連続ショートショート小説 『Show must go on』
Show must go on──何が起きようとも、舞台は続けなくてはならない、という意味。転じて、どんなアクシデントにもめげずにやり続けるべし、というビジネス格言にもなっている、イギリスのことわざ。
Show must go on Part1
──今日も芝居の幕が上がる。舞台が明転し、役者が最初の台詞を口にする。いつもの通りに始まった舞台を、私は袖から見つめていた。
劇団「櫂船《かいぶね》」、私はその舞台監督。
たとえ親が死んだとしても、役者は舞台に出なければならない──それと同じに、たとえ何が起ころうともこの芝居の幕を上げ続ける、それが私の仕事であり、重大な使命である。
「舞台監督《ブカン》さん、ちょっと」
異変が起きたのは、前半の山場に差しかかったころだった。小声で呼びかけてきたのは、受付のスタッフ。どうした、声を殺して問い返すと、
「NASAの発表によると、隕石らしきものが日本に落下し、北海道の道北地域と千葉が滅びたそうです!」
「なに?!」
「それも、日本だけじゃありません! 世界中で同じような事件が発生しています! しかも隕石は複数落下予定ですが、詳細な位置はパニックを恐れてか、発表されていないんです! もしかしたら、この劇場に落ちるかも……!」
どうしましょう、青ざめるスタッフに、「そんなことは決まっている」、俺は小さくそう言うと、静かに舞台に目を戻した。
The show must go on──たとえ外で何が起こったとしても、芝居の幕は決して下ろしてはならないのだ────。
Show must go on Part2
──北海道の一部と千葉は滅びたが、芝居の幕は上がり続けている。
舞台は早くも中盤に差しかかったころだった。私は、いつも通り最高の演技をする役者たちを、舞台袖から見つめていた。丸三ヶ月もの稽古の結晶。それが今この瞬間、目の前にある。この芝居は「劇団櫂船《かいぶね》」の皆が、命をかけて打つ公演。
皆、たとえ親の死に目に会えなくても、舞台に立つという覚悟でこの場所にいるのだ。そしてそんな彼らに、舞台監督である私にできることはただ一つ。それは、この芝居の幕を最後まで上げ続けることだ──。
「舞台監督《ブカン》さん、何かヤバいです……!」
一旦、外に戻ったはずの受付スタッフが戻ってきたのは、その直後だった。どうした、声を殺して問い返すと、
「さっき北海道と千葉に落ちた隕石ですけど、あれはただの隕石じゃなかったらしいです!」
「なに?!」
「隕石には未知のウイルスがくっついたみたいなんです! それで、そのウイルスに感染した人間がどんどんゾンビ化して、町の人間を襲い始めたって!」
ドン、ドン──そのとき、私の耳に低い音が聞こえた。
「まさか──」
「そのまさかなんです! もう既にゾンビたちはこの劇場まで迫っていて……!」
私は最後まで聞かずに舞台裏のドアに駆け寄ると、両手でそれを押さえた。ドアの隙間から、人間のものではない腐った目が垣間見える。ひどい臭いが鼻をつく。
しかし、私は全身の力を込めて、そのドアを押さえ続けた。
The show must go on──たとえ外で何が起こっていたとしても、芝居の幕は決して下ろしてはならないのだ────。
Show must go on Part3
──北海道の一部と千葉は滅び、ゾンビ化した人間たちがこの劇場に押し寄せてはいるが、芝居の幕は上がり続けている。
舞台はそろそろ後半に差しかかったころだった。
私は、ドアから侵入しようとするゾンビたちを必死で押し返しながら、舞台裏まで響く役者たちの台詞を聞いていた。
灰皿を投げられながらも耐えた、汗と涙の日々。美術と照明の意見が合わず、徹夜で話し合いをしたあの日々の結晶が、いま花となり、咲き誇ろうとしている。
この芝居は「劇団櫂船《かいぶね》」の誇り。たとえ親の死に目に会えないとしても、皆、この公演にすべてを賭けている。そして、舞台監督である私の使命は、この芝居の幕を最後まで上げ続けることなのだ──。
「舞台監督《ブカン》さん、私、もう……!」
ゾンビがなだれ込もうとするドアを、共に押さえる受付スタッフが音を上げたのは、10分ほど後のことだった。
「何を言う! 俺たちがここで押さえなければ、誰が舞台を守るというんだ!」
汗を滴らせ、それでも声を押し殺して励ますと、
「でも私、もう……」
彼女の力がふっと抜けた。と、思った次の瞬間、
「あああああああっ!」
苦悶の声を上げ──その肌が青黒く変色していく。未知のウイルス、人間がゾンビ化するという恐ろしいウイルスが、とうとう彼女にも感染したのだ。
「や、やめろ!」
人間の意志を失い、襲いかかってきた彼女に、ドアを押さえる手が緩む。途端に、力の均衡が崩れ、開いたドアから次々にゾンビが侵入してくる。私をぐるりと取り囲む。
「くそ……」
私は腰袋からバールとかなづちを抜き、牽制するように両手で構えた。
それでも襲ってきた一体の頭部にかなづちを振り下ろす。二体目の首をバールで飛ばす。三体目のみぞおちに蹴りを決める。ピチャッ、腐った汁が頬に飛ぶ。
少しは考える頭があるのだろうか、残りのやつらがうなり声を上げてこちらをうかがう。
「さあどうした……早くかかってこい……!」
彼らを舞台に行かせてはならない。私はぐいと頬を拭うと、ゾンビを睨みつけた。
The show must go on──たとえ舞台裏で何が起こっていたとしても、芝居の幕は決して下ろしてはならないのだ────。
Show must go on Part4
──北海道の一部と千葉は滅び、私は舞台裏に侵入したゾンビとの戦いを続けてはいるが、芝居の幕は上がり続けている。
舞台はクライマックスを迎えていた。
私は襲いかかってくるゾンビを、かなづちとバールで倒しながら、客席の感動を感じとっていた。幾つもの伏線が重なり合い、導かれたクライマックスに、誰が涙せずにいられるだろう。
この芝居は「劇団櫂船《かいぶね》」が贈る、最高傑作。
たとえ、親の死に目に会えなくても、この芝居を最後まで演じることが、役者の使命。そして、舞台監督である私の使命は、この芝居の幕を最後まで上げ続けることなのだ──。
ギャアアッ、最後の一体を倒し終えると、私は舞台袖に走り、芝居が滞りなく続いていることに安堵した。体中がゾンビの汁でべとついている。あの受付スタッフと同じように、私もそのうちゾンビに変わってしまうのだろうか?
「いや、この芝居が終わるまでは、ゾンビになんかなれるものか……!」
私がこぶしを握りしめたときだった。舞台照明がチカチカと予定外の明滅をした。胸騒ぎがし、照明オペレーターのほうを見ると、彼はなぜか驚いたような表情で客席の天井を指さしている。
「どうしたんだ!」
オペ室へ走り、声を押し殺して尋ねると、
「舞台監督《ブカン》さん……あ、あれは……」
オペレーターの視線をたどると、客席の上の空間が微かに揺れている。そして、それは突然ぐにゃりと曲がり、中から大きく真っ赤な口が現れた。
「我が名は四次元大魔王……この世界のすべてを四次元の彼方へ葬ってやろう……!」
と、四次元大魔王を名乗る輩が言い終わらないうちに、私は音響のオペレーターに指示し、舞台の音楽を上げさせる。
大きくなった音量で、どうやら客は何も気づかなかったようだ。よかった──私は安堵しながらも、歪んだ空間に現れた「四次元大魔王」を睨みつける。
「北海道や千葉が滅びたのは、あいつのせいか……!」
「え? 北海道と千葉が滅びた?!」
照明と音響のオペレーターが同時に声を上げるが、私は意にも介さない。なぜなら、私の頭にあることは一つだけ。そして、それは例え四次元大魔王に邪魔されようとも、未来永劫変わることがない。
The show must go on──たとえ四次元大魔王が世界を飲み込もうとも、芝居の幕は決して下ろしてはならないのだ────。
Show must go on Part5
──北海道の一部と千葉は滅び、ゾンビの汁まみれになった私は、四次元大魔王との対峙をしているが、芝居の幕は上がり続けている。
舞台はそろそろ終わりに近づいたころだった。
ゴオオオオ、私は劇場を飲み込もうとする四次元大魔王に抗いながら、舞台上の役者たちを見つめていた。芝居が終わりに近づくとき、我々は長年の友との別れのような、そんな胸が引き裂かれるような気持ちを味わう。
この芝居は「劇団櫂船《かいぶね》」の歴史に刻まれる、たった一つの演目に過ぎないかもしれない。しかし、ここには、たとえ親の死に目に会えなくても、この芝居を最後まで演じ切ることだけを考える役者とスタッフがいる。
だからこそ、舞台監督である私は、この芝居の幕を最後まで上げ続けなければいけないのだ──。
「ハッハッハ、たかが人間ごときが、この四次元大魔王様に逆らうなど、笑止千万! すべてを一呑みにしてくれるわ!」
ダイソンよりも強い吸引力で、四次元大魔王がその真っ赤な口を開く。その口の中に、劇場の壁が、椅子が、そしてお客さんたちが次々と吸い込まれていく。役者たちは芝居を続けてはいるが、踏ん張っているのがやっとのようだ。
「くそっ、どうしたらいいんだ!」
私はこぶしを握りしめ──はっとあることに気づき、オペ室を飛び出した。
「舞台監督《ブカン》さん!」
オペレーターが慌てた声を上げる。
「オペ室は任せた! 私はあいつを止めに行く!」
私はそう言い残すと、舞台袖へ走った。
そこには、幕がある。この芝居が始まったときに上がり、終わったときに下ろす幕だ。私はその巨大な幕を外すと、四次元大魔王めがけて放った。
「ハッハッハ……むぐっ、むがっ、もごっ、な、何だこれは……い、息が……!」
四次元大魔王が苦しみの声を上げる。
どんなに強い吸引力を持つ掃除機でも、カーテンや布系のものを吸い込むと自動的に止まってしまう──私は長い舞台監督経験から、そのことを知っていたのだ。
「うっ、ま、まさかっ、四次元大魔王ともあろう者が、に、人間に負ける……など……!」
スゥゥゥゥゥン。ダイソンが止まるような音を立て、四次元大魔王は徐々に小さくなり──そして、消えた。
空間は元通りにふさがれ、オペ室の二人が、私に向かって親指を立てる。私もそれに応え、舞台袖でゆっくりとうなずいた。
The show must go on──四次元大魔王に勝利した私たちの芝居は、このまま最後まで幕が下りることはないのだ────。
Show must go on Final
──北海道の一部と千葉を含む世界は滅び、ゾンビの汁まみれになったものの、四次元大魔王との戦いに勝利した私たちの芝居の幕は上がり続けている。
舞台上では最後の台詞がつぶやかれたところだった。ゾンビの残骸が飛び散り、幕のなくなった舞台袖で、私はほっと安堵の息をついた。
「劇団櫂船《かいぶね》」の公演は、今回も無事、終焉を迎えた。
この劇場以外の世界は滅び、役者たちは本当に親の死に目に会えなかったが、彼らはこの芝居を最後まで演じ切った。そして、舞台監督である私も、ようやくこの芝居の幕を下ろすときがやってきたのだ──。
「舞台監督《ブカン》さん! 幕が、下ろす幕がありません!」
そのとき、舞台装置担当のスタッフが慌てたようにやってきて──ゾンビの汁ですっ転んだ。
「痛っ……わ、何ですかこれ」
「……ゾンビの残骸だ」
「ゾンビ? 何ですか、それ……って、それどころじゃないです! 芝居が終わったのに、下ろす幕がないんです!」
どうしましょう、焦るスタッフに、私は、
「幕は四次元大魔王を倒すのに使ったからな……」
そう言って皮肉な笑みを浮かべると、舞台袖から役者たちを見た。共にこの舞台を乗り切った彼らと視線を交わす。そして、うなずき合う。
「え? 何ですか? どうするんですか、舞台監督《ブカン》さん?」
おろおろするスタッフを尻目に、役者たちは再び始まりの台詞を言う。それに気づいた照明と音響のオペレーターが、最初の場面の光と音をつくる。
「ま、まさか、これって……!」
「そうだ」
私はゆっくりとうなずいた。
劇場の壁は剥がれ、椅子が散らばった客席。世界は我々を残して滅びゆき、もう観客でさえ息をしている者は誰もいない。
──しかし、それでも我々が生きている限り。
The show must go on──下ろす幕がないのなら、我々は永遠に芝居を続ければいいのである────。
『Show must go on──幕』
読んでいただき、ありがとうございました🙏
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