【連載小説】何も起こらない探偵事務所 #2
「ああ~~いいにおいする、ご飯作ってるの、みはる」
からんころん、古い扉につけたベルが鳴り、のんびりした砂倉の声が響く。
ここは細長いスナックの居抜き物件。
汚くも楽しい、さくらと僕の探偵事務所だ。
僕は小さな台所で湯を沸かしながら言う。
「うん、チョコレートラーメン。もうできるからそこに座って? さくら」
すぐにカウンターの向こう側に肌色の男が座り、僕は顔を上げた。
視線の先には従兄弟の砂倉渓一がにこにこ笑っている。
いつもどおりの美男子だけど、全裸だ。
「なんでそこに座ったの?」
僕が難しい顔になって言うと、砂倉は首をかしげる。
「みはるが座れって言ったから」
「全裸で座れとは言ってないよどうしたのどこからその格好なの、生尻でスツール座ったの、死にたいの?」
「待って、待って、みはる。俺、パンツははいてる」
砂倉はたじろいでいったんスツールから下り、僕はどうにか自分をなだめながら言った。
「そう、それはよかった。よかったけどパンツ以外もはいて。今二月だよ」
「全裸になるのに季節は関係なくない? 夏でも裸にされるときはされるよ」
真顔になって言う砂倉は、無駄に格好がいい。
そのかっこよさに腹が立って、僕はてのひらでシンクを叩いた。
「普通の二十四歳男職業探偵はそんなに頻繁に裸にされないんだよ!! 服着ろ!」
「うーん、でも洋服、全部上にもってっちゃってて。あ、これでいいや」
辺りをきょろついた砂倉が手にしたのは、隣のスツールに引っかかっていたエプロンだ。デニムのそれをかけて座り直した砂倉に、僕は静かに訊いた。
「さくら、今自分が何やってるのかわかってる?」
「従兄弟が作ったラーメンを待ってる」
「裸エプロンだよ!!! さくらがやってるのは、かろうじてパンツはいてるだけの24歳男児の裸エプロンだよ、変態か! チョコレートラーメン一丁!」
僕は叫びながらカウンターにチョコレートラーメンを載せる。麺は激安業務用スーパーで買ってきたままの市販品だけど、スープには上等なチョコがたっぷり溶け込んでいる逸品だ。
砂倉はどんぶりを受け取りながら叫び返した。
「変態なのは銭湯の脱衣所でチェーンソーぶん回した奴のほうだと思う! 俺は何もやってないんだよ、風呂入っただけなのにどうしてこうなるのか、僕のほうが訊いてみたい。ねえみはる、これチョコレート入ってる」
「最初から言ってたでしょ、チョコレートラーメンだって」
僕は素っ気なく言い、自分もカウンター側に回り込んで自分のラーメンを引き寄せた。
砂倉は深い深いため息を吐き、鮮やかな手つきで割り箸を割る。
「みはるぅ……甘いものとしょっぱいものは別々に食べよ? わざわざバレンタインに引っかけて作ってくれたのはありがたいけど、あー……はー、案外美味しい」
「美味しいと思うよ。新鮮な食材使ったもん」
僕は言い、自分も思いきりチョコレートラーメンをすすった。
うん、脂の味がする。
砂倉は一度手を止め、僕のほうへ視線をよこした。
「新鮮な食材。それってまさか、もらいたての?」
「僕が女の子にもらったチョコを即溶かしてラーメンに仕立てる男だと思うの?」
「うん」
即答する砂倉に、僕はとびきりかわいい顔でにっこり笑った。
「さすがさくら、当たり。さくらは今年はもらってないの?」
「俺、たまに不思議に思うんだよ。明らかに闇夜に刺されそうことやってるのはみはるのほうなのに、どうして年中追いかけ回されるのは俺なんだろう?」
神妙に考え始めた砂倉は置いておいて、僕は食べながら適当なことを言う。
「探偵なんだから自分で調べなよ。それか、素直に逃げないで両手を広げて抱きしめて、そのまま確保して話を訊く」
「チェーンソー持ってなかったらそれもありだったよね。今日のところは、気絶しないで逃げて来ただけ褒めてほしい。全裸だけど」
「さくらはえらいねえ、ちゃんと逃げられて。全裸だけど」
棒読みの賞賛だけど、砂倉はちょっと嬉しそうに笑う。
このひとは昔からこういうひとだ。ほんの少年のころから、僕の言うことはなんでも同じ目線で聞いてくれて、興味を持ってくれる唯一の親戚。
さくらは長めの前髪を揺らしてラーメンに向き直り、のんびりした声を出す。
「チョコレートラーメン、段々飽きが来るね。アイス食べたい」
「スーパーカップでよければ冷凍庫にあるよ」
「うっそラッキー。もらいまーす!」
完全に子供の声になって、砂倉はスツールから飛び降りた。
カウンター内に走って行く彼の背中に何かが見えて、僕はふと食べる手を止めた。
見間違い……じゃ、ないね。
砂倉はスーパーカップとスプーンを大事そうに抱えて帰ってくる。
「あー、なんか今年のバレンタインデーはかなり最高かも。カミソリ入りチョコ作ってくる子も居ないし、引っ越し大成功。お腹いっぱいになってきたら眠くなってきた!」
かつかつと気持ちいい速度でアイスを片付ける砂倉をちらちら横目で確認しつつ、僕は言う。
「寝な寝な。誰か追っかけてきたら追い払ってあげるから」
「さすがみはる。ありがとうね。みはるが居なけりゃ、俺は今頃生きてないよ」
「言い過ぎだよ、ばーか」
笑って手を振ってあげると、砂倉もにやりと笑って僕に背を向けた。
裸エプロンの背中は綺麗に引き締まっていて、うすれかけた字で大きく『あたしのもの、手出し禁止』と書いてあるのが見える。
これ、あれだ。
何日か前に、冗談で僕がやったらくがきだ。
とっくに消えたと思ってたけど、最近のペンって結構すごいね。
いやー。うん。まあ、そうだね。
バレンタインデーにこんな背中の男が銭湯に入ってきたら、チェーンソーを振り回したくなる奴もいるかもね。だからって振り回していいってことじゃないけどさ。
僕は砂倉が二階へ上がっていくのを見送りながら、ちいさくつぶやく
「……うーん。うん。おっ、一本思いついたぞ」
今の話を膨らませて、砂倉渓一の事件簿にひとつ事件を書きたそう。
結構面白いのが書けそうな気がする。砂倉は僕を助手にして正解だ。
探偵物語を作るのはいつだってワトソンなんだから、砂倉が謎を解けなくたって、彼は間違いなく名探偵なのだ。
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