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【ホラー短編】六〇六号室(3/7)

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3/7

「それから?」

「三十過ぎくらいの女と、中学生くらいの女の子。親子みたいだった。その女の子、俺にバンドエイドをくれた。俺ァそのとき、チンピラに殴られた後だったからよう」

 永久は考えた。今回の被害者は二人いた……?

「その人たちはその後?」

「マンションのエレベーターに向かった。あとは……すげえ悲鳴が聞こえて。お、俺ァ、おそるおそる見に行ったら……ああああ! ありゃあ悪魔の仕業だ!」

 男はガタガタと震え始めた。

「何を見たの?」

「見てねえ! 悲鳴がした! 俺ァ逃げ出しちまったんだ」

「女の子はどうなったの?」

「わからねえ。お、俺ァせめて、あの女の子だけでも無事だったんじゃねえかって思って、さっき見に行ったんだよ。でもあの子はいねえ! 悪魔にさらわれちまったんだ!」

 永久は思案した。言っていることが本当ならばこの男が本当の第一発見者だったわけだ。真相に繋がる当たりを引いたのか、それとも全部ジャンキーの妄想か。

 永久はキャッスル南灰原に戻り、じっとエレベーターを見つめた。あの血文字の落書きを思い出す。

(一番目が虻島で、この事件が二番目だった。一番目は一人目がさらわれ、二番目は二人目と三人目が同時にさらわれたってことだったのかも。何にせよ、虻島と母子は一体どこへ? 残りの二人は誰? 五人の共通点は……?)

 人の気配を感じて振り返った。あの失業者がおそるおそる、様子をうかがうようにこちらを見ている。

「シンセメスクはないわよ」

 永久の言葉に、失業者は憤慨して答えた。

「合法麻薬《エル》のためじゃねえや。俺はよう、あの女の子に生きてて欲しいんだ」

「そう。じゃあ、あなたを特別捜査官に任命するわ。高校生のカップルを見かけたら今と同じ話をしてあげてちょうだい」

「いいぜ。食べ物があると頭がハッキリするんだけどよ」

「あとで何か買ってきてあげるわよ」

 永久はスマートフォンを取り出し、今しがた手に入れた情報を日与と昴に送信した。

 エレベーターのスイッチを押す。地階の聞き込みを終えたので次は二階だ。籠が降りてきて、エレベーターのドアが開いた。

 その瞬間、ぬっと伸びてきた大きな両腕が永久を捕まえ、中に引きずり込んだ。


* * *


 永久は硬いコンクリートの上で眼を覚ました。

 体を起こし、どんよりと重い頭を振った。意識が濁っている。どのくらい気を失っていたのだろう。

「う……」

 鋭い痛みを感じて顔に触れると、右頬に大きな裂き傷が出来ていた。驚くほどたくさんの血が流れている。いつの間に?

(ここはどこ? 確か、エレベーターに乗ろうとして……誰かに引きずり込まれて……)

 永久はあたりを見回した。

 エレベーターホールのようだ。両側には内廊下が伸び、表札のあるスチールのドアが並んでいる。集合住宅のようだがキャッスル南灰原ではない。もっと大きくて古い。

 天井で死にかけの蛍光灯がチカチカと明滅している。

 懐を探るとスマートフォン、財布、拳銃、伸縮式警棒、手錠、警察手帳といったものはちゃんと持っていた。ハンカチを取り出して頬を押さえる。スマートフォンは起動しない。

 壁に掲示板がある。「日瓦《ひがわら》工業団地掲示板」とあった。ゴミの日や町内会の報せなどの日付はどれも何十年も前のものだ。

 エレベーターのボタンを押したが、ドアが開かない。電力が来ていないようだ。階数表示のバックライトも消えたままになっている。

 永久はエレベーターの前でしばらく考え込んでいたが、やがて内廊下の一方向へ向かって歩き出した。

 壁と天井には錆びた鉄パイプが血管めいて縦横無尽に這い回っている。その継ぎ目からはゴボッゴボッと嘔吐のような音を立てて赤黒い汚水が漏れ出していた。

 人の気配がまるでない。内廊下の窓はすべて鉄板を念入りに打ち付けて封じてある。まるで蚊の一匹もここから逃がすまいとするように執念深く。息が詰まるような閉塞感だ。

 階段で上の階層に行ってみたが、同じことだった。汚水の臭いが満ちた、無人の団地が続いている。エレベーターはどれも動かない。

(私をここに引きずり込んだヤツはたぶん、二件の神隠しを起こし三人をさらった血族。私を生かしてここへ連れて来たのは何のため?)

 今、自分は悪意を持った血族の縄張りに身ひとつでいるのだ。永久は冷静であろうと努力した。

 永久は廊下の奥にある部屋のドアが開いていることに気付いた。ホルスターから拳銃を抜き、いつでも撃てるようにすると、そのドアに向かった。慎重に中に入る。

 血まみれの食卓に目が吸い寄せられた。腐ったインスタント食品などと一緒に、杭のように大きなヒートン(*ネジの頭が輪になっている金具。壁にねじ込んで物を吊り下げるのに使う)と鎖がいくつも置かれている。どれも血と錆にまみれていた。

 バスルームから灯りが漏れている。

 呼吸を整え、銃を構えて脱衣所に入った。誰もいない。廊下に溢れていたのと同じ、赤黒い汚水にまみれた衣類が脱衣籠に一杯になっている。

 バスルームの出入り口はドアが外され、錆だらけの鉄格子が取り付けられている。その中には、中年の男がうつ伏せに倒れていた。血まみれだった。

 永久は息を飲んだ。背広姿のその男の背には、食卓にあった大きなヒートンがいくつもねじ込まれていた。ヒートンから伸びた鎖は壁に固定されていた。

(だ……誰がこんなことを!?)

 さまざまな怪事件や凄惨な現場を見てきた永久だったが、これには言葉を失った。氷のレンガを突っ込まれたように肝が冷えるのを感じた。

 男の肩がかすかに上下しているのに気付き、はっとした。死んでいない。

 永久は鉄格子に手をかけたが、びくともしない。鍵穴などもない。ぐるりと溶接されている。元から開けられるように出来ていないのだ。

「警察です!」

 永久が声をかけると、男はびくんと肩を上下させた。ジャランと鎖が鳴る。男は震える手をタイルの床につき、緩慢な動きで顔を上げた。

 永久は口に手を当てて悲鳴を飲み込んだ。男は眼と口を工業用ホッチキスの針で綴じられていた。永久の声を探すように首をゆっくり左右に振っている。

 男の顔を見て永久ははっとした。虻島徒夫。三十九歳。男。職業、小学校教師。三ヶ月前に起きた神隠し事件の一件目の被害者。三ヶ月もこんなところに……!

「虻島さん、天外市警です。聞こえますか」

 彼は血の跡を引きながらゆっくりと鉄格子まで来ると、手をかけた。

 虻島の口がもぐもぐと動く。永久はその口元に自分の顔を近づけた。綴じられ方は雑で、口をわずかに開くことが出来るようだ。

「あの子を助けてくれ」

 不明瞭だが、こんなような意味のことを言っている。

「さらわれた女の子ですか?」

「もっと下に……僕は助けようとして……あの男に……」

 虻島はずるりと床に崩れ落ちた。

「虻島さん!」

 もう返事はなかった。だが呼吸は続けている。

「必ず戻ります」

 永久は噛み締めるように言い残し、部屋を出た。

 階段に戻って何階層分かを降りると、唐突に地下駐車場に出た。ここもジャングルの蔦めいて鉄パイプが縦横に這い回っていた。

 地面のアスファルトには、ところどころ大きな穴が開いている。いずれも直径二~五メートルほどあり、アリジゴクめいたすり鉢状をしている。悪夢のような光景だった。

 ガシャン!
 駐車場の奥で何かが崩れる音がした。

 永久はそちらに向かった。天井の鉄パイプから漏れ出した赤黒い汚水が地面を伝い、穴の中に流れ込んでいる。

 廃車以外にも段ボール箱や家具類など大量のガラクタが放置されていた。物影のひとつひとつに注意を払う。緊張に呼吸が乱れ、じっとりと額に汗が浮いた。

 物音がしたあたりにたどり着いた。壊れた自転車が倒れている。自然に倒れたのだろうか。

 そのとき、永久の背後から影が差した。振り返ろうとした彼女の首に、背中側から両手がかかり、軽々と吊り上げられた。

「グッ!?」

 足をばたつかせてその手を引っ掻いたが、びくともしない。血に汚れた太い十本の指が喉に食い込み圧迫している。自分をエレベーターの籠に引っ張り込んだあの手だ!

「……!」

 永久を持ち上げた誰かはジャラジャラと鎖の音を立てながら、永久をアリジゴクめいた穴のひとつへと運んでいった。そして躊躇せず彼女をその中へ放り込んだ。

「ああああ!」

 永久は悲鳴を上げてすり鉢状の斜面を転がり落ちていった。

 とっさに伸ばした手がアスファルトの亀裂にかかり、かろうじて体を支える。落とした拳銃が斜面を滑り、穴の闇に吸い込まれて消えた。

 不安定な体勢でどうにか真上を見る。黒くて大きい、肥満体型の人影だった。顔は暗がりになっていてよく見えないが、人間ではなかった。

(血族!)

 その血族はしばらく永久を見下ろしていたが、やがて立ち去った。足音が遠ざかっていく。

 永久はどうにか斜面を這い上がろうとした。両足を宙に浮かせた状態のまま、さらに上のほうの亀裂に手を伸ばす。

 ふと、上に影が差した。

 あの血族が戻ってきたのかと思ったが、もっと小柄だった。髪の長い少女がこちらを見下ろしている。中学生くらいだ。

 虻島の言っていた子で、さらわれた母子の片割れに違いない。


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