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生き心地のいい生き方

世の中の主張が行き来する。

今まで常識とされていた価値観、例えば「結婚こそが幸せ」みたいなのがガラリと変わり、「一人一人で生きていく」のが主流とまではいかないけれど、「そういう選択肢があってもいいよね」という価値観は共有されている。

そしてその選択を選んだ人の意見を聞いて

  • 「やっぱり結婚した方が幸せかもな」と思う人

  • 「一人が正解だわ」と思う人

に分かれる。

そういうことになっているのに否定はない。

むしろ単一だった価値観に「選択肢」ができたことで、生きやすくなった人も多いだろうから歓迎である。

ただ単一にもメリットはある。

選ばなくていい。

そう決まってるのだからそれに従っていればあぶれることはない。

どちらに行ってもある程度の幸せが得られる人。

適応能力が高く、現状から幸せを掴める人。

そういう人には昨今の情勢は厳しいように思う。

結婚か、独身貴族か。

そこに同性パートナーの選択肢も加わってくる。

社会は「多様化」に合わせるべく動いている。

しかし多様化されると困るのだ。

選べる選択肢が多くなればなるほど選べなくなる。

だって自分にあるのは”適応能力”だから。

適応すべき価値観がないと適応できない。

それでも生きていくしかない。

だから一番苦手な「自分で選ぶ」ということをしなくてはならない。

しなくていいんじゃない?

問題は出てきた時に対応するくらいで、普段はのんびり過ごしていればいい。

ただ「適応能力」が高い人に絶対やってほしいのが”自分の感情を知る”ということ。

適応能力が高い人は大抵のことが許容できる。

「こだわりが無い」って言った方がピッタリかな。

しかしある一点の事項にだけ「異様なこだわり」を持ってる場合が多い。

例えば、人がどんな食べ方をしようが構わない。だけど「クチャ」とか「ペチャ」みたいな食べ物で高音を出す人とだけは食事をしたくない。

お椀の持ち方とか箸の持ち方とか別に気にならない。

なんなら麺をすする音ですらどうでもいい。

だけど麺をすすってる最中のインターバル時、口で一旦麺を持つ瞬間に鳴る「ペチャ」という音。

これだけはほんとに汚いから聞きたくない。

完全に僕の話をしているね笑。

伝わってるのかな?

適応能力が高いからこそ、少ないこだわりを大切にすること。

ここまで適応しようとするとストレスになる。

今回例に出したのは「絶対に嫌なこと」だったけど、「最高に好きなこと」でも同じ。

そういう”自分の感情”はしっかり把握して、選択の材料にする。

「ペチャ」という咀嚼音を出す人とは麺系の店に行かない。

行くとしても席を離してもらう。

これだけでも大分生きやすい。

そうやって「こだわり」を探してみると、案外自分にも”生き心地のいい生き方”があることに気がつける。

自分軸を立てるという話。

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