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「かわいい」は褒め言葉か

かわいい。こんなこと自分で言うのはちょっとはばかられるような風潮があるけど気にせず言うと僕は子供の頃とてもかわいい男の子だった。小柄で童顔、黒目がちで笑うと綺麗に両側にそろったえくぼが現れる。くるんとカールする癖のある前髪、髪も長くて女の子とよく間違えられた。

「かわいい、かわいい」とよく言われていた。自分では自分のことをかわいいと思わなかったが、「かわいい」と言われることはわかっていたので、それを利用していた自覚もある。だから「自分がかわいいということに自覚的でそれで色々なことを許してもらってきた」感じの女の子の「許されるでしょ?」感が苦手だ。自分もちょっとそうだったから「その手は食わないぞ」と思ってしまう。それは関係ない話。

僕は昔から卑屈で斜めに世界を見ている傾向があったと思う。皮肉っぽいこともいうし、人のことを嫌いになることだってあった。でも僕を「かわいい」という人はそれを許さなかった。許さないというか、僕のそういうところを見て勝手に失望していた。そういうところも僕なので失望されてもと思うが。その人たちは僕にかわいくあることを求めた。

オーストラリアに行ったとき赤ん坊のことを「かわいい」(キュート)ではなく「美しい」(ビューティフル)ということに驚いた。そしてかわいいというのは自分より弱いものに、あるいは弱くあってほしいものに使うんじゃないかと思った。

そうじゃない時ももちろある。本当にキャッチーで、ポップでいい意味のかわいいも存在すると思う。でも相手のパーソナルな部分無視で、物事に必ず存在するマイナスな部分を受け入れない「かわいい」も存在する。「かわいい」ということを売っているアイドルはいいと思う。そういう人たちに対しては売っているんだから褒め言葉だろう。「かわいい」ということを目的に作られてた商品や宣伝に対しても褒め言葉だろう。それを目的におしゃれしてきた人や、恋人を本当にそう思ったときも褒め言葉だと思う。でも全ての「かわいい」がポジティブじゃない。

それを求めていない人にとっては、余計レッテルを張られるのは迷惑な気もする。利用したこともある自覚があるのでなんともいえないけど、正直ちょっと見下されてるというかあなたより弱いものだと思われてるのかな、とか真面目に話してるのにそんなこと関係ないだろと思うことだって結構あった。
いちいち怒ったりはしないけど「かわいい」は褒め言葉じゃないときもあるよね。という話でした。

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