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【ホラー短編】六〇六号室(1/7)

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1/7

 裏手に回っていた婦警と男が戻ってきた。

 家の玄関前で待っていたもう一人の婦警、佐池《さいけ》永久《とわ》は、戻ってきた先輩に声をかけた。

「部長! どうでしたか」

「本当だった」

 常盤《ときわ》花切《かぎり》は制帽を脱ぎ、冷や汗を拭った。

 いつもと変わらず霧雨の降りしきる夕方。天外《てんげ》市郊外の寂れた住宅街に建つ、それほど大きくない一軒家。

 花切と一緒に家の裏手に回っていたのは小学校の教師、虻島《あぶしま》だ。この家の子どものクラスの担任を受け持っている。

 子どもがずっと休んでいるため、虻島は様子を見に訪れた。インターホンに出たのは父親で、理由をつけて子どもに会わせることを頑なに拒んだ。虻島は何かおかしいと感じた。

 そこでこっそり裏手に回り、窓から家を覗き込んだ。そしてあるものを見た。彼は恐れおののき、通報した。

 駆けつけたのが天外市警の制服警官、佐池永久巡査と常盤花切巡査部長だ。花切と虻島が再び裏の窓から中を覗き、事実を確かめてきたところだ。

 花切と虻島は顔に緊張を滲ませている。地獄でも見てきたような顔だ。花切が永久に言った。

「応援を呼んでちょうだい」

「はい」

 永久も美しい顔立ちを強張らせ、無線機を手に取った。先輩の花切があんな表情を見せるのは初めてだった。

 玄関の鍵を開く音がした。ドアが少し開き、顔色の悪い中年の男が目をぎょろつかせた。子どもの父親だ。警官二人の姿に明らかに動揺している。

「何か用か」

 花切が笑みを見せた。

「こんにちは。ちょっとお話いいですか? お宅のお子さんのことで」

「話すことはない。俺は体調が悪いんだ」

「見たんだぞ!」

 後ろにいた虻島が男を指差し、震える声で叫んだ。

「全部見たんだ! お前が自分の家族に何をしてたか!」

 男は眼を見開いた。ドアをさっと閉じようとしたが、花切が足を割り込ませて阻止した。永久が手を貸し、協力して強引にドアを開ける。

 男は逮捕に抵抗したが、体調が悪いというのは本当のようで、体力がまったくなかった。すぐに二人の婦警に組み伏せられ、手錠をかけられる。

 男は苦しげに喚いた。

「違法捜査だぞ! 礼状もないのに!」

「永久、中を見てきて! ガレージを!」

 花切に言われ、永久は家の中に土足で上がり込んだ。半地下のガレージに向かう。

 そして、永久はそれを見た。


* * *


 スマートフォンが鳴っている。

 永久は自宅のベッドで目を覚ました。夜勤明けの夕方だ。目を擦り、スマートフォンを見た。職場から呼び出しがかかっている。

(夢か)

 それは十年前の夢だった。まだ制服を着て先輩の花切の後をついて回っていたときに遭遇した事件だった。

 起き上がり、寝巻きのままリビングに下りると、食卓についた。いずれ半分眠った顔の花切が起きてきて、向かいの椅子に座る。一緒にコーヒーを飲み、食事を摂る。

 一年くらい前まではそんな生活をしていた。結婚を約束していた花切(二人とも同性愛者)が、自分の頭を撃ち抜いて自殺するまでは。

 不意に込み上げてくるものがあり、永久は涙を堪えた。

 身支度を整えると、めそめそと泣いていた永久ではなく、天外市警の刑事、佐池永久警部補となっていた。グレーのパンツスーツにトレンチコート、ごつい靴を履いた、銀髪の美女である。

 永久は家を出て自分の車に乗った。いったん署に出たあと、市内の住宅街に向かった。キャッスル南灰原《みなみはいばら》という十階建てのマンション前にパトカーが何台も停まり、人だかりが出来ている。

 永久は野次馬とマスコミの整理をしている制服警官に警察手帳を見せ、立入禁止テープをくぐって現場に入った。鑑識班がひと通りの仕事を終えたところのようだ。

 鑑識と話していた同僚の刑事、鍵崎《かぎさき》が顔を上げた。

「お疲れ様です、警部補! 話は署で?」

「だいたいはね。う~ん……」

 永久は薄手のゴム手袋を付けながら、マンションのエレベーターを見た。中は血まみれで、足が落ちていた。太腿の真ん中あたりから切断された人間の足だ。女物のパンプスとストッキングを履いている。

 その凄惨な光景を改めて見た鍵崎はハンカチで口元を押さえたが、経験豊富な永久は寝不足のあくびを噛み締めている。

「これはまた……」

 エレベーター内の壁には奇妙な落書きが描かれていた。血で描かれたようだ。「○」の下に「大」の字をくっつけたような棒人間だ。それが五つ横並びになっている。棒人間のうち三つが「皿」の字めいた檻の中に入れられた姿で描かれていた。

「これはガイ者の血で描かれたみたいね。どういう意味かしら」

「さあ……」

 鍵崎はメモ帳を開いた。

「夕方の四時半に見つかりました。ついさっきですよ。発見したのはマンションの住人です。まだはっきりしていませんが、足が切り落とされたのもおそらくその時間だろうということです」

「犯人は被害者の足を切り落として、体だけ持ち去った」

 永久は床にしゃがみ込み、血痕を調べた。

「血痕はエレベーターの中だけで、外には漏れていないわね。上の階に血痕は?」

「いえ。どこにも何の痕跡もなしです。エレベーターシャフトの底まで調べましたけど」

 永久は頭を巡らせた。

「犯人はエレベーターの中でガイ者の足を切り落とした。返り血を浴びただろうし、靴にも付いた。そして大量の血を流しているガイ者を抱えて出ていった。なのに外に血痕がない。地階《ここ》にも、上の階にも」

「大きな袋に詰め込んで行ったとか?」

「そんなものを用意するくらいなら、そもそもエレベーターの中で人間の足を切るかしら」

 二人は顔を見合わせた。

 お互い口には出さずとも〝B案件〟という単語を思い浮かべていた。

 この市《まち》では、超自然現象としか思えない事件がたびたび起きる。それらは組織内で〝B案件〟という隠語で呼ばれているのだ。B案件は警察上層部の命令で闇に葬ることに決まっている。

 刑事になったばかりの若い鍵崎は表情に悔しさを滲ませたが、永久は飄々としたものだった。

「ま、テキトーにやりましょう」

「だけど……! 誰かが死んだかも知れないんですよ!」

「幽霊を探すようなものよ。刑事より霊能力者が必要じゃない?」

 永久は踵を返し、自販機に向かった。背に鍵崎の恨めしげな視線を感じながら。

 このあと上層部は事件解決に全力を尽くすと記者会見する。頃合を見て別件で逮捕された犯罪者に罪を着せて犯人にデッチ上げるか、世間がこの事件を忘れ去るに任せる。それがB案件発生後の流れだ。

 永久がマンションの表にある自販機でコーヒーを買っていると、上司の警部が老人を伴ってやってきた。老人は興味津々といった顔であたりの様子を見回している。

「ドラマみたいだね」

 永久は老人に目をやりながら警部に声をかけた。

「そちらは?」

「枡羅田《ますらだ》区のほうでアパートの管理人をしている方だ。あー、山下さん、写真を見てもらえますか」

「はいよ」

 警部は老人に写真を見せた。鑑識が撮った、キャッスル南灰原のエレベーター内にあった例の落書きだ。実物がすぐそこにあるが、あの現場を一般人に見せるのは酷だろうと配慮してのことである。

 山下老人は老眼鏡をかけ直し、写真に目を凝らした。

「ああ、これですよ。うちのアパートのエレベーターにもありました」

 永久は警部を見た。警部は苦虫を噛み潰したような顔をした。

「今回の第一発見者がな、通報前に現場を撮影してSNSに流していたんだ。さっき消させたが。投稿を見たこちら方が通報してきたんだ。前に自分のところのマンションにも同じ落書きがあったって」

「三ヶ月前になりますか。どこぞの悪ガキがやった落書きだと思いまして。被害届けを出そうと思って、消す前に写真を撮ってね。そのまま忘れてたんです。これです」

 山下老人は封筒を開き、中から写真を取り出した。

 エレベーターの中に血らしきもので描かれた、五人の棒人間の絵である。キャッスル南灰原のエレベーターに描かれているものと同じだが、檻に閉じ込められている棒人間は一人だけだ。

 永久は受け取った写真を見て眉根を寄せた。

「三ヶ月前の落書きで檻に入っていた棒人間は一人。で、今回は三人。これが犯人の残したメッセージだとするなら、二番目のガイ者はどこに?」

「わからん。わからんことだらけだ」

 警部は首をひねり、山下老人に聞いた。

「この落書きが描かれたときに何か変わったことはありませんでしたか?」

「あー、その日にうちのアパートの住人が一人消えました」

 刑事二人は顔を見合わせた。

 警部が山下老人に聞いた。

「消えたって?」

「失踪したんですよ、突然。誰にも何にも言わんで。奥さんが捜索届けを出しとったな」

「消えたのは誰です?」

「虻島《あぶしま》徒夫《かちお》っちゅう人です。小学校の教師でしたな」

 永久は口の中でその名を呟いた。

「虻島……」

 十年前、自分と花切があの家に踏み込んだときにいた小学校教師だ。


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