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ささやかでいて、やくにたたないこと

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ささやかで、役に立たないことです。
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リーゼント教官

リーゼント教官

花粉の季節になると自動車教習所を思い出す。
高校を卒業して、短大に入るまでの一か月の間に自動車教習所に通っていた。僕の教習の時は必ず同じ教官の人がついてくれた。四〇代のひょろっと細いおじさん教官で、小さなリーゼントを頭にのっけていた。リーゼントをのっけているので、怖い人なのかと思ったが教官はいつでも風にそよぐシロツメクサくらい優しかった。緊張してこちらが焦って確認を怠ったりしてしまっても
「大丈夫

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おまけコロッケ

おまけコロッケ

そこで肉を買うと、竹皮にくるんでくれるのが好きだった。
以前住んでいた家から歩いて五分ほど、隣にお豆腐屋さんのある、古民家のような時間の重なりを感じさせる肉屋だった。
手首のところが絞ってあるシミの着いた割烹着を着たひょろりと背の高いおじいさんと、こちらも揃いの割烹着を着た、腰の曲がって肉の陳列してあるショーケースカウンターから鼻から上だけのぞかせているおばあさんの二人でお店を切り盛りしていた。お

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瞬間移動店員くん

瞬間移動店員くん

おじさんがブちぎれていた。
店内にあるものすべてが怖い安さでおなじみのスーパーの一角のレジ。ピンクのポロシャツに眼鏡の小太りのおじさんが絵に描いたような青筋をたててどなっている。
怒声の先にいるのは、前髪がバンプオブチキンのボーカルのように目を覆い隠している店員の男の子。
僕はその店の五円コピーを利用していて、用紙が切れたので足してくださいと頼もうかなと思ったところだった。
「俺が間違ってたの?あ

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ケバブ

ケバブ

ケバブが好きだ。薄っぺらいパンのような生地に野菜やらローストされた肉やらがギュウギュウに詰められる。スパイスの利いた甘辛いソースがかけられて、それを口の両端につけながら頬ばる。絶対きれいに食べることは出来ない。それも含めてケバブが好きだ。

阿佐ヶ谷にあるケバブ屋さんにその当時付き合っていた恋人と行ったときのことだ。
道を歩いていたら突然、店の中からどこの国の人なのかわからないおじさんに声を掛けら

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はげまし登山

はげまし登山

人を励ましてしまった。励ますのが悪いということではなくて、別に励まされる筋合いはなかったりするのに、勝手に励ましてしまう。申し訳ないなと思う。よく考えた末の結果なら、それでいいんだろうし、何かを変えたり違う場所に行くことは悪いことでないのに。
励ますということについて考えると思い出すことがある

子供の頃どこかの山に両親に連れていかれた。どこの山なのかは今となっては全くわからないけれど、山頂付近、

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走ること

走ること

最近はよく走っている。前までは近所の川沿いの決まったルートを走っていた。
ある日ふとここを走らなきゃいけないわけじゃないよなと思い、それからは適当に見つけた道を走るようになった。
迷子になるかもしれなかったけど、迷子になることが少し楽しみでもあった。大人になったらもう迷子もおねしょもできない。

迷子もおねしょもしないほうがいいのかもしれないけど、してしまったときのあの感じが失われてしまったのは実

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エイプリルフールでしたね

エイプリルフールでしたね

嘘がよくわからないときがある。嘘というか冗談を真にうけてしまう。
疑り深い性格だから信じてない人のことは、かなり本当らしくても疑ってかかるが、近しい人だと良く考えたら全然嘘だろうということをあっさり信じてしまう。

保育園でバイトしていた頃、営業時間の最後までのシフトに入っていた。18時過ぎるとほとんどの子は親の迎えが来ていて残っているのは一人とかになる。その時残っていたのは一人でも遊べる子で、僕

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テンをまってた夜のこと

テンをまってた夜のこと

テンはいつも夜の九時頃現れた。
今から五年ほど前に、床も天井も壁も何もかもが薄い家に住んでいた。
冬の朝、目が覚めると息が真っ白で、ほとんど外と同じ気温だった。雨に濡れないほぼ外だ。夜な夜な上の階に住む人のおならも聞こえてくる。そのぶん家賃も安いボロアパートだった。
部屋に入って道路に面した正面と、隣の家の塀に面した左側に、開ければ腰掛けて足を乗せられるくらいの窓があった。道路側はすりガラスほとん

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イチカワ先生か、バチカワ先生か

イチカワ先生か、バチカワ先生か

 小学三年生くらいの頃、林くんという男の子と仲が良かった。校内を手を繋いで歩くほどのべったりさだった。
 小川のようなサラサラな栗色の髪の毛を揺らし、赤いほっぺでよく笑う可愛いらしい男の子だった。サッカー少年で広島に住んでいるのにジャイアンツファン。クラスに他にも彼と仲のいい子はいたと思う。なのに、どうして彼が僕とあんなに一緒にいてくれたのかはよくわからない。とにかく彼とはずっと一緒にいた。
 あ

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無駄なことについて

無駄なことについて

僕の父親は山から落っこちて死んでしまいました。父を谷底から救出するために救助隊のヘリが出動してくれて僕はネット経由のニュースで吊り上げられる父が入っているであろうオレンジの袋と、どこかに着地したヘリの窓から懸命な心臓マッサージをする隊員の方の上下するヘルメットを見ました。

その救助による金銭の請求は一切ありませんでした。捜索が難航していたら一日何百万と言う単位のお金がかかっただろうと言われました

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親父が死んで僕は分裂

親父が死んで僕は分裂

内省的でモラトリアムなものが僕の性質で、僕自身もそういう作品に触れることを愛していたし、造ってきた。でも父親が死んだとき、そういう自分自身を形作ってきた部分と分裂した部分が出来た。人は突然死んでしまうし、それは仕方がないし、不幸ではあるけど不幸な側面だけではないし、なによりいつまでも悲しんでいるわけにはいかない。生きている人は生きていかなくちゃいけない。悲しみは、悲しいときにだけそこにあるわけでは

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雲のかげ

雲のかげ

雲たまに思い出してしまう変な記憶がある。
僕は小学校低学年くらいで実家の台所のテーブルで母親と向かい合わせに座っている。なにかジュースのようなものを飲んでいて、夕方の少し前くらい。母親の後ろの小さな窓からはやわらかく日が差し込んでいる。

母親は僕を見つめていて、何で見てくるんだろうと思いながら僕はジュースを飲む。
彼女は目をつむって何か考え事をしたりもする。唇から少し歯を出して右手の中指の背を当

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「かわいい」は褒め言葉か

「かわいい」は褒め言葉か

かわいい。こんなこと自分で言うのはちょっとはばかられるような風潮があるけど気にせず言うと僕は子供の頃とてもかわいい男の子だった。小柄で童顔、黒目がちで笑うと綺麗に両側にそろったえくぼが現れる。くるんとカールする癖のある前髪、髪も長くて女の子とよく間違えられた。

「かわいい、かわいい」とよく言われていた。自分では自分のことをかわいいと思わなかったが、「かわいい」と言われることはわかっていたので、そ

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人に迷惑をかけない

人に迷惑をかけない

新宿の東南口の大きな階段のたもとに酔っ払ったサラリーマンのおじさんが寝ていた。
倒れてるといってもいいほどに大の字だった。誰も近寄らない。一人の外国人の男の人が「大丈夫?」と声をかけ抱き起こした。おじさんは「ほっといてくれ」と言って立ち上がり、どこかに行ってしまった。

外国人の男の人は「どうして誰も助けないの?」と周りにいる人たちに呼びかけた。僕も何もしなかった一人だ。
若い男が彼に親指を立てな

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