新書『弱者男性1500万人時代』の感想文と考察ー女叩きの有無を中心にー
俺は弱者男性じゃない、いわば”仮性”弱者男性だった。なぜなら女叩きしているから。しかし強者男性でもアルファオスでもインフルエンサーでもモテてもいない件。
一読した感想としては、そもそも定義が困難を極める、「弱者男性」と言う用語に対する、様々な複雑性や多様性を包括的によく解説されていると思う。弱者男性はモテない・金がない・職がないなど、様々な要素が重なって成立するのであり、個々の欠落は、それぞれの定義となるようなイメージであろう。そこは最もだと思う。定義にここまで紙面を割く必要がある言葉もなかなかない。
その中において、筆者が最も気になったのは、いわゆる女叩きをするミソジニストは、弱者男性ではなく、弱者男性の皮を被った強者男性であるという点だ。
本文中に何度か、女叩きをしている弱者男性は、全体の2ー3%程度であり、
①そもそも女叩きすることは同じ男性から叩かれたり批判されること、
②フェミニストや女性から批判されること、
つまりは弱者男性としてなら、女叩きする層は、踏んだり蹴ったりのいわば「最弱男性」だと言うこと、
また、
③そもそも高収入、妻子持ちなどの「強者男性」が、ホモソーシャルな男性中心社会の文脈や、インフルエンサーとしての広告収入やキャラ作りのために、弱者男性に擬態して女叩きしている
点が指摘されている。
したがって、女叩きは弱者男性がしているのではない、という記述である。
だが、令和日本社会ではもはや男であるだけで損なら、男性は誰でも(批判を恐れず、性欲を制御できれば)女叩きしたくなると思うのである。
つまりは、社会生活上の、人生難易度の、格差を是正しろという叫びである。女性が悪いのではなく、ただ女であるだけで得られる利得があまりにも多すぎる日本社会であるが故に(女性の権利ばかり拡大したが男性の権利は昭和レベル)、女尊男卑社会に対して、政策的性別平等を求めるという叫びである。
日本社会に蔓延る、多種多様な男性差別・女性優遇の例(本文を参考に適宜独自追加)
男性差別の例
未婚男性が不幸度1位の他、男女交際は相対的ハードモード、自殺数多い、3K労働に従事しやすい、年金受給や所得控除上不利、発達障害リスク高い、司法上不利(加害者として見られやすく被害者になりやすい)、女性と比べて、年齢が上がっても、むしろ上がるほど、一番かわいそうと思ってもらえない(周囲の心証が悪くなる)、etc……枚挙にいとまがない。
女性優遇の例
恋愛・結婚市場においてアルファオス以外の9割に対しては、圧倒的強者・受け身でただ選ぶ側、弱者として認定されるがゆえに常に強者(日本では)、風俗需要多数あり勤務要求スキル含めてイージーモード、セーフティセットであるNPO法人は男性はゼロだが女性は超充実、主婦という合法ニートが許される、減刑・被害届受理・不満の表明イージー、服装髪型男性より自由、競争圧より少なく、女性同士のうわべだが実行力もある連帯・協力を受けられ、人間関係のつながりが老後まで途切れずソーシャルキャピタルを維持できる、労働の有無含めて多様性が許されるetc……やはり多い。
令和日本女性は優遇のガラスの下駄を自覚し、行政や令和社会は、優遇しすぎた女性の権利をある程度抑制しても、アルファオス・強者男性以外の、弱者男性優遇に向かうべき
読後考えた結論としてはこれである。
結局のところ、あまりにも続く総合的女性優遇社会日本に対して、男性ももっと優遇してほしいという叫びが、女叩きに繋がっているとしか思えない。
本文中では、女叩きするのは、言うなれば「女が出しゃばってくるのを許さない」富裕層とか強者男性という話があった。だからこの感想文を書く筆者の立場も表明しておくと、確かに明日の生活も困難な貧困層ではないが、かといってもちろん富裕層ではない(そもそも富裕層といえば、金融資産1億円超えという認識である)。年収は確かにいわゆる4桁はあるが、かといってそれが多いとはまるで思えないし、幸福に繋がっているとも思えない。金の効用は頭打ちになるからだ。極論、金があっても使わないと何も意味がない。
もはや女性の権利を制限するまで、男性よりも生きやすくなっていることが問題なのである。以下でその根拠をもう一度検討する。
経済活動における主なターゲット層が女性であることは、資本主義社会の原動力を女性の選好に委ねることにつながる
さて、こうした女性優遇の現状は、金を払っても改善できるものではなく、司法の女性優遇による従来型のメディア・マスコミにおいて、また経済市場において需要と供給におけるバランスで女性の選好が主体となり、女性の意志そのものを尊重する優遇政策が続いているようなものであり、それが現代社会の空気感や風潮を形成し、特に男性が世間に対して堂々と言えないことがその象徴である「女尊男卑社会」を象徴しているように思う。
男性はまともにメディアマスコミに触れる時間がないほど、女性よりも平均的相対的に長時間労働にさらされていて、尚且つ女性が財布を握っている場合が多いので、女性の消費性向が尊重され、まともに男性側が消費もできない社会という訳である。女性は合法ニートの主婦という手段でいくらでも消費者の中心でいられる時間が長く、クレームもつける潤沢な(暇な)時間もあり尚且つ意見が通りやすい。もちろん老人もそうだが、そこまでの気力は残っていないことも多い。
つまり、令和新男性も女性の「人生イージーモード」に激しく嫉妬するべきだと思うのだけど、なぜ嫉妬しないか?
本文中においては、この女性優遇社会を象徴するようなワードである、「人生イージーモード」が登場しなかったように思える。
ただ女性であるだけで上記の優遇が得られるのに、なぜ世間の男性はそれに嫉妬したりそこから女叩きしたりミソジニーに辿り着かないのか。
それは、むしろ男であることで得をしている、恋愛強者男性が予想以上に多いともいえる。男でいてあまり損をしているという感覚がないのだろう。それは従来型の日本男性規範の中で生きることに苦痛を感じにくいということであろうか。
つまりは弱者男性とは様々な属性を包含した定義であるが、結局のところ、令和日本社会において、男性性規範として求められる物事に苦痛を感じる男性は、多かれ少なかれ弱者男性なのかもしれない。
女叩きとは、インフルエンサーの小銭稼ぎでなければ、本質は嫉妬と羨望であり、ただ赤ちゃん部屋を持たずに生まれた逆エディプスコンプレックスを感じざるを得ないような、男性不利の令和日本社会に生まれた不幸を呪う感性を持つものだけが感じ取れる、多数派の非弱者男性は感じ取れない、女性自身も感じ取れない、弱者男性だけが外すことのできた無知のヴェールに隠された不平等条約に対する反逆なのである。
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