんですけど“やっぱそうなっちゃうよね”という感じはあります。

KUVIZM:
シキュウさんは、どんな子どもでした?

ハハノシキュウ:
小学生の頃は勉強はできたけど、バリバリ文化系で本を読んでたというわけでもなかったですね。

小学校高学年くらいのころから“なんか女子にモテねぇな、あっもしかして俺はモテない側の人間なのでは?”と思い始めて、捻くれ出しましたね。

-音楽遍歴

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KUVIZM:
音楽はどのようにして聴くようになりますか?

ハハノシキュウ:
歌謡曲の“夢”、“希望”、“恋愛”といった歌詞が嫌いだったんです。中学1年生の時にTSUTAYAの会員証を作って、音楽を聴きまくるようになりました。

一番最初はミスチル(Mr.Children)で。これはまあ、なんとなくの選択だったんですけど。『深海』(アルバム)を初めて聴いたときに“嘘臭くないな。この人(桜井さん)は信用できるかもしれない”と思いました。『名もなき詩』に「愛 自由  希望  夢」って思いっきり言っちゃってるとこがありますが(笑)まあ、とにかく嘘臭くない歌詞に出会ったのはミスチルが最初だったんですよね。ミスチルってアルバムごとにテンションが全然違うんですけど『深海』『BOLERO』は半分くらい、んで『DISCOVERY』『Q』あたりは"歌詞が嘘臭くないな"と思って聴いてました。ミスチルが“音楽の歌詞を聴こう”という意識にさせてくれましたね。

KUVIZM:
そのあとはどのような音楽遍歴をたどるのですか?

ハハノシキュウ:
世代的に、必然的に、Dragon Ashに出会ってオルタナ(オルタナティブ)を聴くようになりましたね。オルタナって言葉の意味がかなり形骸化しちゃってますが。とにかくオルタナです。

『Greatful Days』を聴いてから、スケボーキング、山嵐、ラッパ我リヤに流れていく人が多かったんですけど、自分はスマパン(The Smashing Pumpkins)や、Nirvanaを聴くようになりました。前者ももちろん聴いてましたが。

ただ最初はマッチョなHIP HOPが嫌いでしたね。

その後、バンプ(BUMP OF CHICKEN)も聴いてました。『天体観測』で売れる前の『FLAME VEIN』『THE LIVING DEAD』という作品から聴いてて。“これは俺のもの。俺だけの宗教だからお前らには聴かせねえぞ”という気持ちだったんですけど、気付いたらめっちゃ売れてましたね。

んでNUMBER GIRLとかSUPERCARとか、学校では流行ってないアーティストを聴いてたんですけど“何に自分の人生を壊されたか”というとART-SCHOOL(バンド)と『リリイ・シュシュのすべて』(映画)ですね。

当時『新世紀エヴァンゲリオン』が流行ってたけど“観てたまるか”と思って観てなかったです。代わりに『リリイ・シュシュのすべて』を観て、ART-SCHOOLを聴いて『最終兵器彼女』(漫画)を読んでました。まあ、どのみちセカイ系に毒されるという顛末ですね。ART-SCHOOLには本当にカルチャーショックを受けて“人間の不完全さ”を好きになりました。中学二年生の時に一番喰らったバンドです。初期のART-SCHOOLは、音も悪いし、歌が上手いわけでもないのですが“技術じゃない何か”を教えてくれた感じがありますね。歌詞では、もちろん夢や希望を歌わず、深い絶望とか性的な倒錯とかを表現していました。

中学校は、原付で通学するようなヤンキーがいる学校だったんですが、1週間に1回くらい“山ちゃん”っていうド不良のクラスメイトが、昼の校内放送でオジロ(OZROSAURUS)の“AREA AREA”を流していて。“これ何?めっちゃかっこいい”と思って。ZEEBRAやラッパ我リヤをすっとばしていきなりオジロにハマりました。“不良の音楽かっこいいな”と思ったのと、オジロの音楽は今聴いてもやばいし、韻も堅くてすごいなと思いますね。

中学はHIPHOPよりはオルタナ寄りでBLANKEY JET CITYだったりSHERBETSだったり、NUMBER GIRLとかbloodthirsty butchersとか聴いてました。平行線でニトロ(NITRO MICROPHONE UNDERGROUND)とか餓鬼レンジャーも聴いてましたが。

高校に入ると周りにHIP HOP好きな人が増えて。

KAMINARI-KAZOKU.を聴いたり、学校の視聴覚室でさんぴんCAMPのDVDを観たりILLMARIACHI、MICROPHONE PAGER、妄走族とか聴くようになりました。

KUVIZM:
その輪にはどのように入ったのですか?

ハハノシキュウ:
オジロが好きだったので、そこから輪が広がった感じですね。高校で初めて“Dragon Ashを通らずにHIP HOP聴いてる人たち”に出会って。“Dragon Ashを通らないでHIP HOP聴いてる人たちのほうがイケてる”っていう意識があって“ああ、俺ってだせえな”って思ったりしました。

KUVIZM:
そのとき、HIP HOP好きは周囲にどのくらいいましたか?

ハハノシキュウ:
クラスに4、5人いて。カラオケ行って“証言は誰が誰やる?”みたいな感じでしたね。

中学時代に仲良かった人たちはそのままオルタナとかロック寄りの音楽をディグってて、灰野敬二とかゆらゆら帝国を聴いてて、そっちも教えてもらったりしてました。オルタナとHIP HOP、両方聴いてるのは自分だけで高校には誰もいなかったですね。聴いててブルーハーツくらい、みたいな。

HIP HOPを聴いてる人にZAZEN BOYSを聴かせてもなんとも思わないし、そうじゃない人に、妄走族を聴かせてもなんとも思わないみたいな。で、HIP HOPとオルタナの真ん中にTHA BLUE HERBがあって。ブルーハーブは“ロックの人でも聞けるラップ”で。向井秀徳がちょうどZAZEN BOYS始めた頃だったり、くるりの岸田繁がTHA BLUE HERBを激推ししていた時期でした。なので、THA BLUE HERBは僕の中で本当バランサーって感じですね。

ファーストアルバムの『STILLING,STILL DREAMING』はゴリゴリのマッチョなHIP HOPでは当時はあまり食らわなかったのですが、セカンドの『Sell Our Soul』は人生を変えた1枚です。

当時は金もなかったし、TSUTAYAに並ばないCDもあったから、リアルタイムではなく後追いもあったし、今でも当時聴きたかったけど聴けてなかったアルバムは結構ありますね。

KUVIZM:
当時から小説も並行して読んでいたんですか?

ハハノシキュウ:
小説はそんな読んでなかったです。エロゲーやったり、エロゲーのノベルス版読んだりって感じで。あと星新一とか読んで、誰でも思うようなことですけど"自分でも書ける!"と思ってました。

自意識過剰だったんでずっと三題噺の練習をしてました。英単語の暗記用リングカードをバラバラにして、3つお題を決めて、1000~2000文字の話を書いてました。思い返すと稚拙そのものなんすけど、当時は自分で天才やんと思ってました。

KUVIZM:
それってラップやフリースタイルに活きますよね?

ハハノシキュウ:
ひとつのワード見てパッとイメージが湧きやすい感じはありますね。ライブでも3つお題もらってその場で曲にしたりとかできてますし。

-大学時代

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KUVIZM:
その後、大学に進学して変化はありましたか?

ハハノシキュウ:
大学進学については、どこでもいいから"バイトしながら卒業"できればいいと考えてました。父親が”実家が太くてバイトしたことなくて、勉強だけできる奴が一番会社で使えなかったりする”っていう考え方だったので“金がない中、4年間ギリギリの状態で生き抜く”っていう生活でした。”金の大切さを知れ!”みたいな。

大学に入ったら“テクノが好きなんだ”という人がいて“ クラフトワークとか?”って聞いたら、Perfumeしか知らなかったり。“サマソニ行ったんだ”っていう人がいて“レディオヘッドどうだった?”って聞いたら“何それ?”って言われたりして“これが世の中の普通なのか”と思いましたね。自分が思ってた普通が普通じゃなかった。

地元も趣味が普通な人はいっぱいいたんですけど、陰寄りの人に出会う機会が多かったです。でも、大学は東京が発信してる当たり前を当たり前に摂取してる人が多いのか、全然出会えなくて。

大学では今で言う陽キャのグループに入って、表向き青春を謳歌してました。どんだけ断ってもしつこく誘ってくるような人たちで、僕みたいな奴でも仲間に入れてくれたんですから、本当に貴重な体験でしたね。絶対信じてもらえないと思うんすけど『リトルバスターズ!』みたいな大学生活でした。

KUVIZM:
関東はライブもいっぱいあるし、だから上京したとかではないのですか?

ハハノシキュウ:
ライブそんな好きじゃないんですよね。疲れちゃうんです。

学生時代にART-SCHOOLのライブは観に行ったりしました。フェスに行ったりとか一丁前の楽しみ方は一通りしたかなーと思います。

-ラップを始める

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KUVIZM:
ラップを始めたのはいつですか?

ハハノシキュウ:
2005年にMCバトルが流行ってて。

そのときに初めてROYさん(環ROY)を観て“なんかサブカル側の人が一人だけいる”と思って。まあ、ただの直感ですけど。それまで“同じ感覚”を持ってる人がいなかったので、初めて“1人いた。まじか”ってなりました。

実際、ROYさんの『midnight breaking fishman』という曲でフィッシュマンズについてラップしてて"いや、HIPHOPの人は誰もわからんでしょ"って思ってました。同時に、“いていいんだこういう人。しかも不良じゃない。俺もやっていいんだ”と思って、自分でもラップを始めました。

で、フリースタイルをやってみたらすんなりできて。大学の夏休みで地元の高校の友達とサイファーをやって、誰もできないけど僕だけできるみたいな。なんでできたかは、わかんないです。

KUVIZM:
その後、バトルデビューをしたとき、緊張はしましたか?

ハハノシキュウ:
緊張はしますけど、自分がデビューした頃は、何がミスかわからない“8小節ラップできればそれですごい”という時代だったのであまりミスとかは、気にしてなかったですね。

それよりも“耳ざわり”の部分を気にしてました。

バトルイベントに行って、試合を真面目に見ないでウロウロしてると、何かを持ってる人がラップしてるときだけ体が動く(反応する)んです。フロウとか声とか、歌い出しの1秒くらいの世界で。才能の断片って言ったらいいんすかね。それを出せないと絶対に埋もれると最初から思ってて。

バトルに出る前にそこをがっちり固めてから出ようと思ってました。スポーツ的に今あるテンプレートをなぞって練習しても誰も興味を持ってくれないって確信はあったので。

あとは、オジロが好きだったから、オジロの発声を自分なりに崩したり。ラップしてる時に客席を見るやつが嫌いだから絶対やらないとか。恥ずかしいから顔を出さないようにとか。自分ルールを決めてから出ました。

MCバトルって名前を覚えてもらう場だから。商品もないのに宣伝してもしゃーないだろうと思ってたけど、とりあえず名前を覚えてもらえればいい、そのあとにどうするか考えようと思ってました。

その頃は、ずっとフリースタイルしてました。当時、車を持ってて。運転する時はずっとラップしてて。頭は24時間ラップしてた感じですね。努力だと思わず、好きでやってて。人生で飽きないものは中々ないと思ってるんですけど、フリースタイルはずっとやってました。ラップする時は、インストでも歌アリでもなんでも。流れてる音楽に合わせてやってました。最初、フリースタイルやりたての頃は、それくらいやらないと体に入らないと思います。

KUVIZM:
初戦は手ごたえはありましたか?

ハハノシキュウ:
なかったですね。最初は知名度がなかったし、名前を売れてる人のほうが有利だったし(名前がある人は補正して見られるし)“見てもらえる側”に入らないとなって思ってました。

なので“まずはベスト8に入らないといけない”と考えてました。

-ラッパーとしての転機

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KUVIZM:
その後、転機はいつ訪れるのでしょうか?

ハハノシキュウ:
UMB2008の東京予選に出たときの試合がDVDに収録されて。まあ、それがバトル2回目なんすけど。

「コントリーミキサーに突っ込んで死ね」というフレーズが今で言う“バズ”って。当時の世界は狭かったので、“腐悪(ファック、当時のハハノシキュウさんのアーティスト名)やばくね?”って、mixiとか、2chとかで言われるようになりました。クラブで声を掛けられるようにもなりました。

そのDVDをKussyさん(Fragment/「術ノ穴」主催)が見て、連絡をくれて。環ROYさんと曲を作ってたFragmentのKussyさんから連絡をもらえたというのは“わかる人にはわかるんだ”という気持ちと“狙った場所に玉投げたら、狙った場所に届いた“ 感じがしました。

その後、ラップも、就活もして、バイトも2つ掛け持ちして、死ぬかも!という時期を経験しています。

KUVIZM:
就職活動をしていた当時はどのように顔を隠していたのですか?

ハハノシキュウ:
髪が短かったのでタオルかぶってました。CIMA、S-kaineスタイルですね。

KUVIZM:
ハハノシキュウに名前を変えるのはいつですか?名前を変えるきっかけは?

ハハノシキュウ:
『リップクリームを絶対になくさない方法』(アルバム)を出すタイミングで変えました。だせぇなと思って。

-小説との交わり

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KUVIZM:
小説とはどのように交わっていくのですか?

ハハノシキュウ:
自分の中に神様が3人いて。

1人目がART-SCHOOLの木下さん、2人目が環ROYさん、3人目が佐藤友哉さんなんです。メフィスト賞を主に、ゼロ年代、2000年過ぎから売れたミステリー作家はぶっとんだ人が多いんですけど、その中の一人が佐藤友哉で。西尾維新も好きだったけどそっちはデビュー時からガンガン売れてて。

西尾維新が青森市だったら佐藤友哉は弘前市という感じですね。対比する2人がいて、陰の方が魅力的に見えるんです。

佐藤友哉の小説はめちゃくちゃで、探偵小説の体を成していないんです。なんかそれがかっけーって思って。固有名詞がめちゃくちゃ出てくるし、例えば“ スーパーカー”(バンド)が出てきます。

環ROYさんを初めて観た時と同じ感覚で、(自分は)“ 孤独じゃないぞ” この感覚持ってるの俺だけじゃなかったんだ”と思えて。

KUVIZM:
佐藤友哉さんの作品にはどのように出会ったのですか?

ハハノシキュウ:
大学生の時に、学校の講義時間を潰すために授業中は本を読んでたんです。で、図書館にめっちゃ行ってて。その中で出会いましたね。

当時、書店のバイトもしてて。先輩に1人、変な人がいて。色々教えてくれたんです。社会学を教えてくれたのもその人で。その時、ちまちま読んでたことが、今になって財産になってると感じています。

KUVIZM:
社会学はどんな本を?

ハハノシキュウ:
基本的にサブカル批評みたいな。一番有名なのは東浩紀ですね。大学時代に東さんの本を読んでよかった。まあ、二十歳そこらの人間がああいうのを読むと読んでない人を見下したくなるという欠点もありましたが。社会学では、自分の中でモヤモヤしてたものが言語化されてたんです。

エロゲーの『Kanon』『AIR』だったり、メフィスト賞だったりが全部繋がって。それからは自分が捻くれていると思うのはやめました。自然なことなんだと。“サブカル嫌いだ”っていう人は“ サブカル好きな人よりサブカル好き”なので。自分は“サブカル好き”で止めておこうと思いました

思い返すと、最初にちゃんと小説を買って読んだのはパラダイムノベルス(アダルトゲームを小説化したもの)だったんですよね。中学生の頃ですね。小説においてはあれが自分の原点です。

KUVIZM:
小説をいざいつ書こうと?

ハハノシキュウ:
小説を書くまでは苦難の道で。先ほど話した通り、自分には3人の神様はいるんですけど、そこに黒幕として保坂和志という人がいて。保坂和志の小説観は独特で。"小説とは何か、世の中で小説と呼ばれているものは、ほとんどは小説ではない"みたいな話に影響を受けすぎて。逆に“ 俺には書けない”“ 俺なんかが書くのはおかがましい”となったんです。保坂さんの言っていることを通して考えると"あのラッパーのリリックも、全部リリックではない"といった感じになるんです。

KUVIZM:
それはいつまでですか?

ハハノシキュウ:
星海社から本を出すまでですね。

-KAI-YOUの記事がバズる、そして小説家へ

プレゼンテーション1

KUVIZM:
星海社から本を出すまでの経緯を教えていただけますか?

ハハノシキュウ:
昔、個人blogをやってて。エッセイともフィクションもつかないような文章を書いてたんです。

その頃から、割と”文章うまいね”と言ってもらえてて。

「8×8=49」のロゴを作ってくれたデザイナーがたまたまKAI-YOUに就職して。その人が"なんか書きませんか?"って言ってくれて。そこから編集長とか紹介してくれて“ 文章うまいからなんか書いてみたら”と言ってもらえたんですけど、自分は文章書く才能がないと思ってたから“ 壁が高すぎる”“ おこがましい”“ 僕なんか無理無理”と諦めてたんです。まあ、結局書いたんですけど。

で、KAI-YOUさんからライターの仕事を貰えるようになった頃ですね。ライムベリーのMIRIちゃんが“『戦極MC BATTLE第13章 』に出る” ってことになって。その話を“KAI-YOUでレポートで追いましょうよ”という話になり“じゃあ、シキュウさん書いてください”となったんです。

“ 無茶ぶりだなぁ”と思いつつ、記事を書いたらめっちゃバズって。ラップより、バトルより、バズって。Yahoo!ニュースにも載ったんです。そこで“ハハノシキュウは文章を書ける人らしい”というのが世に広まって、根付いた感じはあります。

それをきっかけに、閉じ込めていた自尊心が欲を持ち始めて。こんな下手くそな文章でいいのかなと思いながら仕事を増やしていきました。

その後『戦極MCBATTLE第15章』のレポートを書いたんです。今度は、MIRIちゃん関係なく。“15章がこういう大会でした”と書いただけなのに、先に書いた13章の記事よりすごいバズったんです。アイドルという引力を抜きにして。“バトルの見方が初めてわかった”などの反響もありましたね。(自分で)認めたくないけど、周りからは(文章を書く)実力があるんだと思ってもらえました。同業のラッパーからも褒められました。僕は同業からリスペクトされないタイプなので、意外でした。

KAI-YOUでアクセス数が何週間かずっと1位とか。数字的には人生のピークでしたね。

小説家としてデビューするなら、先ほど話したメフィスト賞を講談社でやっていた太田克史がやってる星海社と決めていたんです。戦極15章の記事を書いて数年後に、太田さんの部下の方からメールがきて。

本棚の前で撮った僕のピース写真があったんですけど、その本棚に太田さんが編集した『ファウスト』という雑誌(ムック本)が並んでいて、それを見て”こいつは何だ。呼んで話を聞こう”という話になったそうです。

で、“ 文章を書けるし、書き下ろしの小説を書きませんか?”という話をいただきました。その日以降、コンプレックスが解消されました。

バトル優勝できなくても、CD売れなくても“だって俺、夢叶ったし”“プロップスなくても別にいいや”と思えるようになりました。今までの自分の価値観のパズルが、全部一個に纏まった感覚がありましたね。

大袈裟だけど武道館でワンマン決まったみたいな。良くも悪くもハハノシキュウって物語が完結したんです。

“ラップスターになりたい”と思ってラップしてる人が多いと思うけど、僕は“ラップスターになりたい”とは思ってなかったので。“何のためにやってるんだろう”という気持ちの代わりが“小説家”だったんです。

僕は小説家になるためにラップやってるんだくらいの気持ちだったので“小説家になれますよ”という話が来たから“是非お願いします”となりました。

-2010年以降のMCバトルシーンについて

KUVIZM:
ラップの話に戻りまして。シキュウさんは2010年頃よりずっとシーンにいましたが、2010年以降のシーンについて聞かせていただけますか?

ハハノシキュウ:
2009年までのMCバトルは、超能力者の集まりで。

FORKさんの押韻は真似したくてもできないとか。BESさんのフロウ。メシアTHEフライのワードセンス。言わずもがな鎮座DOPENESS超かっこいいみたいな。2009年の東京予選で晋平太さんがメシアさん(メシアTHEフライ)に負けるんですけど。

そこから1年間、ひらすら根性と努力でバトルの練習に打ち込んで、本当に2010年のUMBでチャンピオンになっちゃったんです。

その時“ああ、終わった”と思いました。晋平さんは、ネタを仕込まない即興では日本最強だと思うんですけど。“努力で優勝できる大会”は面白くないんです。僕が観たいのはアートだと。AO入試でしか大学受かんないようなやつの集まりが好きだったんです。“センター試験でガチで対策して優勝しちゃったら、それ違うんじゃないかな”というのがあったんです。2010年に晋平さんが優勝したのを見てバトルを辞めた人も多かったし、逆に晋平太の姿を見てバトル始めた人もいましたね。いわゆる平凡な人、生まれ持った強い個性がない人、色がない人が努力で自分を高めていくみたいな感じが嫌でした。いかにも少年ジャンプ的なノリというか。

晋平太が2連覇して、R-指定が3連覇して。その5年間は正直つまらなかった。つまらなかったし、そのつまらなさを変えることも出来なかった。

2015年にダンジョン(テレビ朝日『フリースタイルダンジョン』)が始まって。CHICOちゃん(CHICO CARLITO)が評価されたのはよかったと思います。CHICOちゃんは、売れるまでの距離が短くて、史上最短距離で売れた人だと思います。

あと高ラ(『BSスカパー!BAZOOKA!!! 高校生RAP選手権』)は好きでした。それまでのラップバトルとは見せ方が逆で。ラッパーはラップしている姿しか知らなかったから“ 普段どういう人か”を想像してたけど。高ラは真逆のアプローチで、普段の姿を先に見せられて、こういう人がラップしたらどういうラップをするんだろうっていう見せ方をしていて。その成長物語が面白かったです。

ダンジョンが始まった後に、KOKが始まって。アングラな、アーティスティックなバトルしようぜっていう雰囲気で。東京予選Bで仙人掌さんが優勝した時に“ アングラでディープなバトルがまた観られる!”って楽しみだったんですけど“ダンジョン”“晋平太”“高ラ”“R-指定”という要素とアングラが相容れなくて次第に薄れていった感じはありますね。MOL53はうまくやっててすごいなと思いました。

KUVIZM:
戦極MCBATTLEについてもお聞かせいただけますか?

ハハノシキュウ:戦極は理にかなっていて。正社員(MC正社員、戦極 MCBATTLE主催)がゲームが好きなんですけど。戦極は『ザ・キング・オブ・ファイターズ』で『スマブラ(大乱闘スマッシュブラザーズ)』なんですよね。

面白いやつと面白いやつを戦わせたら面白いんじゃないかっていう。脇役も魅力あるよねって、面白い組み合わせで戦わせたり。予選で優勝するほどの向上心はないけど良いラッパーってのを予選免除で大舞台に上げてくれる点は、僕としては助かってます。

-音楽性について

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KUVIZM:
シキュウさんの音楽って"オルタナ"を感じますよね。

ハハノシキュウ:
粗くて雑ですね。トラックメイカーで“オルタナやろうぜ”っていう人はいないんですけど

『Perfect Blue』(アルバム、2017年発売)を一緒に作ったオガワさん(オガワコウイチ)の“オルタナ”とは合った感じはありますね。オルタナはずっとやりたいっていうのはあるけど、本当にやりたいことはやれてないです。もっとスカスカで、もっと雑なやつをやりたいです。またはゴリゴリのシューゲイザーとか。だけど、時代と合わないし、それをやりたいというトラックメイカーと出会えてないですね。

「一番かっこいいと思うトラックメイカーは誰?」と聞かれたら。『Weltschmerz(ヴェルトシュメルツ)』(アルバム、2017年発売)を一緒に作って、ハハノシキュウバンドのドラムをやっているスズキユウスケさんです。オルタナではなくジャズの人で、音楽観が深くて。理想をふたりで合わせると衝突しそうですけど。スズキさんのトラックはマジでかっこいいです。しょっちゅう会ってるけど、今一緒に作ってる曲はないですね。

僕のスタイルは時代に合ってなくて、HIP HOPシーン的には苦しめられてる感じはありますね。今の時代は日本人の正義感みたいなものもあって“ちゃんとしてる”のが当たり前の世界なので。僕が理想としてる“不完全さ”が受け入れてもらえない時代だなと思います。

だからマジでどうしようかという感じですね。

-今後について

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KUVIZM:
今後やりたいことはありますか?

ハハノシキュウ:
やりたいこと、というかやらなければならないだろうことは“普通のミステリー小説を普通に書けること”ですね。

プロの仕事ができるようになること、プロット組んで、これ面白いからこれで進めましょうといった進め方をできるようになることですね。

あとは、きっちりとしたラップの曲を書けるようになることですね。オルタナではなくちゃんと音楽的に正しい音楽。作れないし、作る気もないんですけど。これまでART-SCHOOL文脈で作ってきたので。正しいラップミュージック、メジャーミュージックをやろうってなると“僕にはやっぱ無理”ってなりますね。

究極は、俺がボーカルじゃないアルバムを作ることで。ハハノシキュウ名義だけど、全部ハハノシキュウが歌ってないみたいな。ビートを選んだりリリックを書いたりといったプロデュースはするけど。ゆらゆら帝国の曲でもボーカルが違う人の曲もたくさんあるので。

KUVIZM:
メジャーミュージックは無理してやらなくていいのでは?

ハハノシキュウ:
このままじゃ売れないし、盤作れないし。反響がないときついので。売れなくてもいいけど黙殺されるのは嫌だって正直悩んでます。

音楽で売れたいとは思ってないですが。でも、小説なら出来そう!って思ってます。

-マザーテラスについて

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KUVIZM:
余談ですが、僕も関わることが多いので、気になるのですが、マザーテラスについて話しを聞かせてください。

ハハノシキュウ:
自分に求められてるのは『イロモノ remix』みたいなキャラソンだと思うんですけど、僕がやりたいことと違うんですよね。

でも“ミュージックとしていいよね”という曲が作れるわけでもない。ソロだと内省的過ぎてバトルヘッズの人たちからの敷居が高く思われてしまう。キエるマキュウとかTOJIN BATTLE ROYALみたいなキャラソンなんだけど格好いい!ってのがやりたかったんですよね。

それにAmaterasを付き合わせた感じですね。

KUVIZM:
Amaterasさんとはどのように出会ったのですか?

ハハノシキュウ:
ある日メールが来たんですよ。「帽子ほしいいんですけど」って。

KUVIZM:
ヘッズですね。

ハハノシキュウ:
その後、Vuenos(渋谷にあったクラブ)のバトルイベントで一緒になったんですよ。演者として。Amaterasは、慶応の高校の夏服着てたんですけど。で“前にメールしてたんですけど、一緒に写真撮ってもらっていいですか”って。言われて。ヘッズっすね。

当時は、あまり気にしていなかったんですけど。白金に住んでるって言うし、面白いことできそうな、とてつもない何かをもってるなと思ってたんです。で、Amaterasは頭がいいから、それを武器にしてU22(戦極 MCBATTLE U-22 MCBATTLE FINAL)で準優勝していたんです。

それを見て、”ちゃんとしてるな、馬鹿じゃないんだな”と思って。対等な目線で話せるようになりました。“何かと戦っている人”じゃないと同じ目線で話せない感じはあって、Amaterasは自らの力でその差を埋めてくれた感じはあります。

僕が環ROYさんに憧れたように。あいつなりに“普通にやっても面白くないですよね”って言ってて。

で、今の時代ラッパー2人が仲良くなって曲作るのは古いよねって話して。2年くらい、曲作らずに「映画作ろう」って話をしてる時期がありましたね。でも“映画作るのは無理”ってなって。じゃあ曲作るしかないよねとなって、しゃーないよねって曲を作りはじめました。

当時ラッパーの友達が少なかったので、Amaterasの存在は珍しかったですね。マザーテラスではとにかくふざけたかったので。真面目なリリックを書きたくなくて。キャラソンを作りたいと思って作ってました。

“バトルMCがバトルMCっぽい曲をちゃんとやってみよう”っていう。『空気が入ってるだけ』でも言いましたけど、男同士が集まればふざけちゃうんですよ。それに対する諦めみたいな感じですね。

KUVIZM:
インタビューは以上となります。ありがとうございました。

ハハノシキュウ:
ありがとうございました。

【ハハノシキュウ ワンマンライブ情報】

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