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感情ってなに
こんにちは! くるくるぼっちです。
今日はAIについて調べてましたが、その中でも、人工知能は感情を持てるのか? という話がとても面白かったので紹介します。
「感情」の概念は国によって違う
そもそも「感情」ってなに? 「持つ」ってどういうこと?
ここら辺の定義によって、結論は変わってきます。
そもそも、「感情」も「人工知能」や「知的」などと同じく、多くの分野で多くの研究者が取り扱っていて、簡単には定義できません。
そして、論文の翻訳問題です。
仮に、海外で感情についての論文が発表されたとしても、直接読んで概念を理解できる人は良いですが、翻訳するときに文化や宗教観の違いで印象が変わってきてしまいます。(いつも言語問題になるとここに行き着くよね)
例えば、
「happy」は日本語の「喜怒哀楽」の「喜」?「楽」?
どっちですか??
どの言語においても、感情を表現するのに、
「楽しい」「嬉しい」よりも
「悲しい」「怒り」と
マイナスな印象を持つ言葉の方がはるかに多いのだそうです。
なぜなら、私たち人類が進化する過程で、命を守るために、
マイナスな状況から脱することを最優先事項とした結果だと考えられます。
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ロボットに感情は必要?
『感情』って何??
コンピューターに『感情』って必要?
![](https://assets.st-note.com/img/1671515991513-ml6stkUsRd.jpg?width=1200)
こういうテーマはいつの時代も普遍的なのでしょうか。よく耳にします。
感情は、論理的、合理的判断にはとても邪魔になります。
私たち人間が感情の奴隷になると、適切な判断ができなくなり思う様な結果が出せなくなります。
感情が合理性を越える時
じゃあ、感情が活躍する時ってどんなとき?
それは、論理的で合理的な判断を一脱する時なのです!
火事場の馬鹿力
「火事場の馬鹿力」という言葉があります。
普段私たちは、自分の体を守るために危ないことはしない様、自分で自分の行動を制限しています。
猛スピードで自転車で坂道を下りたいけど、転んで怪我したら危ないからブレーキかけよ、とか。
この制限・リミッターを緊急事態の際に、解除する装置があります。
それが「感情」です。
例えば、火事が起こっているところで、子どもや愛するひとがまだ中に残っているとします。愛する犬さんや猫さんでもいいです。
その時あなたはどうしますか?
きっと、自分の命が危ないと分かっていても火の中に飛び込み、助けようとします。論理的に考えれば、自分の命が危ないのでまず、そんな行動は選択しません。
普段なら逃げるはず!
しかし、『感情』はその論理的な考え方をあっという間に覆す力を持っているのです。まさに火事場の馬鹿力。
これが、論理的で合理的な判断を一脱する時に活躍する「感情」です。
緊急事態の際に、リミッターを解除する装置です。
戦争
火事場の馬鹿力は、感情が論理や合理性を一脱したわかりやすい例ですが、他にも人間、なんでそんなことするんだろう。ってことがしばしばあります。
戦争もそのひとつです。
感情の一脱が、負の方向に働くと、人間は、『戦争』という非情な行為に走ってしまうのです。
まとめ
人工知能は感情を持てるのか。
そして
ロボットに感情は必要なのか。
『要るか』『要らないか』の二択なら、私は『要らない』と思います。
それは、ロボット(人工知能)の利点ってやっぱり合理性にあると思うからです。
ただ、人工知能 VS 人間 のように対立構造を作って、単体で考えなてもいいかなと思います。
それは、お互いがいて成り立つ存在だから。
これは人間同士の関係でも同じことが言えると思います。それぞれの得意分野を活かし助け合って共存する。個々の能力が低い人間だからこそ出来る特技です。
ロボット(人工知能)との付き合いも同じと思います。
コンピューターに感情はなくとも、人はモノに感情を抱きます。
自分の車が可愛いとか。名前をつけたりとか。
自分のパソコンが可愛いとか。
aiboに感情を抱いたり、
モノに恋愛感情を持つ人もいます。
キャラクターに愛を抱く人もいますね。
私はよく、モノを擬人化してみることがあります。
モノはモノのに、どっか補完してそのものがあたかも生きているかの様に脳が錯覚する。
そいういう人間の脳の仕組みはもしかしたら、
コンピュータ自身に感情がなくとも、「ある様に感じる」人間側の気持ちでなにか補完できる気もします。
人間とは面白い生き物です。
コンピュータは人間が制御できるものである。
感情は制御できないものである。
コンピュータが感情をもつことは人間にとって脅威か?
つまり制御するために作ったものに制御できない要素を入れるって、普通に考えるとおかしいですよね。
ロボットに感情は入れなくてもいい。
その代わり、感情に近しいものであって感情ではないものを入れるといいんだと思います(友達とそんな話をしていてとても盛り上がったよ)。
ということで、最初の問いに対する私の考えは、
ロボットには、人間が彼ら(ロボット)に感情があるように錯覚する、プログラムを組み込む。
そして、ロボットをつくるならなるべく抽象的かもしくは、生物とかけ離れたものにするとよいと思う。
人は近しいものが並ぶと、相違点を探し始めるでしょう。脳みそが、自動操縦で間違い探しを始めるみたいな。
そうすると、本物とすごく似てるけど、何か違うでもなにが違うのかわかんない! なんか気持ち悪い……。となってしまう。
例えば、むかし、リアルすぎるって話題になったゲームがあったよね。あの時感じた違和感みたいな。
だけど、人は擬人化をすることができる。
モノに愛情を持ったり、感情を抱くことができる。
ロボットが生物に近づかなくとも人間側で補完することができる。
全てが本物である必要はなく、見えない部分の空白に、人は好きに想像する。それは、それぞれの過去の記憶や、体験から導き出された個人特有のものである。だからこそ、そこに愛情が芽生えるのじゃないのかなーと思いました!
おしまい
資料
ポッドキャスト
妹とポッドキャストやってます。人生に暇ができたら少しのぞいてみてください。くだらない日常会話です。
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