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私がわたしである理由24

[ 前回の話… ]


第十二章 大森中将の憂い(4)


同じ日の午後に遡る。
軍令部、大森中将の執務室を緊張の面持ちで訪れたのは軍務局二課長の日枝中佐だった。

「まあ、掛けてくれ給え。急に呼び出して申し訳ない」
いつもの様に穏やかな口調で大森義太郎中将は応接セットの椅子を勧める。
「はっ…何か、急な御相談でもおありですか?」
「ふむ…野瀬翻訳官たちの特務傍受班の事前報告は実に有益な成果を上げている様だな」
「はっ、恐れ入ります。いやあ、ほんまに大した拾いもんですわ。新任の技術兵の傍聴技術もですが、特に川出翻訳官の情報分析力は見事としか言いようがありませんわ。もっとも、折角の空爆情報も、肝心の迎撃の軍備は間に合いませんが…それでも、名古屋と大阪では被害者の数は相当抑えることが出来ましたよって」
「そうか。その後、彼らの動きはどうかね?」
「はあ…今朝までの報告では、19日には再び中部が狙われそうな気配があると…それと、今月末にはいよいよ沖縄本島への総攻撃が始まるかも知れないと…」
「次はいよいよ沖縄か…どうだ?食い止められると思うかね?」
「ある程度の期間は…ただ、正直それも時間の問題でしょうが…」
「もう、これ以上無駄な時間は掛けられないということだな…」
「どういうことですか?…」
「ふむ…」
義太郎は腕を組み、しばし俯いて言葉を探している様だったが、やがて顔を上げ日枝を直視した。

「日枝君、君は…儂を信頼しているか?」
「それはもちろん、上官として信頼申し上げておりますが…」
「いやいや、そういう意味ではない。この今の局面にあって、儂の人としての考え方に信頼を寄せられるかということだ。正直なところ、どうかね?忌憚のないところを聞かせてくれまいか?」
「自分は…中将殿だからこそお話しますが、自分なりに、この戦局については、既に結果ははっきりしていると思っとります。我が軍も連合国側も双方にとって、実際のところこれ以上の犠牲を出すことにはあまり意味を感じておりませんのですわ。はっきり言ってドイツももう長くは持ちませんやろ。この戦争は出来るだけ早く終わらせた方がいいというのが、正直なところです。そういう意味では、中将殿の直属で居られるのは、自分としては大変幸運だと思うております」
「国体についてはどうだ?今全面降伏すれば、国体の護持は望めんかも知れんのだぞ」
「今の国際法上によれば、たとえ全面降伏しても、日本の国家存続は望めるかと…国際情勢から見ても、今後は米国とソ連の覇権構造が世界を動かしていくことになりそうですから、連合軍としても容易く日本を解体は出来ないでしょう。元々国体とは日本国民の民意に基づいている筈です。たとえ占領されても民意を消すことは出来ません。あとは陛下がお決めになることかと…」
「ふむ…陛下ご自身のお考えとほぼ一致しておる…前にも話した様に、陛下のお気持ちも何とか終戦の道筋を探そうとしておられる。その大きなきっかけとなったのは、紛れもなく特務傍受班の空爆報告なのだ。報告はほぼ正確に爆撃の場所も規模も予測されていた。それにも関わらず我々にはそれを防ぐ手立てが何もなかったことに酷く御心を痛めておられるのだ。分かるか?」
「はっ…ご心痛を思うと、忸怩たる思いであります…」
「いいか?これは私にとっては千載一遇の機会を得たとも言える。陛下の背中をもうひと押しすることが出来れば、一気に体制は終戦へと向かう筈だ。そこで、儂と考えを同じくする君に是非とも協力して貰いたいのだが…」
「どういうことでしょうか?…」
「今、君たちにやって貰っている事を、更に大きく進めて欲しいのだ。しかも速やかにだ」
「勿論、全力を尽くして進めるつもりでおりますが、現状以上の成果は…」
「不可能か?…それが、可能なのだ。儂は、いや我々は実は大変な人材を得ていたのだ」
「大変な人材とは?…一体…」
「詳しいことは今夜はっきりする。今夜、その人物を儂の家に呼んでいる。君も既に良く知る人物だ。本日業務を終えたらその足で儂の自宅の方に来てくれんか?いや、必ず来て欲しい。今後の我々の目標をはっきりさせることになる」
「はっ、畏まりました…」


潤治と誠司の2人は、灯火管制の進む恵比寿の住宅地の暗い道を歩いていた。
明らかに2人分の足音が背後から2人を追っていることは明らかだった。
2人は、なるべく会話を交わさない様に、ひたすら大森家を目指す…

潤治たちを尾行していた私服の男たち2人は、潤治たちが警備兵たちに守られた大森家の門を潜る姿を少し離れた物陰から見ていた。
「大森中将殿のお宅だな…俺は近くから報告を入れて来る。お前はここに残って様子を見ていてくれ。いいか?川出潤治から決して目を話すな」
ソフト帽を深く被った細身の男が、体格の良い若いもう1人に声を押し殺して囁く。
「はっ、畏まりました」
1人は早足で暗闇の中に姿を消した…

「まあ、誠司坊っちゃま、いらっしゃいませ」
広い玄関で嬉しそうに2人を出迎えたのは大森家の女中のりくだった。
「どうも夜分にすいません。お祖父様はご帰宅ですか?」
「ええ、旦那様は先程お戻りになって、奥で御着替え中です。応接の方に御通しする様に言われていますよ…」
「あ、こちらは川出家の縁戚で潤治さんです」
「はいはい、伺っておりますよ。ようこそお越しくださいました。女中のりくと申します。どうぞどうぞ、お上がりになってくださいまし」
「じゃ、潤治さん…」
「はい、失礼いたします」


「いやあ、川出翻訳官、急にお呼びだてして申し訳なかったねえ」
和装に着替えた大森喜太郎中将は、2人が待機していた応接室に柔かな表情を浮かべて入ってきた。
「いえ、私の方の事情をお知りになりたい旨、誠司さんから伺いました。どこまで信じて頂けるのかは分かりませんが、今日は私の時代から持ち込んだものをご覧になっていただこうと、持参いたしました。よろしくお願いいたします」
潤治が緊張の面持ちで頭を下げる。

「まあまあ、まずはお茶でも飲んでゆっくりしてくれ給え。概ねの事情は先日誠司くんから聞いている。無論、驚くべき事だ。そして儂もその確証をこの目で見たいのだ。色々と考えた末、今日はこの席に立ち会わせたく、実は儂の一存でもう1人呼んでいる。何しろ今は日本の未来の為にも、一刻を争うのだ。一気に、速やかに事を進めなければならん。いいかね?」
「それは…一体どなたなんでしょうか?」
「うむ。君も野瀬くんも良く知る人物だ。間も無く訪れる筈だ。話はそれからにして貰おう」
「あ、はい…承知致しました…」


ものの10分足らずでその人物は訪れた…

「旦那様、軍からのお客様ですが…」りくが義太郎に声を掛ける。
「ああ、構わん直ぐにここに通してくれ」

「失礼致します…」応接室の入り口で敬礼をしたのは軍服姿の日枝中佐だった。
「あ、中佐殿…」潤治が驚いて立ち上がった。
「川出くん…重要な人物とは、君のことだったのか…」
「あの…こちらは?…海軍省の方ですか?」
軍服姿の将校を見て表情を強張らせたのは誠司だ。
「誠司くん、大丈夫だ。こちらは僕や野瀬さんの上官に当たる日枝中佐殿だ。中将殿と同じで、戦争終結に尽力していらっしゃる方だよ」潤治がそっと口を添えると、誠司は成行きを義太郎に任せた。

「これは儂の孫で川出誠司という。こちらは軍務局の日枝中佐だ。挨拶をしなさい。大丈夫。彼は潤治くんの直属の上官で、我々の味方だ」
「あ、はい…初めまして。川出誠司と申します。いつも祖父がお世話になっています」誠司は深々と頭を下げる。
「はあ、どうも…日枝と申します。いや、しっかりした立派なお孫さんですなあ…と、いう事は川出翻訳官はこちらのご親戚という事なんですな」
「まあ、そういう事だ。実は、この川出潤治くんは儂のひ孫という事らしい」
「は?…ひ孫…ですか?…はは…いや、仰っている意味がよう分からんのですが…」
日枝は何かの冗談に聞こえたのだろう。思わず苦笑を浮かべる…

「いや、日枝くん、儂も孫から聞いた時はにわかには信じられなかった。だが、どうやら本当の事らしいのだ。今日はその事実の証拠を持参してきて貰っている。儂もそれを見るのは初めてなのだ。これがもし事実なら、我々は千載一遇の機会を得たことになると儂は思うのだが…どうだ?まずは黙って、その証拠とやらを見せて頂こうではないか」
「はっ、細かい事はよく分かりませんが、中将殿がそう仰るのであれば…」
「では、潤治くん、早速初めて貰えんか?」
「分かりました…」

潤治は傍に置いたカバンの中から手早くノートパソコンを取り出し、電源を入れた。
「な、何かね?それは…」
義太郎は見たこともない薄い電子機器のモニターに映し出される鮮明な画像に目を見張る。
「これは、私が70年以上未来からやってきた事を示すものです。この時代に飛ばされた時に偶然私が持っていた仕事の道具の一つです。中将殿や中佐殿がどの位科学技術について知識をお持ちかは分かりませんが、今の時代にはない未来の技術が詰まっています。まずはこの機械が何をするものなのか説明させてください。そこからだと見難いですから、どうぞこちらに座ってご覧ください…」

潤治はパソコンの機能の説明から始め、そこに記録されている膨大な情報、そして、未来の日本で人々がどの様な生活を送っているかを大まかに説明した。
義太郎も日枝も、ただ黙ってその説明を聞く以外反応のしようがない様子だ…

「で、お話を本筋に進めましょう。私は未来の世界では文筆業を生業としていました。その中で一時期太平洋戦争…あ、つまりこの大東亜戦争の記録を文章にする仕事をしたことがありました。その時の資料、つまり歴史の記録がここに保存されているんです。ええと…この辺りのものがそれです。多くの画像も含まれています。今は昭和25年3月…ここからの記録をざっと追っていってみます…」

潤治の説明は、日本各地の大規模な空襲の記録、硫黄島の玉砕、ドイツの降伏、6月まで続く沖縄戦、そしてポツダム宣言と広島・長崎への原爆投下、ソ連の日本への宣戦布告、日本の無条件降伏…さらに5年に及ぶGHQによる占領時代、ソ連の台頭と東西冷戦の進化、朝鮮戦争による日本の経済復興…と、終戦への経緯と以降数年に渡る日本が辿る運命について、画像を混じえながら説明を行った。

途中、日枝中佐は幾度もより詳細な説明を求めて、話を遮ろうとしたが、その都度義太郎に諌められ、潤治は中断なく話を終えることができた。

「お祖父様、如何ですか?今日はここにはありませんが、大人になった僕と僕の息子の潤治さんが自宅で一緒に写っている写真もあるんです。僕も野瀬さんも信じざるを得ないわけ、分かって頂けますか?」
「これは…信じるしかなさそうだな。どうだ、日枝くん…」
「ほな、あれは、予測や分析じゃあなくて、事実だったっちゅうことですな。そら、的中する筈や…しかし、何で野瀬くんも君も儂に話してくれなかったんや…」
「日枝くん、それは無理だろう。日本が負ける事実を軽はずみに軍部の人間に話したら、どうなるのか…慎重になって当たり前だ。しかし、軍属に潜り込むとは…野瀬くんも君も天晴あっぱれとしか言いようがないな…はは…いや、見事だ」
「いえ、何とか身を守ることに必死だったものですから…かといって、川出家に迷惑を掛ける訳にもいきませんし…でも、誠司くんには大変助けられました。感謝しております」
「そうか…まあ、そのお陰で、我々はとんでもない情報を手に入れることが出来たわけだ」
「確かに…その通りですな…今、日本が全面降伏したとしても、国体は守られるということですから」
「ふむ…問題は、これをどうやって陛下にお伝えするかだ。宮内省の壁は容易くはこじ開けられんからな…やはり、当面は正式な傍受情報という形を取るしかないだろう。ただ、我々は大きく前進したということは確かだ」
「早速、野瀬くんも混じえて、急ぎ今後の報告について考えてみますわ」
「そうしてくれ給え。潤治くんも協力を宜しく頼む。ただ、ことが進み陛下のご意向がはっきりし始めると、いよいよ反対派の圧力は凄まじいものになってくると思う。くれぐれも用心してくれよ。特に誠司は危うきには近付かんように」
「はい、心掛けます…」
「そういえば、こちらに伺う時にも、何や門の外で怪しい鼠がうろちょろしとりましたわ」
「どうせ、私服憲兵だろう。潤治くん、その機材を抱えて帰るんなら、日枝くんに送って貰いなさい。さすがに軍用車には手は出さんだろう」
「はい…ありがとうございます…」

潤治が礼で応えると、義太郎は再び真剣な眼差しを向けて、質問を付け足した。
「最後にひとつ尋ねていいかね?」
「はい?何でしょうか?」
「ここにある君の時代の記録だが…この時代でその歴史を書き換えることは出来るものなのだろうか?」
「……さあ…それは、私にも分かりません……」


つづく…


この小説では、本年7月に急逝されたイラストレーターのTAIZO デラ・スミス氏に表紙イラストを提供して頂いております。
本編掲載中は氏のイラストを使わせて頂くことと致します。





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