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「明治大学発祥の地」

最近復活。法政や慶應とも縁

★ジャンル【学校】
★場所 千代田区有楽町2-2
★最寄駅 東京メトロ銀座駅

これまでの東京23区発祥の地一覧

★碑文
「明治法律学校(現明治大学)は, 明治一四年(一八八一)一月一七日に 旧肥前島原藩主松平氏の上屋敷であった この地に開校した。創立者の岸本辰雄、宮城浩蔵、矢代操の三人は、貢進生として鳥取藩、天童藩、鯖江藩を代表して大学南校に遊学し、つづいて明法寮でボアソナードにフランス法を学んだ。その後フランスに留学し, とくに「権利自由、独立自治」の精神の普及をめざして本学を設立した。当時彼らはいずれも三〇歳に満たぬ白面の書生であった。」
以下、碑横の解説文
「かつて外濠川に面したこの付近には、1691年(元禄4年)以来、肥前島原藩(現在の長崎県)などを治めた深溝松平家の上屋敷が置かれていました。明治維新後、屋敷は、政府の収用を免れて貸し出されることになり、民権結社による演説会などが盛んに催されました。1881年(明治14年)1月17日、若き法律家である岸本辰雄・宮城浩蔵・矢代操は、屋敷の一部を借り受け、同心協力して明治法律学校(明治大学の前身)を開校し、1886年(明治19年)に神田区駿河台南甲賀町(現在の神田駿河台)へ移転するまで、我が国の近代化を担う法曹の育成に努めました。1995年(平成7年)、同地に「明治大学発祥の地」碑が建立されました。」

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★解説
 有楽町マリオンから晴海通りを挟んだ高速道路脇の歩道にあります。1995年に設置されましたが、歩道整備のため一旦撤去され、2019年5月に再設置されました。その際千代田区の改札版も隣に設置されています。
 碑文や解説版に書かれているように、開校したのは旧島原藩松平家の屋敷でしたが、実際の屋敷は目の前の晴海通りからJR高架あたりに広がっており、碑の場所は外堀の中でした。
 明治大学創設者の三人、岸本辰雄(きしもと たつお)、宮城浩蔵(みやぎ こうぞう)、矢代操(やしろ みさお)はいずれも碑文にあるように、旧藩からの推薦で東京大学の前身である洋学学校の大学南校に学びます。その後法律実務の専門家を養成する機関として司法省に設けらた明法寮にいずれも転じるわけですが、これは法制度整備を急速に進めようとする司法卿江藤新平(えとう しんぺい)らの意思で、引き抜かれたものだと言います。
 明法寮はまもなく司法省法学校と名前を変え、岸本、宮城、矢代の3人は1期生として卒業します。その後岸本、宮城はすぐにフランスへ留学し、矢代は日本で法律の仕事につきます。岸本、宮城が帰国する1880年頃、矢代は講法学舎という法律学校の講師をしており、2人を講師仲間に誘うのです。

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