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【連載小説】何も起こらない探偵事務所 #1

「みはる~、助けてぇ、殴られた」

「うん」

 僕は小さくうなずいて、薄闇の中で光る液晶画面を見つめている。
 安いノートPCの画面上にびっしり並ぶ文字の列。そこで展開するのは、この世で僕しか見たことのない、血湧き肉躍る探偵物語だ。

 しかも今はとってもいいところ。
 探偵が真実に近づいたかと思いきや、犯人の逆襲に遭ってピンチになるところだ。

 そりゃあもう、指も胸も躍りっぱなしですって。

「うんじゃなくて、ほんと痛い……ほんと痛い、洒落になんない、痛い。って、わ、血ぃ出てるよ、みはる、貴重な血液資源がけっこうだばだば出てるよーもったいないよお」

 背後をがさがさと行き来する気配に、僕はちょっとだけ背筋を伸ばしてスペースをあけてあげる。
 僕がいるのは名探偵の探偵事務所。
 元はせまーいスナックだかバーだかで、今もほとんど改装されてはいない。むしろ探偵と僕の荷物が新たに積み上げられて、ますます狭くなっている。

「気をつけてね、さくら。床汚れたら、掃除大変だから」

「そんなの適当にやっとくけどさ、あー、血、どうしたらいいんだっけ? 保存、保存したら売れる気がするんだよね、俺の血。ほら、ブードゥーの呪いとかに使いたい子結構いるだろうし」

 背後からする情けない声は、声質だけは低くてなめらかで最高だ。
 僕はくすりと笑って手を止めて、声のほうを振り向いた。

「そんなのに売ってどうするの。呪われるだけじゃない」

「呪われないよ、俺だもん。みはる、よかった、やっとこっち向いてくれた。見て、血」

 にっこり笑って男が自分の眉間を指さす。
 なるほど、額、割れてるねえ。
 派手に割れてる。
 顔面って結構血が出やすいんだ。浅い傷でもだばだば出る。そんなこんなで、若手俳優みたいな砂倉の顔は見事血まみれ。ハロウィン以外なら職質まったなしだけど、よくも無事にここまで帰ってこられたもんだ。
 僕は内心とっても感心しつつ、なるべくかわいく笑った。

「血だね。ごめん、僕、今、書き物がいいところで」

「えっ、小説? それ、俺のこと書いてる小説だよね?」

 きょとんとした顔をする砂倉はなんとなく大型犬みたい。
 かわいいなあとは思うけど、僕はどっちかというと猫派です。

「うん。探偵には、探偵のことを記録する助手が必要だろ? 僕がいるから、君は探偵でいられるの。だからもうちょっと静かにしてて」

「そっか。ならしょうがないか。ええー……本当にしょうがないかなあ、みはる。目の前で、俺が大変な目に遭ってるのに、小説の俺のほうが大事かなあ。目の前の俺のほうがお勧めなんだけどなあ、でかくて邪魔かもしれないけど、内臓は健康だし人好きはするし、料理は上手いし女の子にはよくふられるし、うっわ、バスタブに布団放りこんだの誰!?」

 砂倉は情けない声を出しながらバーカウンターの脇のカーテンをめくって、悲鳴を上げた。
 ここの水回りは相当不思議なことになっていて、二階へ上がる階段を取り払った場所に、無理矢理小さなバスタブがねじこんである。
 大体のひとが体育座りじゃないと入れないバスタブなんだけど、砂倉も僕も、割合それが好きなんだ。

「さくらじゃなかったら僕でしょ。ここって綺麗なとこ、バスタブくらいしかないし。でもそこでキーボード打ってたら腰がいたくなっちゃったから、こっち来たの」

「俺も何か書き物するときはそっちだよ。でもご飯はたまにこっちで食べる」

 砂倉はバスタブの辺りでごそごそしながら答える。
 僕はちょっと手を止めて考えこんでから、にっこり笑って彼のほうを見た。

「皿洗いが楽だから?」

 砂倉は無駄に長い足をどうにかこうにか折り曲げて、布団入りバスタブにきっちりはまりながら爽やかに笑う。

「よくわかったね。全部水に流す。体の汚れも」
「この間配水管詰まったの、そのせいだな」

 僕がさらに最高の笑顔で返すと、砂倉の笑みは凍りついた。

「えっ、詰まったっけ? いつ?」

「砂倉」

「俺がいないときかな? あれ、そういえばこの辺が妙に片付いてた日があったかな。てっきり錯覚だと思って目をそらしてたんだけど。だってここって基本的に他人呼ぶと玄関先で『うおっ』とか言って名状しがたきものに会ったみたいな顔されて」

「砂倉」

「はい」

 今日の砂倉は往生際よく、二度目で神妙な顔になった。
 そうして見つめ合うこと、十三秒。
 段々僕の怒りはぼやけてきて、代わりに腹が減ってきた。
 僕は小さくため息を吐いて立ち上がり、カウンターの内側をごそごそ探る。実はここには、普通のご家庭の比ではないくらいしっかりした救急箱があるんだ。

 だって砂倉がこうして血だらけで帰ってくるのは、日常茶飯事だから。

 僕はカウンターの上に救急箱を置いて、眉尻を下げて笑った。

「ラーメン食べたくない? 外で。そのとき、傷の理由も教えてよ」

 砂倉はあからさまにほっとしたように笑って、明るく言った。

「出前がいいな、面倒だから」

「そうやってまた配水管詰めるんだろ、多少は反省しろって!!」

「してるよ、反省はしてる。でも俺負傷してんだよ、もうこの楽園から出て行きたくないよ!! この狭さ、適度につぶれた布団、天窓からの微妙な光、ああ~だらけたい~一緒にだらけよう三春」

「だったら楽園の維持に少しは! 手間をかけろって! おい、砂倉、ってまさかの寝たふり!? しかも下手くそか! 砂倉、おーい、砂倉!!」

 僕は一応突っこんであげるけど、砂倉は下手くそな寝たふりをやめやしない。
 砂倉の血まみれの髪束がばらり、とバスタブの縁にかかって、二階の屋根に空いた天窓から彼の顔に光が落ちる。
 僕は大きなため息を吐いた。

 僕の名前は三春智史、21歳。現在一応大学生。
 この、ほっといたら路地裏で死んでそうな従兄弟、砂倉渓一の探偵助手をやってます。

 解決した事件はまだ僕のPC中にしかないけど、多分何かは起こるでしょう。
 砂倉は昔っから、事件を呼ぶ男なので。

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