「毒親」という以上に「毒人類」だよなって

「毒親」という言葉に半分納得、半分違和感があった。
その違和感はいったいなんだろうとずっと思っていた。
(あくまで僕個人としてなので、毒親という言葉を使いたい人を否定する気持ちはない)

で、今はこう思う。
毒のある親がいるんじゃなくて、そもそも人間という生物に毒が備わってるんだなって。

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歴史を少しでも勉強すれば、人類が過去数千年数万年どれだけろくでもない環境破壊や生物殺戮をしてきたかがわかる。
人類だけがこの地球の支配者だと言わんばかりの傲慢さ。
ついにはこの地球すらも壊滅させられるほどの破壊兵器を開発してしまうほどだし。
自分の子供に暴力をふるう親がいるんじゃなくて、人類そのものが生まれながらにして暴力という毒を持っているんだと思う。

肝心なのは、毒を持っていることは悪いことじゃない。
自らに毒なんてない!と清廉潔白を装うこと、そして、毒に振り回されることが問題だと思うんよね。


2020年になっても人類のほとんどは自らが毒を持ってるってことを否認して生きてる。
いまだに戦争や紛争はあるし、ハラスメント、いじめ、虐待、DVなどなど加害行為はなくなる気配がない。

そう否認してしまう気持ちも分かる。
何冊も歴史書を読み漁って「自分が毒をもった人類の末裔なんだな」そう思うと、とてつもない罪悪感、無力感、喪失感、虚無感、消えてなくなりたい気持ちに駆られる。

けれど、毒を持っていることは悪いことじゃなくて、毒があることを否認すること、毒に振り回されることが問題だというところに落ち着いた。

なぜなら、毒がある生き物だけど、それだけじゃないから。
音楽、歌、文学、芸術、それらに日々感動し、心打たれ、泣き、笑い、救われている自分もやっぱりいるから。

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だから、毒人類の末裔である自分に宿された毒を「一つでも解毒出来たらいいや」と思って生きるくらいでいいのかなって。
このツイートを見て思わされた。

残念な親の影響力をなくさねば!負の連鎖を断ち切らねば!
僕自身もそう強く思っていて、そんな毎日が続くと「毒親とは違う私の正義」によって、自分自身が疲弊して衰弱していく感じがしてたのよね。
常にがんばっていて、張り詰めていて、抑制していて。

そうなると、生きてるよろこびもうれしさもおもしろさもなくなるんだよね。
それは自分で自分に毒を向けていることのように思えて、破滅的だなあと。

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自分には毒がある。
暴力性・加害性がある。
と認めることは自虐ではなくて、自己信頼につながるんじゃないかと思う。
人類という種に生まれてきたこの自分という存在を、まあそれでいいかって思える気がしてくる。

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