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童話書店の夢みるソーネチカ ~雛鳥を追いかけて2~

 悪夢から覚めた後は、どうにも遅れて倦怠感がやってくる。元気づけに紅茶を注文し、待つ間に店内を眺める。

 ジャコビアンに塗装されたカウンターテーブル、天井に吊り下がるシャンデリア、赤いベルベットの椅子。少し暗めの温かい色温度で昭和レトロ感の漂う内装だ。落ち着いた空気感に、つい仮眠もしたくなる。

 お昼時ということもあって、来店客は多い。千花の二席隣にはポニーテールの若い女性がパソコンを開いている。後方に並ぶテーブル席も七割がた埋まり、談笑の声が聞こえる。天井の隅に設置されたテレビの音声が混ざって、町民会のような賑わいだ。

 店の奥には小さな部屋のように仕切られた座敷スペースがあり、ここで読み聞かせ会は行われる。既に一組の親子が来店しているが、もうじき他の子ども客も増えるだろう。

 籐馬に声を掛けられて振り向けば、注文の品が届いていた。子ども舌でコーヒーが飲めないことを誤魔化すため、柳木には紅茶の方が好きだからと断っている。嘘は言わず面目を保つこの立ち回りを褒めてほしいものだ。

 白無地に金のラインが入ったティーカップに薄い赤茶色が映えている。一口つけて、香りの良さと濃厚な甘みに息を吐く。これからが大仕事だというのに、打ち上げの至福の一杯を先取りしてしまった。

 同じく持ち手を握る柳木は、テレビの方を向いている。昼の情報番組が流れているようだが、テレビとは距離がありうまく聞き取れない。ニュースキャスターの姿を見て、思い出したように柳木が口を開いた。

「そういや津潮市で白骨化した遺体が見つかったみてえだな。全国ニュースで隣町が報道されてっと、ことのヤバさを直に感じる」

 予想外に物騒な言葉を聞き、紅茶を変に飲み込んでしまった。むせながらソーサーにカップを戻し、続きを促す。

 津潮市とは千花たちの住む土佐泉市の左隣に位置する観光業が盛んな地域だ。この周辺は二瀬という地区だが、この地区自体が津潮市との市境に近い。二瀬の隣に千花の通う高校がある柏木地区があり、その隣が津潮市である。

「朝の報道じゃまだ詳しいことは分かってなかったぞ。山の中で見つかったってことぐらいだ」

「恐ろしいですね。近場だと確かに現実味が違うっていうか」

 白骨化しているということは、事件から時間は経っているはずだ。これがもし殺人事件だったなら、千花の生活意識も改めざるを得ない。

「茂さんが帰ってきたらお前のバイト時間も減らせるだろ。遅くならないようにはする」

 柳木は決まりが悪そうに頬を掻いた。

 確かにアルバイト終わりは空も暗く、女子高生には心細い帰路かもしれないけれど、千花は自ら望んで活動しているわけで。不満に思ったことはないのだが、柳木には負い目があったらしい。

「家も近いですし気にしてないですよ。最近は働くのが楽しくなってますし!」

「それはよかったが、お前来年受験だろ。週末のバイト時間は考え直すぞ」

 痛いところを突かれ、うっと言葉が詰まる。受験勉強から逃避するためにアルバイトに精を出していると認めたくはないが、人間合理的には動けないものだ。雇用主に的確に指摘されれば、これも現実を浮き彫りにしてくる。悪しき理由付けを真っ当な柳木は許してくれないようだ。

 柳木から目をそらしていると、他のお客さんに注文を運び終えた籐馬が後ろから声をかけてきた。

「不謹慎かもだけど津潮市といえば最近話題のパイのお店があるんだ」

「パイ、いいですね!もう少し詳しくお願いします」

「すみません、私にも聞かせてもらっていいですか?」

 誰かと思い声のする方に顔を向ければ、先ほどから二席隣でパソコン作業をしている女性だった。うねった一つ結びの髪が肩甲骨まで垂れ、ラフな動きをもつ。残った前髪は両サイドに別れ、覗く産毛が可愛さを際立たせていた。服装は黒のドット柄ボウタイブラウスに細身のデニムパンツを組み合わせている。

 店内を見渡したときにも印象深かったが、モデルかと疑うほどの美女である。大学生か新社会人の年齢だと千花は推測した。

 彼女は千花の後ろに視線をずらし、顔をひきつらせた。強面お兄さんの柳木に睨まれていると勘違いしたに違いない。

(申し訳ないけど、これが柳木さんのノーマルなんだよね)

 籐馬のいるカウンターの奥に向き直し、彼女は矢継ぎ早に言葉を加えた。

「えっと、私スイーツに目がなくって、特にパイは大好物なんです。店員さんの話が聞こえたものでつい」

 恥ずかしそうにはにかむ姿を見て、千花は危うく「かわいい」と心の声がこぼれるところだった。彼女と年の近い男性陣が二名いるわけだが、まさか胸をときめかせては居まいな。

 背筋を伸ばして柳木の視界を奪いながら、この美形まみれの空間に千花は尊厳を削られていた。雑念を紅茶で流し込み、自分の素直な部分を心から引っ張り出してくる。

「私もスイーツは大好きです、ということで籐馬さん!」

 女性ふたりのスイーツ愛に薄い笑みを浮かべて、カウンターの奥に戻った籐馬が語り始める。お客さんの食いつきが他の店の詳細なのだから、心境は複雑かもしれない。

「分かったよ、そもそも津潮市は日本でも有数の海岸段丘が形成されていてね。簡単に紹介すれば地質学的価値が高いんだ。だから観光業が盛んなわけだけど、その海岸を見渡せる展望台付近に新しい店が建ったんだ」

「海岸段丘昔習いましたよ、こんな近くにあるなんて。波の浸食で崖が出来て、地面が隆起することを繰り返すんでしたよね?」

「どうなんだ現役生」

 名称を聞いたことがあるから勉強しているはずだ。しかし勉強したという事実を覚えているから、習っていないとはいえない。いっそ耳が忘れてくれていれば無知に羞恥はなかったものを。

「……長考します」

「長考に好手なしとはよく言うがな」

 隣に腰かける可愛げのない男を睨んで黙らせる。婉容な女性は渇いた笑みをこぼして話を修正した。

「すみませんお店の話でしたね。想像するに、希少で美しい自然を眺めながら、パイを楽しめるということですか」

「そうだと思う。実のところ僕はまだ行ったことなくて、お客さんから聞いた話なんだ」

 はっきりせず申し訳ないというように籐馬が頭を掻いた。

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