「大したことない」と思ってからが始まり
こんばんはのようなこんにちは、くろだです。
今日のnoteも読んでいってくださいな。
思ったことがある。
「表現者って大したことないのかも」
365日投稿目指します
読者さんに楽しんでもらえるnote書きます
自分の表現を追求します
なんだか大層なことをおっしゃっているが、本当にすごい人は言う前にやっていて、できていることを喧伝しない。
ほら、子どもは「ひとりでおしっこいけるの」が自慢になるけど、僕の「一人でトイレ行けるぜ」は、「何言ってんだ、心霊番組でも見たんか?」になるでしょ。
僕が思う”すごい人”は、すごいことを平然とやっている印象がある。
だから「目指してること」とか「達成したこと」を大々的に言ってしまってる表現者は表面的にはすごく見えるけど、実は大したことないんじゃないかなと思うのだ。
当然だが──
もちろんすごいことを言うことが悪いことだとは思わない。
例えば何かで賞を取ったとか、こんな実績があるだとか、そういう目に見えやすい実績はいい宣伝材料なので、どんどん使うべきだと僕も思う。
ただ、擦り続けると白々しさが浮き彫りになる。
僕はこの滑稽さに対する免疫が極端にない。
「恥ずかしい」というか「馬鹿馬鹿しい」感じだろうか。
他の人がいくら喧伝しても「すごいな」と思えるのだ。
しかし僕がそれをやると、自分で自分を滑稽に思ってしまう。
この心理が、今日のnoteの結論に行き着いた動機である。
活動を続けるには
過去の功績を今の原動力にすることは、これからも活動を続けていくためには必要なことだ。
ただ、これは僕の性質なのだろう。
自分のダメさを開き直るのは得意だけど、自分のすごさを誇ることはどうも苦手だ。
「上には上がある」
この意識が割と染みついている。
良く言えば「謙虚であれる」、悪く言えば「開き直る」。
謙虚であるのはいいことだけど、それが行きすぎて「自分はダメだ」となってしまっては、活動継続のモチベが枯れる。
読者の皆さんが「くろだ応援してるよ」と毎日言ってくれるなら話は別だが、そういううま味を得るには実績と実力がもう少し必要だ。
それに、毎日「応援してるよ」と言われたら慣れそう。
嫌な話だ。
「応援してるよ」の声がどれだけ貴重でありがたいかを最初はわかっているのに、慣れてくるとそれでも満たされなくなっていく。
「自分だけは例外」と誰もが思う。
だけど人間である以上、その性からは逃れられない。
こうやってどん底まで沈んでいき、「人間クソだわ笑」と開き直ることで「どうせクソなら楽しまないと」となるのが僕である。
僕には「自己肯定感」というものがない。
だから僕のnoteを読んでも「根拠はないけど元気出た」的なことは起こらない。
自己肯定感は上に上げる勢力であり、僕は地面に引っ張る勢力だから。
「夢」ではなく「現状」で物事を見る。
人には翼がない。
上に行きたければ跳ぶしかない。
跳ぶために必要なのは地面であり「現状」だ。
夢見がちな世界である。
上に上げてくれる人はたくさんいる。
だから僕は地面にいよう。
僕は大したことない。
以上!くろだでした。
読んでくれてありがとうございました。
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ではまた👋
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