#10 復興支援とビジネスの掛け算
仕事の都合で三陸のとある町を訪れました。
とても穏やかな海ですが、10年前に十数メートルの津波がほとんど全てを流していった街です。
私は今まであまり東北に縁がなく、当時は西日本にいたので震災もテレビの向こうの世界の話のように感じていたところも正直ありました。
こうして来てみて直接見聞きすると衝撃を受けることばかりです。
かつて目の前が浜辺だった場所も、今はこの写真のように高いグレーの防潮堤があります。
津波から街を守るこの防潮堤が、まるで広い外の世界から街自体を閉じ込めている壁であるかのような、閉塞感のようなものを感じます。
その存在感に圧倒されました。
しかしこんなに高い防潮堤でも、東日本大震災の際と同規模の津波には耐えられないそうです。あくまでも数十年に一度規模の津波に耐えられるためのものだとか。
だからなのか、海に近い場所に家がある人はこの高い堤防が憂鬱で、堤防を低くして欲しいと訴えるそうです。
一方で、海から少し離れた場所にある家の方々は、逆に海が見えるし堤防の圧迫感を感じるシーンは少ないためか堤防は絶対にこのままにして欲しいと願うので、住民間でも意見対立が起こっているという話を聞きました。
これだけでなく震災から10年経った今も、被災地にはたくさんの問題が残っています。
震災後、国からの援助金によって出来た工場や倉庫が三陸には立ち並んでいますが、労働力(高齢化・人員不足)や営業力(ノウハウ・販路)の問題などから経営が長続きせず、倒産してしまったり設備が遊んでしまっている会社が多くあるようです。
機械は新しくても、上手な使い方が分からない。
震災後、元の土地に戻ってこない方が若い人中心に多く、働き手が足りない。
今回そういった工場の視察もいくつかさせていただきましたが、震災からの復興のきざしどころか先が見えない現状のようです。
こうした企業と何か一緒に出来ることはないかな、と模索しています。
例えばこうした企業に製造ノウハウを伝えて、三陸の地産品を現地で加工し、それをお客さんに届けるサポートをする、みたいなことが出来れば地域の零細企業の支援にもなるかなと考えています。
しかしそれを具現化するにはまだ時間と労力が必要ですので、今回の出張はその土地のものを食べて、経済に小さな貢献をすることくらいしか出来ませんでした。
ホヤ、マンボウ、イルカ、イカ、カキ、ホタテetc.
とにかく食べ物は本当に美味しいです!
新鮮なホヤは濃厚な塩味が効いていて、酒飲みにはたまらない美味しさでした。
しかし今回の一番の衝撃は「マンボウの塩焼き」です。
味は淡白ですが特徴的なコリコリ食感がクセになりました。
マンボウは漁はせず、網にかかった時にしか食べないという希少性・ストーリーも好きです。
復興支援とビジネスを結びつけるのは偽善だと言う方もいるかもしれませんが、『やらぬ善よりやる偽善』と思い、今後の新しい取り組みを引き続き考えていきたいと思います。