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【推しの子】黒川あかねを批判してみる

何回『推しの子』をネタにnoteを書くのだろう。

そのくらい書きごたえのある作品だし、創作意欲を湧かせてくれる作品である。

今日はアニメ第6話をテーマに話をする。

簡単に振り返ると、恋愛リアリティー番組が舞台であり、そこに出演している「黒川あかね」という役者さんが主軸となった話だったね。

事務所のプッシュもあるし、黒川あかね自身もこの番組で知名度を上げたいと考えている。

その気持ちが真面目な彼女にはプレッシャーとなり、悪女を演じるつもりがまじの悪女になってしまう。

モデルさんの顔に傷を付けてしまった。

現場では特に揉めていない。

顔を傷つけられた「鷲見すみゆき」はすぐさまあかねのフォローに入り、当人同士では問題は解決している。

しかし番組は鷲見ゆきの顔を黒川あかねが切ったところで次回に持ち越され、ネットでは大炎上。

非難の嵐の中「気持ちだけの謝罪」という燃料も投下し、黒川あかねの真面目さから来る意見の受け止めは彼女の心に傷を付け、「もう疲れた」と一言を吐き歩道橋から身を投げた、その時!!

ラストチャンスに飢えたつま先が♪

女王蜂|メフィスト

関係無いがEDの『メフィスト』は個人的にハマっている。


大まかなあらすじはこんな感じかな。

僕ら視聴者は黒川あかねと鷲見ゆきの間で事件が解決しているのを見ているから、ネットでの炎上から黒川あかねの自〇未遂までの流れで完全に黒川あかねに同情している。

だけどよく考えて。

黒川あかねの自業自得でしょ?

鷲見ゆきの顔に傷を付けたのは事実である。

謝罪して許してもらったとはいえ、事実は事実。

鷲見ゆき本人が許しても応援しているファンからすれば大事。

大事に育てた我が子が相手のちょっとした行動で傷を負えば、カッとなるのが親であるのと同じ。

そういう時、子どもの方が「あまり大事にしないでよ」と、たしなめるほどである。

とはいえ、傷つけたのだ。

怒りを買って当然なのである。

そして批判を真に受けて傷心したのは自分の責任。

そりゃ炎上するでしょ。

そしてやろうと思えば「傷害」で事件化できるかもしれない案件である。

法律という正義を受けた人々は「それかかれ!」と批難の言葉を吐くのは目に見えている。

その批判意見を受け止めて、自分の糧とすると決めたのは彼女自身。

それを遂行できず、傷心し、自〇を計り、被害者ムーブ。

完全に自業自得でしょ?


もうやめとくか。

かわいいよな。


言おうと思えば誰の批判も言えるのだ。

「批判は良くない」とネットのアンチにアンチしたり、「編集が視聴率のために演出しすぎ」と番組の制作側を叩いたりすることなんて簡単である。

  • 事務所の社長やマネージャーはプレッシャーを与えすぎ

  • 母親は知らなすぎ

そしてあかね自身は、人を頼らなすぎである。

人に完璧などなく、叩けば埃が出るものだ。

そしてその埃を「汚い」と悪く言う人は一定数存在する。

アンチに「アンチやめろ」と言っても、何気ない”意見”が時にアンチになる。

映像は編集しなければ見られない。

事務所は利益を上げたいし、マネージャーは世話をしてる人が活躍して欲しいと思ってる。

母親は我が子を愛してる。

どんな表現も叩こうと思えば叩けるのである。

ならばと炎上を恐れれば、当たり障りのないことしか言えなくなり、批判と捉えられたくないからと表現しないようになる。

それは表現の廃れだ。

あってはならない。

表現しないのなら生きている意味なんて無い。

僕は生きたい。

表現者として生きていきたい。

だからこれからも表現し続ける。

僕の表現が相手にどう捉えられようと知ったことか。

ここまで言い切れたらかっこいいだろうな。

でも僕の表現が誰かを傷つけるのは嫌だな。

「表現しないのなら生きている意味なんて無い」って言葉も「〇ね」と捉えることができる。

その言葉で誰かがほんとに命を落としたら、うん、嫌だね。

どうせ落とすなら落とさせたい。

明確な意図を持って引きずり落としたい。

放った矢が誰に当たったかも知らずに過ごしたくない。

それがもし大将であったら?

僕の大手柄が僕のものにならないじゃんか。

それは大損だ。

とはいえ、今はまだ戦時下ではない。

人の命を落とすことは罪である。

落とすなら沼だろ。

「楽しい」という沼。

そこに笑いながら沈んでいく様を笑いたい。

それをやるならやっぱり表現するしかない。

「言葉は刃物」

まさにこれ。

それで食べ物を加工すれば人を笑顔にすることができるが、人を加工すれば人の哀しみと憎悪が待っている。

使い方次第である。

そして相手の感じ方次第である。

相手の感情にこちらは干渉することはできない。

黒川あかね推しの方は、このnoteの前半部分で怒り、ここまで読んでいないかもしれない。

それに関してはどうにもできない。

僕にできるのは言いたいことを言い続けることだけである。

感じ方は人それぞれであり、表現の仕方も人それぞれ。

それを統率することは、ここ70年間許されていない。

だからあとは自分の解釈次第である。

明確な正義が欲しい。

だから人は敵を作り、批難の言葉を浴びせる。

その正義、自分で創ればいいじゃん!

これが僕の正義であり、そんな空間を一時でも長く表したいと思っている。

今日の正義は、そうだな・・・。

こうやってnoteにできるほど、「黒川あかねは魅力的」

以上!くろだでした。

読んでくれてありがとうございました。

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