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「国学発祥の地」

「国学」の語を使い始めた荷田春満ゆかりの地

★ジャンル【文化】
★場所 千代田区外神田2丁目16−2
★最寄駅 JR、東京メトロ駅

これまでの東京23区発祥の地一覧

★碑文
「荷田東丸は 京都伏見稲荷社家に生る 通称羽倉斎本名信盛なり 元禄十三年三代将軍家光五十年祭に勅使として 大炊御門前右大臣経光公中仙道経由日光及び江戸に下向の砌り随行して江戸に出で 享保七年まで在府せり その間各所に講説し歌会を催し且つ多くの門人を養へり その講席は当社神主芝崎邸にて後に東丸養子在満及び高弟浜松の人岡部三四真淵もこの邸を借用せり 当時神主は芝崎宮内少輔好高 その男宮内大輔好寛その舎弟豊後守好全の三代約百年に至れり 然も好全妻女は東丸の女直子なり されば芝崎神主は歴代自ら学ぶと共に能く師東丸のために尽痺し学園の場を供して国学振興に寄与せり 師東丸は門弟を訓ふる頗る懇切なりき 殊に元禄十五年 門弟の宗偏流茶人中島五郎作宗吾等と密かに赤穂浪士のために計りて義挙を扶けしはその忠直の性を知るに足る この東丸出でて吾が国学は加茂真淵 本居宣長と伝統して今日に至る 今その遺蹟に記して以て国学の為に伝ふ」

★解説
 正確に言うと「江戸での国学発祥の地」ですが、まあ国学発祥でもいいでしょう。神田明神境内にあります。
 国学とは江戸時代に始まった学問で、儒学や仏教などに対し、日本古来の独自の考え方を明らかにしようという学問で、そうした考えから古事記などの古典を学ぶことを重視しています。のちには蘭学などとも対峙するものとなり、その内容から必然的に国粋的になり、尊皇攘夷思想の精神的支柱にもなります。
 この国学には「四大人(うし)」と呼ばれる大学者がいて、それが順番に「荷田春満賀茂真淵本居宣長平田篤胤」です。この最初の荷田春満(かだのあずままろ)が碑文中の荷田東丸で、岡部三四真淵というのは賀茂真淵のことです。
 荷田春満は京の出身ですが、勅使に随行して江戸の来てからしばしば江戸に長期滞在し、最後は江戸で亡くなります。その間、この神田明神の神主宅に住み、親戚関係にもなったようです。そしてこの神田明神内に教場を作ってその思想を広めていました。

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