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【和歌】百花繚乱/運命
空が泣き
大地潤い
芽吹いてく
紆余曲折も
百花繚乱
✣運命✣✣✣✣✣✣✣✣✣✣✣✣✣✣✣✣✣
何十年
生きてきたとて
一瞬と
思うものなり
儚き運命
✣✣✣✣✣✣✣✣✣✣✣✣✣✣✣✣✣✣✣✣
5月も半分が過ぎ、今年も半分に差し掛かろうとしていることに、なんだか気付きたくなかった菜っ葉です🙃ドーモ
季節の移ろいをもっと愉しめば良かったなんて思っても、すべて後の祭りです。
そんなことはわかっているのに。
振り返れば、いつも終わっているのです。
きっとただ覚えていないだけなんでしょう。
他のことに意識が向いているから、気付けないだけで。
無意識に感じ、大事なものは仕舞い込んで、要らないものは受け流しているのだろうなと。
心に余裕があるか無いかで、あらゆる選択に影響していくものなんでしょうね。
心が光であふれる時は、きっと幸せで。
心が闇に覆われる時は、きっと辛くて。
その光だって、誰かには闇に感じたり。
その闇だって、誰かには光に感じたり。
大切なのは、感じるのはいつだって自分自身だということ。自分自身の心です。
例えば団体や組織なら、相対的な考え方は必要でしょう。
しかし、個人において、相対的に考えるということは、周りに答えを委ねてることになると思うんですよね。
絶対的に考えれば、自分の中にしかない答えが見つかるまで、ずっと自分と向き合うことが大切になってきます。
自分のことなのに、考えることを放棄して、周りの答えをあたかも自分の答えのように置き換えてしまう。
そこから生まれる矛盾や歪みに、後々苦しむことになったり、考えることをずっと放棄することが慢性化したり、自分を見失っていくなんてことにもなると思うんです。
自分と全く同じ道を歩んでる人なんて、世界中どこにもいません。
だから、考え方や価値観、好きや嫌いも趣味趣向も違っていて当たり前です。
違うものと違うものが掛け合わされて、新しいものが生まれるからこそ、良くも悪くも世界は変わっていくのだと思います。
自分にとっての光とは何か。闇とは何なのか。
それらは、自分の中にしかないのです。
誰かに言われ刷り込まれた光や闇は、果たして本当に自分にとって心からそう思えるものなのでしょうか。
自分の心に問いかけた時に、同じ答えが返ってくるのでしょうか。
他人からしたらどうでもいい問いだとして、世間からしたら道端に落ちている石ころのようなものだとしても、本人からしたら重要な問いで身の丈よりも大きな岩にさえ感じるものもあるはずです。
気の済むまで向き合えばいいのです。
無限ループに陥っても、視界は開け突破口も見つかります。
時間が流れ、状況も変わり、考えた人にしか見えないものが見えてくるからです。
どんなに遠回りしたと思っても、無駄な時間を過ごしたと思っても、その景色はその条件が揃わなければ、きっと見えなかったはずだから、何一つ無駄なんてことはないのです。
紆余曲折あれど、もしもたどり着いた先の景色が百花繚乱な世界だったら、素敵だと思いませんか。
考えることをやめず、自分と向き合い続けた先にある答えが、周りに理解されずとも自分自身が心から納得できるなら、それが真実なのですから。
綺麗事だとか、戯言だとか、目障りで耳障りなものは切り捨てて、都合の良いものだけ見ていたいなら、それもいいのかも知れません。
自分の本当の心だけが、真実を語るのですから。
最後まで読んで頂き、ありがとうございました🙇
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