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100のきりくち+

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1分で読める「たしかに、こんな切り口もあるかもなー」という戯言集。 100本を突破したので「+」(プラス)です。 (どこまで行くかな...?)
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#きりくちぶろぐ

「正解」に殴られて、苦しんでいる人へ

ちょっと今日はわかりやすさを無視して書きたい気持ちなので思いつくままに書かせてほしい。読みづらいと思うけど、わかってくれると嬉しい。 「ビジネス系つよつよの人たち」の文章や動画などを見るたびにどうしても違和感が拭えなかった。 言ってることはわかるけど、すっごく苦しくなる。 色んな角度から話しているけど、結局は「ビジネスで成功するためには、こうするべき。ほら、俺は成功しているでしょ?」を手を変え品を変え伝えているんじゃないかな? これがなんというか、、吐きそうになる。

自分を褒めてくれる人を見下す人たち

note書いて「今回のnoteすごく良かったよ!」って言ってもらったのちゃんと受け取れてる?心から喜べてる? 「いやいやー、私の書いたものなんて、、」 とか言ってない? 謙遜しているように見えて、それは傲りだよ。 人はみんな、来るべきタイミングで、来るべき物事に出会ってて、それがあなたの文章だった。すばらしい、うれしい!やったー!それでいいはずなのに。 この謙遜もどきは、「こんなもので良かったなんていうあの人たいした人じゃなかったんだな」という思想に通じてて、そ

遅刻に厳しい人は、よく遅刻する

time is money という言葉、昔の人も時間大事にしてたんだなーと思いつつ、いやいやお金てw もっと大切でしょ時間って、という気持ちも芽生えつつ。 最近ちょっとわかったんだけど、遅刻したときめっちゃ怒ったり不機嫌になる人ってその人自身もよく遅刻するよね? これどういうことかというと、 遅刻される→自分が遅刻するときのことを考える→まだこれくらいでいいか、出るのちょっとくらい遅れてもいいかと思ってる=相手のことを雑に思っている→つまり、遅刻してきた相手は自分のこ

暇で在るというタスク

ふじたさんがいいこと言ってた これは僕もかなり意識している。 特にここ最近。 時間的にも、精神的にも暇であるためには不断の努力をしていると言えるかもしれない。実際には自分でやりたいことも、他の人に任せたりするくらいは徹底している。 これ理由もあって、「余白」あって暇な時に不意にやったこととか、誘われて動いたこととかに、すっごく大切なことや人たちに出会ってるんですよね。 なので、ここからは野暮。 野暮かつ、ちょっと説明し辛いんですが、「暇である」からといって「雑に扱っ

分かち合いたい

自分とも世界とも向き合うのがうまい友達と話してたとき 頭でわかってて、口ではそう言ってるけど、心の奥底ではそんなふうに思えてない事って、その在り方を試す形で現実がくるよね と。 めっちゃわかる。。 合理的な脳が見せる現実は、いつも合理的。 最近だと、僕は結構「人を雑に扱う」ということに対して憤り的なことを覚えることが多いし、一貫してその姿勢を通してると思っていたんですが、「丁寧に扱われてないと感じる」という趣旨のことを言われてトラブルになることがあった。なんなら続いた。

情報だけじゃ太れない

「パラサイト 半地下の家族」って映画を観た。 韓国の半地下で生活する家族を裕福な家族と垂直で比較しつつ描いてて、非常によくできたものだったので満足。 そんな中ふと、無駄って大事だなーと。 考えてみたら、パラサイトで伝えてる情報なんて上記の半地下で生活する家族がいるよ。それを同じコミュニティで生活させることの恐怖と喜劇の話だよ、程度。 2文で終わっちゃう情報、秒で読めちゃう情報を、2時間半にわたりあーでもない、こーでもないと描いてて、まー要は無駄だらけ。 でもだからこそ誰か

相談にのってて8割話ししてちゃダメだよね

実は相談に乗ることが多い。 偏屈そうな僕によく相談事なんか持ってくるももんだ(ありがとう)。 せっかく相談してくれてるんだから、その時間を最高にしようと脳をMAXで働かせているんだけど、自分の話が増えてる時は決していい状態ではない。 「今日はいいこと言えたなー」 と思ってる時は大体ダメ。 比率としては、自分の話:相手の話=5:5ならもうだめ。4:6でも厳しい。3:7でギリ。 2:8くらいがちょうどいい。 5:5とかになってるときは、自分の考えに固執してるときだから

いま大学生なら何する?→傾倒してる人たちに会いまくる!

仲良くしてる大学生から 「やまださんがいま大学生なら何やります?」 と言われたので考えてみた。 たぶん、アートにめっちゃ触れるか、アートやエンタメや哲学に傾倒してる若い人たちに会いまくると思う。 大学から10年経ってて一番感じるのは、当時出会った人たちのボラティリティの高さ。 どーなってるかわからない人が、年齢という観点だけで同じカテゴリに入れられるという稀有な時期が学生時代じゃあるまいか? 年を重ねれば重ねるだけ、出会い同年代のボラティリティは小さくなる。ま

【2020年版】楽に稼ぐためのたった1つの方法

twitterのDMやその他もろもろで定期的に 「楽に稼ぐためにはどうすればいいですか?」 という相談が来る。 コピペじゃなかろうかと思うくらい全く同じ文面。すごい。 めんどくさいなーと雑に扱うのもいんですが、この間ちょうど集まったメンバーがみんなそれぞれ面白い人らだったので、ここを真剣に考えてみることにした。 「いま、最も楽に稼ぐんだったら、なにをする?(善悪緩め)」 ①金貸し 100万円借りて、金を貸して増やして行く。短期でのキャッシュに困ってる人は思ってる以

twitterと塾は一緒

たまに友達の結婚式に行くと、twitterの利用率の低さにびっくりする。 そういう言い方すると、「twitterやってないとか遅れてるーw」的に聞こえるかもだけど、そんなことは微塵も思わず、むしろ逆で「ああ、twitterの世界せっま!」である。 彼ら彼女らが取り組んでる、それぞれの活動はリアルの場でしか聞けない貴重な話。 twitter含め、たしかにインターネットは情報を拾い上げてるけど、そのどこにもない情報や考えみたいなのものを知りたかったら人に会うのが良さげね。横着

キャラ経済という数値化できない新しい経済

数値化できるものは基本的は陳腐化する。 わかりやすいところでいうと、お金で買えるものは、まーいうてもお金で買えるわけで、だったらなんにでも変換できるお金もっとけばいいよねってなる。 さらに前澤さんのお年玉以降、フォロワー数もお金で買えること分かったから、それも基本陳腐化して行く。 評価経済という言葉で表されることも多いけど、お金で買えちゃうものはお金以上の価値を持ちにくくなるよねってことだから、評価経済かどうかってあんまり重要じゃないんじゃないかな。 そんな中、西野さ

理想の生活だと「置きにいく」

基本的に不満のない生活を送っている。 いや、それどころか仕事は楽しいし、息子の笑顔を見ると死ぬほど癒されるので、めちゃくちゃ充実しているとさえいえる。 「ああ、今の生活いいなー」 と思う。 ただ、そんな時だからこそ、 この生活が奪われないように、、、 という無意識の防衛本能が働いているのを感じる。つまり、挑戦を減らして、変化を受け入れず、「今」を守ろうとする。 「今が幸せなんだからいいんじゃないの?」 とも思えそうだけど、それは周りが一切変化しない場合にのみ言え

100回勝負するならアウトプットから

読書したり、人に会ったり、SNSを眺めてたりするとおもしろいけどすごく疲れる。 おそらくこれはインプット過多。 んで、それに気付いた人たちはアウトプットするようになる。それは日記なのかもしれないし、ブログなのかもしれないし、仕事、絵、音楽かもしれない。インプットとアウトプットのバランスがいい時は心穏やかだし、生産性も高い。 この時の順番は、 インプット → アウトプット では、これを反対にしてみるとどうなるだろうか? アウトプット → インプット である。

「おなじ考え」じゃないと嫌われる、という嘘

色々発信していてわかったのは、 「あーこれこの人の考えと対立するなー」 とか 「これもしかしたらあの子が気にするかも」 とか、自分の考えや思想の一部が他の人に伝わった時、その人にネガティブな影響を与え、結果その人に嫌われるのではないかという恐怖があり、表現を変えたり、投稿しなかったりしているということ。 ・・・意外だった。 自分の考え結構好きで、間違うこともあるけど、それでさらに深まるのが堪らないと思ってる僕でさえそうなんだから、きっと同じように発信しない選択をして