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徒然雲 秋の夜長の積読崩し

積読・・とはよく言ったもので
読もう、読みたい、と入手したままどんどん積まれていく本。
目的の本を探しに本屋に行って、その目的の本だけ購入で帰ることが
まずワタシにはない。
好きな作家チェックや、あ行〜わ行まで片っ端から目で追って
何かピピっときたもの、タイトルが気になるものなどがピックアップされ
レジに一緒に行くことになる。

なのでいつしか積み上げられ、積まれた下から読むわけでものなく、
気が向いた時に思い出したように引っ張り出され、
”だるま落とし”のようにスコンスコンと崩れていく。


絶賛積読中!
読まれ待ち本



積まれずに済んだいくつかの本を何冊か読み終えたのだが
いつも読む小説ではなく、珍しく新書系が続き
かなり新鮮で面白かったのだが
難解な部分も多く、感想をどう書き表したら良いのか
ワタシの稚拙な文章力では困難で、ずっと投稿できず・・・

全く書評にはならないので、まあ読んだ記録ということで投稿。


少し前に投稿した、量子力学の話で勧めていただいた
田坂広志氏
数ある著書の中から選んだ『死は存在しない

確かにとてもわかりやすい文章で、特に前半は著者の体験する
「意識の不思議な体験」の話で、かなり優しい切り口。

そしてそれらの奇跡的な体験や現象が、
著者が示す『ゼロ・ポイント・フィールド仮説』に結びついていく。

さて、ここからが徐々に???の世界に。
文章はとにかくシンプルでわかりやすいのですが
この『ゼロ・ポイント・フィールド』なる場所?空間?次元?が
わかるようでわからない。

現在起こるすべての事象がゼロ・ポイント・フィールドに記憶されていく。
それは人の体験、記憶も。
ここがもう、どういうこっちゃ?
コンピュター的なハードディスクでなく、どういうところにどうやって
この世の中に起こっていることが記憶されていくのか。

ただ仮にそれがそうと納得したとすると、色々なことがスッキリしていくのも確か。
それがタイトルの『死は存在しない』という究極の事実になる。

とにかくポイントは

ゼロ・ポイント・フィールド』!!




そして、ついでに見つけたのが

古代から来た未来人
中沢 新一

もうこの背表紙を見た時、なぜかゾゾっと!

ワタシが学生時代の専攻は建築学であったが
一般教養でかなり興味を持って受講したのが”文化人類学”だった。
ちょうどその頃話題になり始めたのが「中沢新一」
彼の書籍をいくつか読んだが、かなり難解だった記憶が。
チベットの話、宗教の話、当時のワタシにはとても理解し難かった。

それよりも印象的だったのが、当時村上龍が司会のトーク番組があり
そのゲストに中沢新一、大好きな近藤等則、そして村上龍の3人の対談があった。
この話をするなら、別投稿したいところだが・・・特に近藤等則については

今思うと、当時40代そこそこの彼らの話がとにかく面白く、かっこよかった!
それぞれ強烈な個性を持つ学者、ミュージシャン、作家の知性の
ぶつかり合いのような酔っ払いトーク。
あ〜大人のオトコ、かっこいいな〜となぜか憧れた。

そして、その時に出たワードで今でも鮮明に覚えているのが

micro とmacro のcorrespondance

やはり、この本でも折口氏の考える「古代人』を森羅万象
『象徴の森』と繋げていて、なるほどと思った。


そんな中沢新一が影響を多大に受けたというのが
折口信夫だった。

勉強不足で、そこまでは知らなかった。
そしてこんな本を出していたとは。

これは感想がかなり難しい。

中沢新一が、折口信夫の民俗学の中で折口氏が名付けた
まれびと』の学説論と芸能論、そして神道、仏教について綴っている。
後書きを読むと、前半はNHKで2006年に放映された
『私のこだわり人物伝 折口信夫』のた目のテキスト用の文章で
最後の章だけが、この本の書き下ろしとのことだった。
どうりで、最後の章だけなぜかしっくり頭に入ってきた。

ワタシの民俗学の知識がまだ追いつけないが、
ここしばらく神社仏閣に足を運び、その歴史や思想を素人かじりの範囲でも
いろいろ見聞きしたり読んだりしたことで、だいぶ理解度が上がった。
もう一息!(笑)

この本の終盤に出てきた『ムスビ』『ムスビの神』の話。
生命のない物質に魂が宿ると、生命が動き出し 物質と生命と魂が
互いに緊密に「結ばれていく」
物資生命の三位一体構造。

それをキリスト教の三位一体(『緑の資本論』)の資本主義と経済原理に
結びつけるところが中沢新一らしい。
これがわかるようでわかりにくくしてくれる中沢節。

人類の思考に普遍的なムスビの神のような神の活躍が必要なのである

と最後締めている。


この本を読んで、折口信夫の予習ができた。
なんとなく彼の思想的なことがわかり、
本でも触れていた『死者の書』へ挑むことにする。



ムスビで思い出す、ずっと気になっているむすびが。

天川大弁財天の三魂(みむすび)

生魂「いくむすび」 万物を生み出すいきいきとした生命力の状態  
足魂「たるむすび」 働きが満ち溢れて(充足している)状態  
玉留魂「たまずめむすび」 全体が統一され一体になる魂の状態

魂の進化に重要な要素とのこと
それを三つに繋げて鈴になっている。
五十鈴、このいわれは天照大神につながるが


天川大弁財天のガラガラ



この五十鈴の形、三環鈴と同じ。
この三環鈴が気になってしょうがなく橿原考古学博物館(研究所附属)に
行ってきた。
やはりあった。
でも特に特筆するべき内容の説明はなかった。
調べてもあまり詳しい説明がない。

古墳時代の5世紀頃だけにしか作られていない
用途も馬具だ、甲冑の一種かと未だ明らかになっていないとのこと。

三環鈴
青銅製




言えることは、古代から3つの何かの繋がりが
何か意味を持っていたこと。

わからないなりに、いろいろ繋がったり理解できたりするのが
歴史と科学の面白いところ。




すっかり夜が長くなり、外好きのワタシには活動時間が短くなり
寂しいところだが、
その分、積まれた本たちを読む時間にしよう。



ちなみに併読中の本

毎朝の写経の般若心軽の意味わかってないかも・・・
と優しい解説本で勉強。

へぇ〜そういうことを言って・・・



読みかけだったのを思い出し・・・

やっぱりスキ



読まれ待ちのみなさん、しばしお待ちを・・・
なんなら、手をあげて主張したほうがいいかも?!




朝晩の空気が冷たくなってきた 寒露の候


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