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それでも、学校のやさしさを諦めたくない

息子を、二週間ほど小学校へ送迎した。

朝、玄関まで行くと、クラスメイトがじりじりと寄ってきて
「オレが水筒をもつよ」
「ぼくが習字バッグもつよ」とケガをした息子の荷物を奪い合うように運んでくれる。
私は二日ほど、息子を教室の前まで送ったけれど、この日を境にお役御免。
ありがとう、お願いねと言ってクラスメイトに息子を託す。

ある日、私の仕事の時間が押してしまい、放課後の迎えに10分ほど遅れてしまった。保健室には、運動場でケガをした子どもが訪れるために、小さな玄関がついている。その玄関の前で、息子と友人、そして息子の担任ではない先生が腰かけて待っていた。
「迎えがこないっていうから、心細いかと思って」と、先生。
わあ、ありがとうございます。お手数おかけしました。と言って、私は息子を引き取った。
「ばいばーい!」子ども同士が大きな声で挨拶を交わす。


小学校は優しさであふれている。


そりゃ、「優しさ」なんてものは、いつもいつでもではないだろう。
でも、ケガをしている息子に気を回してくれる友人がいる。先生もいる。
それだけで私と息子には十分だ。

昨今、SNSやインターネットでは
「日本の教育は終わってる」
「子どもの担任がハズレ」
「教員って世間知らず」
「公立の義務教育が、同調圧力」
などなど、心無い言葉が飛び交う。

「小学校の教育で足りないものは、家庭で補う」
教育熱心な親からは、そんな言葉まで出てきている。

「足りない」って何?

私たち親は、学校の先生に何をどこまで求めるんだろう。

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私が小学校3年生の時、産休代理で若い男性の先生が担任になった。初めて担任をもったというY先生は、たいそう張り切っていた。休み時間は子どもたちと一緒に走り回り、本を読み、放課後はリコーダーの練習やサッカーの練習に付き合ってくれた。

そして夏休み。「Y先生のカレーパーティ」と称して、子どもたちを自宅に順番に招き、手製のカレーをふるまってくれた。先生の家に行けるなんて! 私には、ウキウキしながら先生の家を訪ねた記憶が残っている。

Y先生は1年で転勤になった。

当時のY先生の雇用形態はわからない。子どもだった私は、寂しいけど先生の転勤は学期変わりの行事だと、すんなり受け入れた。でも、私が大人になってから聞いた話によると、Y先生は、学校から「ほかのクラスの先生と同様に、子どもと接するように」と言われたらしい。
一部の親から、あのクラスばかり行事をしてずるいと声が上がったのだ。

学期末、Y先生は私のクラスの保護者に、「残念ですが、このクラスでの時間はとても楽しかったけど、ぼくのやり方はマンモス校では合わないようです。もっとこじんまりした学校で発揮できればと思います」と話をしていたそうだ。


★★★


つまりは、そういうことだ。
平等に、平均的に、普通に、当たり障りなく。
長年、学校の先生たちは、親からの「えこひいき」の言葉に振り回されてきた。
理想を掲げて教壇に立つ年若い教師に、窮屈な思いをさせてきたのは子どもたちの親だったのではないだろうか。

「公立義務教育」の史実の中で、改革を起こそうした公務員の先生はたくさんいただろう。
しかし、公立学校における母体は、行政や自治体だ。
社員数十人ほどのこじんまりとした会社でさえ、改革には時間を要する。
それが教育委員会、強いては国が相手では、一筋縄ではいかないのは容易に想像できる。

子どもに個性があるように、先生にも個性がある。
子どもの多様性を尊重するなら、先生の多様性がもっと大切にされてもいい。教員が行政や自治体のしがらみから解放されれば、それはきっと子どもたちにも伝わるはずだ。

「担任がハズレ」
そんな乱暴な言葉で片付けずに、対話をしてみてほしい。
人間相手に「ハズレ」だなんて、あまりにも悲し過ぎる暴言だ。


★★★


働き方や育児は、この20年で少しずつ、そして大きく変わってきた。
教育だって例外じゃない。
中学校ではLGBTについて積極的に取り上げている。各地のフリースクールも活発だし、子どもを支援するNPO企業も増えてきている。
20年前なら考えられなかったことだ。
国という大きな組織に立ち向かい改革を起こす人が、そしてそれを受け入れる人が公務員の中にも出てくるはずだ。

あの巨大組織の中枢に訴えるには、少し時間がかかるだろう。
時間がかかりすぎるから、行政や自治体から離れた支援機関が発達してきているのだ。それは痛いほどわかる。

現状の国の教育体制に、どうしても共感できない人もいるだろう。
もしかしたら、学校という場で、人として許せない状況を味わった人もいるかもしれない。

それでも、私は今、目の前にある「学校の優しさ」を諦めたくない。
人の優しさ、そして先生の教育者としての子どもたちへ愛情を信じたい。

私は、私にできることをコツコツと続けるだけだ。


次の20年を終えた時、またきっと、違う公立義務教育の形が生まれていることを願って。

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