マガジンのカバー画像

東京23区発祥の地めぐり

362
徳川家康の入府以来、日本の政治・経済、そして文化・芸能の中心都市として発展し続けてきた江戸・東京には、様々な物事の始まりの地があります。学校・企業・産業・芸術・風俗など、数多くの…
361本! 完結しました!
¥500
運営しているクリエイター

2020年2月の記事一覧

「東京女学館発祥の地」

少年院跡に移った女学館★ジャンル【学校】 ★場所 千代田区永田町2−18−1 ★最寄駅 東京メトロ永田町・赤坂見附駅 これまでの23区発祥の地一覧 ★碑文「東京女学館は、明治二十年この地(旧松平出羽守邸、俗に雲州屋敷、のち閑院宮邸)を皇室より貸与され、翌二十一年開校した。その后、麹町三年町(旧工部大学校)に移り、「虎ノ門女学館」と称せられた。大正12年関東大震災のため焼失したので渋谷御料地に移り、女子の一貫教育の場として今日に至っている。こゝに、往古を偲び、将来の弥栄を祈

有料
100

「工部大学校阯」(東京大学工学部発祥地)

ここもまた東大発祥の地。工学部ですけど★ジャンル【学校】 ★場所 千代田区霞が関3-2 ★最寄駅 東京メトロ虎ノ門駅 ★碑文 「此地ハ明治天皇ノ聖蹟ニシテ又実ニ我国工学発祥ノ処ト為ス初メ明治四年工部省工学寮ヲ此ニ置ク同六年寮内ニ工学校ヲ開テ同十年改メテ工部大学校ト称シ工作局ノ所管ト為ス翌十一年新築校舎成ルヲ以テ七月十五日明治天皇親臨シテ開校ノ典ヲ挙ゲ給フ皇族大臣参議以下参列シ其義極メテ荘厳ナリ天皇勅語ヲ賜フ中ニ百工ヲ勤ムルハ経世ノ要ニシテ時務ノ急ナリ自今此校ニ従学スル者黽勉

有料
100

「新聞創刊の地」(読売新聞発祥の地)

実際は「読売新聞創刊の地」★ジャンル【産業】【文化】 ★場所 千代田区霞が関3-8-1 ★最寄駅 東京メトロ虎ノ門駅 これまでの23区発祥の地一覧 ★碑文 「洋学者子安峻(こやすたかし)らが当時虎の門外琴平町一番地の旧武家長屋にわが国初の本格的な大衆啓発紙読売新聞を創刊したのは明治七年(1874年)十一月二日である。江戸時代の情報伝達形式であった「読売瓦版」から名をとって題号とし漢字にふりがなを施した平易な新聞として出発した。創刊のころ漢字教育を与えられていなかった市民か

有料
100

「鹿鳴館跡」(鹿鳴館時代発祥の地)

有名な割に4年しか使われなかった鹿鳴館★ジャンル【文化】 ★場所 千代田区内幸町1−1−7 ★最寄駅 東京メトロ日比谷駅 これまでの東京23区発祥の地一覧 ★碑文 「ここはもと薩摩の装束屋敷の跡であってその黒門は戦前まで国宝であった その中に明治十六年鹿鳴館が建てられ いわゆる鹿鳴館時代の発祥地となった」 ★解説  帝国ホテルのとなり、NBF日比谷ビル(旧大和生命ビル)の帝国ホテル側の壁にあります。  「発祥」としては、「鹿鳴館時代」の発祥なのですが、それにしても「鹿鳴

有料
100

「農産陳列所蚕病試験場跡」(東京農工大発祥の地)

帝国ホテルの場所で蚕の研究をしていた★ジャンル【産業】【学校】 ★場所 千代田区内幸町1−1−1 ★最寄駅 東京メトロ・都営地下鉄日比谷駅 これまでの23区発祥の地一覧 ★碑文 「明治政府は産業奨励のため、この地麹町区内山下町一丁目一番地(現千代田区内幸町)に農産陳列所を設置した。 当時日本の輸出品の中心は生糸であったので、明治十七年(一八八四)四月、ここに蚕病試験場を設けて特に蚕業の振興を図った。この施設は明治十九年西ヶ原(現北区西ヶ原)に移り、東京高等蚕糸学校となり、

有料
100

「明治大学発祥の地」

最近復活。法政や慶應とも縁★ジャンル【学校】 ★場所 千代田区有楽町2-2 ★最寄駅 東京メトロ銀座駅 これまでの東京23区発祥の地一覧 ★碑文 「明治法律学校(現明治大学)は, 明治一四年(一八八一)一月一七日に 旧肥前島原藩主松平氏の上屋敷であった この地に開校した。創立者の岸本辰雄、宮城浩蔵、矢代操の三人は、貢進生として鳥取藩、天童藩、鯖江藩を代表して大学南校に遊学し、つづいて明法寮でボアソナードにフランス法を学んだ。その後フランスに留学し, とくに「権利自由、独立

有料
100

「電話交換創始之地」

実質「電話発祥の地」ながら詳細不明★ジャンル【産業】 ★場所 千代田区丸の内1-4-6 ★最寄駅 JR東京駅、東京メトロ・都営地下鉄大手町駅 これまでの東京23区発祥の地一覧 ★碑文 「東京電話交換局跡 明治二十三年十二月十六日開始 紀元二六百年 逓信省」 ★解説  東京駅にほど近い日本工業倶楽部ビルの大名小路側にはめ込まれています。 「東京市外電話局誕生の地」で書いたように、日本の電話サービス開始は、東京と横浜で、この1890年(明治23年)12月16日に始まりました

有料
100

「東京市外電話局誕生の地」

大事な場所だけど「電話発祥の地」と言えない苦しさ★ジャンル【産業】 ★場所 千代田区大手町2−2−2 ★最寄駅 東京メトロ、都営地下鉄大手町駅 これまでの東京23区発祥の地一覧 ★碑文 「明治23年12月16日辰の口に東京電話交換局が開設され、同25年7月7日当地に移転した。以後、東京市外電話局、東京電話番号案内局として日本の電話交換業務の中心的役割を果たし、昭和62年8月建物再開発に伴い、その輝かしい歴史の幕を閉じた。」 ★解説  アーバンネット大手町ビルのエントラン

有料
100

「日本歯科大学発祥の地」

日本有数の歴史誇る歯科大学★ジャンル【学校】 ★場所 千代田区大手町1-5-1 ★最寄駅 東京メトロ、都営地下鉄大手町駅 これまでの23区発祥の地一覧 ★碑文 「中原市五郎は、この地に、明治四十年六月(一九〇七)、公立私立歯科医学校指定規則に基づくわが国最初の歯科医学校として、私立共立歯科医学校を創立した。わが国の歯科医療は黎明期にあり、『学・技両善にして人格高尚なる歯科医師の養成』を建学の目的とした。国民の生命と健康を守るため、歯・顎・口腔の医学を教導し、数多くの優れた

有料
100

「市内最初の並木」

実は銀座の街路樹の方が古かった?★ジャンル【産業】【文化】 ★場所 千代田区大手町1−1−2 大手門タワーJXビル前 ★最寄駅 東京メトロ、都営地下鉄大手町駅 これまでの東京23区発祥の地一覧 ★碑文 特になし 脇の解説版文章 「明治八年『ニセアカシア』を、この道路に植えた。蘭学者津田仙翁が明治六年ウィーン万国博覧会の際に種子を持ち帰り育成したもので、外来種による東京市内最初の街路樹である。なお現在この通りの街路樹は「エンジュ」である。 ★解説  江戸城大手門のすぐ向か

有料
100

「国学発祥の地」

「国学」の語を使い始めた荷田春満ゆかりの地★ジャンル【文化】 ★場所 千代田区外神田2丁目16−2 ★最寄駅 JR、東京メトロ駅 これまでの東京23区発祥の地一覧 ★碑文 「荷田東丸は 京都伏見稲荷社家に生る 通称羽倉斎本名信盛なり 元禄十三年三代将軍家光五十年祭に勅使として 大炊御門前右大臣経光公中仙道経由日光及び江戸に下向の砌り随行して江戸に出で 享保七年まで在府せり その間各所に講説し歌会を催し且つ多くの門人を養へり その講席は当社神主芝崎邸にて後に東丸養子在満及び

有料
100

「国立衛生試験所発祥の地」

★ジャンル【病院】 ★場所 千代田区神田和泉町2−13 ★最寄駅 JR、東京メトロ秋葉原駅 これまでの東京23区発祥の地一覧 ★碑文  「国立衛生試験所は、わが国最初の国営の医薬品試験研究機関、東京司薬場として、明治7年(1874年)3月、現在の中央区日本橋馬喰町に発足し同年8月この地、千代田区神田和泉町2番地で本格的業務を開始した。昭和20年(1945年)3月の東京大空襲に罹災するまでの70年あまり、医薬品を主とする日本の厚生行政に多大な貢献をしてきた。現在は、世田谷区

有料
100

「ラジオ体操会発祥の地」

正確な場所は不明となった発祥地★ジャンル【スポーツ】【文化】 ★場所 千代田区神田佐久間町3−21 ★最寄駅 JR、東京メトロ秋葉原駅 これまでの東京23区発祥の地一覧 ★碑文 「ラジオ体操は昭和3年11月簡易保険局が国民の健康増進のために国民保健体操と名づけて制定したものである。これがひとたび放送されるやラジオ体操として親しまれ全国各地にラジオ体操会の誕生をみるにいたった。この地は当時万世橋警察署の面高巡査が町内会の人達と共に全国に先駆けて「早起きラジオ体操会」を始めた

有料
100