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「歪な輪」を描かせると、星野源は最強だ。

星野源さんの新曲『光の跡』が公開された。

毎度のごとくなことなので読者さんは耳たこだと思うが、これを書いている今は「発表直後」なんだけど、投稿されている頃には「数日前」の話である。

ということなんで『光の跡』の感想を書こうものなら、人と意見がどん被りすることもある。

それで「パクった、パクられた」と言われようものなら、投稿日の速さで負けるのだ。


そんな言い訳をしつつ『光の跡』に関しては「いい曲だ」くらいの感想しか無い。

曲に関しては咀嚼が遅いのだ。

「いい曲だ」と思ってから「覚えるか」となって、ようやく歌詞をしっかり読み出すから。

だから今のところは「いい曲だ」って感想しか無い。


が、「星野源」に関しては言いたいことがある。

彼は「歪な輪」を描くのが上手い。

『Family Song』の時に「家族」をテーマにしてから、アニメ『SPY×FAMILY』1期目第1クールのED『喜劇』、そして今回の『劇場版 SPY×FAMILY CODE: White』のED『光の跡』と続いてきた。

『Family Song』では、「多様な”家族”」を描き、これからの社会に適合した世界観が創られた。

そして『喜劇』では、タイアップする作品の設定上「恋も血縁も何もかもが当てはまらず”利害の一致”だけで”家族”の体を成している様」を歌い上げた。

ものすごく「歪」である。

ただし言っておくが、この「歪」という言葉を用いているからといって「否定している」わけじゃない。

たしかに「歪」は「ゆがんでいる」という意味であり、「ゆがみ=悪い」と捉えられがちである。

よく見たら「不正」って文字が見えてきた。

そりゃあ、ネガティブな印象を持たれて当然である。

しかし「歪」でいいのである。

もはや「家族」は男女の間に子どもという構成にとどまらず、子どもがいなくとも家族であり、同性でも家族、ましてやペットと共に暮らす家族、果てには一人でも家族なのかもしれない。

こうも多様化すると「綺麗」ではいられない。

どこかに「ゆがみ」が生じ、「歪」になる。

が、それの何が悪いのだろうか?

それを言ってしまうと「子どもが生まれなきゃ少子化が改善しない」という正義を言われてしまう。

「だけど子どもを産むだけが人生じゃ無い」

そんな正義もある。

そうやって正義と正義はぶつかる。

僕が思うのは、もうそんな善悪の二元論で語れる世界じゃないんだろうなということ。

世界はひとつじゃない ああそのまま ばらばらのまま
世界はひとつになれない そのままどこかにいこう

星野源『ばらばら』

最初から僕らは「歪」であった。

「しかしそれでは綺麗じゃない」と、なんとか綺麗な型を作ってみたけれど、それには”合う人”と”合わない人”がいた。

「そんなのはやめにしよう」

そうやって元の「歪」に戻ろうとしている。

そんなばらばらな時でさえ、なんだかわかる気がする星野源の歌。

ゆがみがあるけど繋がりを感じさせる。

そんな「歪な輪」を描かせると、星野源は最強だ。


以上!くろだでした。

読んでくれてありがとうございました。

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ではまた👋

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