#132 「不便」の再発見
数年前までお茶を習っていました。
11月はお茶の世界では「お茶のお正月」とも言われます。
その年に採れたお茶を詰めた壺の口を開ける「口切の茶事」が行われるからです。
ですから、11月の前の月である10月には古い、色褪せたお茶しかありません。
その10月を「名残の時期」と言って、残った、色褪せたお茶を飲んで名残を惜しみます。
その10月があるからこそ、11月の「口切」で茶壺の口を切ったとき、新鮮なお茶の香り高さが一層際立つのです。
今では、いつでも香り高い新鮮なお茶が手に入ります。便利になって大変ありがたいことだと思う一方で、新鮮なお茶が年に1回しか手に入らない「不便」があってこそのありがたみや浮き立つような感情を失っている、ともいえるなぁ、と思うのです。
今日の新聞で、いくつかのスーパーが来年の1月1日から3日まで休業するという記事がありました。
昔は3日間はどこもお休みだったと思います。
これも「不便」ですが、年末までの慌ただしさから一転、お正月ならではの静けさを構成する要素の一つだったと思います。
昔が良かった、というのは単なる懐古趣味とは思いますが、ニューノーマル、という最新の「不便」という見方もできるかも知れません。
なにかを得れば、なにかを失う。
という言葉があります。
今は、技術が進んであれも、これも、できてしまうのかも知れません。
でも、それがかえって1つ1つの物事を軽くしてしまっているようにも思えるときがあります。
ですから、あえて、ニューノーマルとして、
なにかを失う。が、代わりになにかを得ている。
と考えて、1つ1つを大事にしていきたいな、と「お茶のお正月」に考えました。
最後までお読み頂きありがとうございました。
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