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「普通じゃなく生まれても普通の人生を歩んでいけてる人たち」を見てしまっても、彼らを追うのはやめよう

近日、知り合いの結婚報告を知りました。
デイケア時代の知り合いで、だけど別に友達でも仲良かった訳でもないし、今後お付き合いする事もない人。
それなのに「おめでとうございます!」なんて思ってもないメッセージをつい送っちゃったのは、まだ普通の人生への憧れを捨てきれてない証拠でもあるのかなあなんて。

普通に恋愛して普通に結婚して、
おそらくこの先出産もして家庭を築くんだろう。
極めて一般的な「普通の人生」です。

その人も発達障害を抱え、デイケアで療養をしていた人。
なのに恋愛結婚と、「普通の人生」を歩んでいけている。

そういう「障害持ちでも恋愛結婚ができる」人たちを見てしまうと、「障害持ちかつ恋愛結婚ができない」人たちは差を感じて辛くなるよね。

「普通じゃなく生まれても普通の人生を歩んでいる人たち」を見て、
「彼らと自分、何が違うんだろう…」とか、
「自分は異常なんだ…」とか、
「やっぱりああいう人生を歩む事が正解なのかもしれない………」
とか、いろいろ考え込んでしまってる人もいるかもしれない。

ぼくもそういう話に触れるたびに悩んでしまうし、今まさに落ち込んでるけど、
どうか落ち込まないでほしい。

特別自分がおかしいとか、異常なんだとかは思いつめないでくれ。

「普通じゃなく生まれたのに普通の人生を歩んでいけてる人」に感じるぼくらの劣等感

確かに世間では「恋愛結婚が普通」の声がでかいから、「恋愛結婚できない人はおかしい」と思われがち。

マイノリティとして分類される事で起こる事柄は、障害者健常者関係なく「普通じゃない」人は低く見られてしまう。

「障害持ちかつ恋愛結婚ができない」人は「普通じゃない×普通じゃない」の掛け合わせだから、さらに苦痛を感じてしまうんだと思う。

社会的地位(嫌な言葉だけど)でいうと、
「障害持ちでも恋愛結婚できる人」は、
「恋愛結婚できない健常者」とレベルは同等。
「片方は普通」のアドバンテージを手に入れてるからね。

だから、上に立たれたようで辛く感じる。
「同じ障害者のくせに……」と、羨み妬みが湧く。
理解ある彼くん/彼女ちゃん持ちがムカつくのも、そういう理由だと思う。

ハンデを持って生まれたのは自分も一緒なのに、
何故か彼らは普通になれて、普通の人生を歩んでいけている。

この差は何なんだ。

自分と彼らは何が違うんだ。

何で自分は普通になれない?

自分はおかしい人間の中でも、特別おかしい人間なんだ………

そう思いつめて、どんどん苦しくなっていってしまう。

「普通」や「おかしい」といった不確かな枠に自分を当てはめるのは不自由な考え方だし、今は多様な価値観生き方が認められる時代になったけど、
それでも現状マジョリティの価値観が色濃いから、どうしてもそっちに流されてしまうのは分かる。

だからマイノリティに属する自分に自信がなくなってしまうし、
「普通でいたい」「普通でいなければ」と強迫観念を抱いてしまう。
「普通じゃない」から一向に脱せないと、どんどん焦りが生まれてくる。

でも、彼らを追うのはやめよう

「普通じゃなく生まれたのに普通の人生を生きていけてる人」を見てしまい、自分もそれに追いつかなければと焦り、
でもなれなくて絶望する人たちの気持ちはよく分かる。

でも、それはたぶんとても苦しい。
普通に追いつけ追いこせを自分に課してしまうと、どうあがいても苦しいだけの人生になる。

運良く「普通」になれたとしても、
今度は「普通でい続ける」事を目指さなきゃいけなくなる。
そういう人生はしんどい。

だから、彼らを追うな。
追わなくていい。

追うのをやめれば、「普通じゃなく生まれても普通の人生を歩んでいけてる人たち」など羨む必要はない。
彼らはいろいろな要因がたまたま重なって、その生き方に乗れただけなんだから。

結局は「自分軸で生きろ」の話になるんだけど、
生きるにあたって他人を自分の人生の目標とか指針にしちゃだめ。

「同じ障害者なのに彼らは……」と比べてしまうのも分かるけど、
他人に共通項を見つけちゃだめ。

同じ「障害持ち」といってもその程度は違うし、
その人を形づくる要因、つまり性格や価値観といったパーソナリティー、生育歴、全てひっくるめて自分と同じ人間は一人だっていない。

生き方の適正だってそう。
「何でこいつはできたのに自分はできない」って思って悔しくなる事はあるけど、
単純な理由で、ただそいつには向いていた。できた。ってだけ。

恋愛結婚にしたって、
向く奴がいる。
向かない奴がいる。

できる奴がいる。
できない奴がいる。

何て事はなく、ただそれだけなんだよ。
障害者健常者関係なく。

できないのが分かったら、それに見切りをつけて割りきって諦める。
その代わりとなる生き方を見つける。

「自分もああいう人生を歩みたい」
「普通に恋愛結婚したい」
悔しいしすぐには諦めがつかないだろうけど、
ここはきっぱりと折り合いをつける方が楽だと思ってます。

だから、「普通じゃなく生まれたのに普通の人生を歩んでいけてる人」を追うのはもうやめよう。
そういう人たちはたまたまそうなれただけだし、他人と自分を見比べて追ってもどうにもならない。

「普通じゃない人」に対しての世間の風当たりはまだ辛いけど、
完全になくなれば普通に対しての焦り羨みも持たなくて済むようになるから、それまで頑張ろう。

なんかぐだぐだの文になったけど、
吐き出しと自分への整理も兼ねて書いてみました。


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