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「お前、変わったね」と言われたことを思い出して

こんにちは。
先日に引き続き、noteを書いています。
先日もちょうど「変わる」ということに関連したnoteを
書いたのですが、(読んでいただけるとありがたいです!)

タイトルにもあるように、ふと思い出したことがあるので書いてみようと思います。

小学生時代

恥ずかしがり屋

遡ること、もう20年くらい前になるだろうか。。
自分の小学生時代。
今思い返すと、いい思い出と、思い出すだけで恥ずかしくなってしまうような嫌な思い出、どちらも5割くらい。

自分は昔からずっと恥ずかしがり屋で目立ちたくないタイプの子供だった。
この自分という人格のコアな部分は今も変わっていない。
授業中手を挙げるなんて全く縁がなかったし、
特に入学したての頃は周りの7割くらいはある幼稚園から入学した子ばかりで占めていたが、自分が通っていた幼稚園から入学した子は自分1人だけでかなり心細かったのを覚えている。

もともとそんなタイプで、特に対多の場面だと緊張してしまうタイプだったが、クラスの友達と個人的に話すとか、1対1の場面では緊張してたかというとそういうわけではなく、仲がいい友達もできたし、結構調子に乗っておふざけするような子ではあった。

転校生の登場

時はすぎ、小学校3年生くらいの頃だっただろうか。
他の学校から転校生が来た。
その子は自分とは正反対のタイプで、
恥ずかしがり屋でもなければどちらかというと目立ちたがり屋。
クラスで手は挙げるし、男の子ともいつもきゃっきゃして話していたように覚えている。

気が弱いのに性格が悪い自分

そんな中、クラス替えでその子とクラスが一緒になった。
彼女の目立っていて、きゃっきゃと男の子と遊んでる姿というのは
当時の未熟な自分から見るとわざと好かれるためにやってるのではないか?とか斜めな穿った目線で見てしまっていてあまり彼女のことをよく思ってはいない自分がいた。
周りにも同じように、男の子と仲良くしている彼女を見てなんか面白くないと感じていたのか、快く思っていなかった子が何人かいた。

そんな中私はその周りの友達と一緒になって、悪口を言ってたり、つっかかるような対応をしてしまったり、彼女を傷つけてしまった。
と言っても自分はビビリなので、先生に怒られるのは嫌で、
ドラマのような、例えばトイレバケツとか、そういう度を越したことはしなかったけれども、彼女を傷つけてしまったのは事実である。

気が弱いくせに、性格が悪い自分。。
なんてタチが悪いのだろうか。

転機

そんな中、母親にも彼女について悪く話していた時期があったのだが、
そんな自分を見て母親が、自分を諭すように


「あなた、自分がそんなこと言われたらどんな気持ちするか、
考えてみなさいよ」

と言われたことがあった。
母とのそういう会話を繰り返す中で、ある日、
「自分、これ、よくないんじゃないか」とふと悟りを開いたように
こうした考えが舞い降りてきたことがあった。

自分のこれまでの行動を振り返ってみて、それをもし自分が言われたらどんな気持ちがするのだろう、とそこで初めて相手の気持ちを考えるということをしたらとても申し訳ない気持ちになり、これは彼女に謝るしかないと思ったのだった。

忘れもしない、授業も終わり、帰宅時のホームルームの時間。
教室にランドセルのロッカーがあったのだが、彼女がそこにランドセルを取りに行く瞬間に、自分もそこに居合わせることでわずかではあるが彼女と2人の空間が作れると思った。
そして実際にその通り実行し、彼女に「今までごめんね」という自分。
なんて言葉が返ってくるか、もしかしたら無視されるかもしれないし、受け止めてもらえないかもしれないし、正直そんなこと全く考えてもいなかったかもしれないけれど、彼女からは「もうしないでね」という言葉が返ってきてその日はそれで終わったのだった。

変化

それからの経緯というのは全く覚えていないが、
それで、ちゃんちゃん!って自分と彼女の関係は終わるかと思えば、
結果的に当時の私たちは相思相愛で大親友になった。
学校帰りはしょっちゅうその子と遊んでいて、プリクラを撮ったり、自転車でちょっと遠くまで行ったり、たまにはディズニーシーに行ったり。
彼女は、私が他の子と仲良くしていると
「○○(私の本名)がXXちゃんに取られそうで。。」と担任の先生にまで相談したことがあったそう。

彼女は小学生ながらとても成熟していて、懐が広く、今思うととても人格者だった。自分はこれまで彼女を傷つけていた身なのに、そんな自分に対しても優しく愛情をくれる彼女と一緒にいて、
「自分、このままだとダメじゃないか。自分も相手のことを考えて優しくしないとダメじゃないか」と思うようになった。
この経験というのは今の自分という人格のコアな部分を占めていると言ってもいいくらいだろう。
この経験がなければ今も自分は、相手の状況や背景、気持ちなんて考えず自分勝手で性格が悪いままだったかもしれない。そう考えるととても恐ろしい。

今思うと、自分はきっとその彼女に感謝と申し訳ないという気持ちはもちろんのこと、一種の尊敬の念と憧れる気持ちが徐々にで始めたのだと思う。
彼女の行動や言葉を第三者的に観察している自分がいたし、彼女の行動でそれいいね!とか納得できるところは自分も真似するようになっていた。
彼女が授業中挙手するような子だったから、自分もするようになったし、
クラスの委員長に立候補するような子だったから、自分も立候補してみたし、、、(結果失敗だらけで嫌な思い出だけれど。。)。

「お前、変わったね」

そんな中、小学1年生からほとんどずっと一緒のクラスで、割と仲が良くてよく話していた男の子がいるのだが、どういったシチュエーションか忘れたが、ある日

「お前、変わったね」

と言ってくれたことがあった。今でもすごく覚えている。

その時自分はそれに対して特に反応しなかったので(今思うとすればよかった。。!!)、彼がいい意味で言ったのか悪い意味で言ったのか正直いまになってもわからないけれど、
それまでのシャイで性格が悪く、人の気持ちを考えもしなかった自分が
授業中挙手して、発言したり、明るくなっていったのだから
もしかしたら周りの目から見ても自分の変わっていく姿というのが
顕著だったのかもしれない。

その男の子はというと、とても良いやつだった。
私とは違って元からとても優しいし、話していても楽しかった記憶がある。
今思うと、違っていたらめちゃくちゃ自意識過剰すぎて恥ずかしいけれど笑、
私のこと好きなのかな?と思った瞬間が結構あった。
だからもしかしたら、自分という人間を側から見ていて、彼が持っていた印象というのが変わったからそういう言葉をかけてくれたのかもしれない。
見てくれてる人というのは、見てくれているんだ。そんなふうに思った瞬間でもあった。

成長とは

変わる時には「人」の存在がある

先日のnoteでも「成長」というテーマで、
成長とは「変わること、それまでしなかったことをすること」というのを書いたばかりだったでした。↓

私は小学生の時のこの経験をしたことで
それまでの自分に対しての課題感、気づき、危機感を経て
結果的に変わることができたと思っている。
そしてそれは転校生だった友達の存在があってのことだった。

人生には辛いことが多くて、人との別れだったり、仕事での失敗だったり、
その後の人生に大きな影響を与えてしまうくらいの出来事もある。

自分のこれまで人生の転機は3回あって、そのうち初めての転機がこの小学生の出来事だった。
2回目は社会人になってから出会ったキャリアコンサルタントの存在。
そして3回目が、今現在進行形なので「転機だった」ともう解決したかのような言い方で断定はできないが、
確実に人生の中で大きな出来事、かつしんどい出来事が起こり、変化を迎えようとしている。

人生の転機はショックな”出来事”とか、出来事単位で起こることもあると思うけれど、その中でも「人」が介入した上での出来事が多いように思っている。
そして、人が大きく変わるときは自分がそうだったように、
人の存在があるように思う。

これから

今の自分は「あれがあったから今があるんだ」とはまだ言えないし、
まだ正直辛くてしんどい渦中にいるので、前向きに考えられないこともある。
けれど、この辛い気持ち、馬鹿にされて悔しい気持ち、もう奈落の底に突き落とされたような気持ちになった今、辛くても生きていかないといけないのは変わらないし、前に進むしかない。

そして、前にすすむためには、
今日の自分はありたい姿に向かっているか?
「はい」と言えるなら、そのまま続ける。
「いいえ」だとしたら、何かを変えてみる。
この問いを毎日1日の終わりに自分に問いかけ、
行動していくしかないのだなというように思う。

長々書いてしまいましたが、
ご一読いただきありがとうございました!








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