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アラサー独女の偏屈解釈・太宰治「ヴィヨンの妻」


太宰治といえば「人間失格」や「走れメロス」が有名だけども、「ヴィヨンの妻」という作品、聞いたことがあるでしょうか?

個人的には、登場人物の誰にも感情移入できないんだけど、なぜだか何度も読みたくなる、不思議な魔力を持った作品だと思ってる。

登場人物がいけ好かないのに、なぜだか何度も読んでしまう。これは、嫌いなヤツのSNSをついつい覗いちゃう感覚と似てる。「うわっ、こんなこと言ってる、プププ」ってしちゃう感覚。

……待って、今イヤな奴だなって思いました?正解です、性格悪いのは自覚してるんです。ですが、よければもう少しだけお付き合いください。

嫌いな奴のSNSチェックは100%ムダだけど、「ヴィヨンの妻」を読むのは読書という大義名分があるからイイよね。1時間弱でサクッと読める短編なので、未読の人にぜひ読んでほしくてこの記事書いてます。

小説の世界には「いやなミステリー」略して「いやミス」というジャンルがあるけれど、その原点のような作品。イヤな気持ちになりつつも、人間の心の闇を突いていて、ついつい読み進めてしまう。このモヤモヤを、ぜひ「ヴィヨンの妻」で感じてほしい。

ということで、サクッと内容の紹介しておきます。

サレ妻・さっちゃんの成長物語


サレ妻って聞いたことありますか。夫に浮気されている妻のことを指す言葉なんですって。イヤな言葉ね。「ヴィヨンの妻」は、さっちゃんというサレ妻の女性(26)が、年上のダメ夫・大谷(30)の行いに翻弄されつつも、たくましく成長していく物語。

タイトルの「ヴィヨン」は夫の名前ではなくて、フランスの詩人フランソワ・ヴィヨンから。彼のフラフラと過ごす生き様が、さっちゃんの夫で同じく詩人の大谷に似ていることから、つけられています。

物語の始まりは、そんな大谷がいつも通り、深夜に酔っぱらって帰宅するところから。

あわただしく、玄関をあける音が聞えて、私はその音で、眼をさましましたが、それは泥酔の夫の、深夜の帰宅にきまっているのでございますから、そのまま黙って寝ていました。

いつも通りの帰宅かと思いきや、なんだかあわただしい大谷。さっちゃんが不思議に思っていると、大谷行きつけの料理屋のご夫婦が、後を追うように訪ねてきます。

起きてきて、ご夫婦に事情を聞くさっちゃん。すると、大谷が店の金を盗んできたことが判明

大谷は、ご夫婦との「返してください」「返すもんか!」の応酬の末ナイフを持って脅し、そのまま逃げてしまったので、結局さっちゃんが「自分がどうにかするから、警察沙汰にはしないで」と言ったところから話は展開していくんだけど。

なんだろ?なんかいけ好かないのよ、さっちゃん。


わたしにはさっちゃんが、これまで自分が気づいていないだけで、周りの好意に助けられて何となく生きてきた、あまあまの甘ちゃんにしか見えなかったのよ。

あ、初めに断っておきますが私、とてもうがった見方をしてます。もし太宰治ファンがこの記事に迷い込んでいたら、アラサー独女の戯言だと思って流してほしい。

話を戻します。でね、なにがいけ好かないかって、なんとかするって言ったクセに、けっきょく妙案が浮かばずに寝ちゃって、翌日ノーアイデアで料理屋に出向いてこれ。

「あの、おばさん、お金は私が綺麗におかえし出来そうですの。今晩か、でなければ、あした、とにかく、はっきり見込みがついたのですから、もうご心配なさらないで」

良い顔をしてるけど、要は時間稼ぎよね。「こんなこと、よくぬけぬけとー!」と思ってたら当然、料理屋のおばさんも半信半疑で。それに気づいたさっちゃん、続けてこんなことを。

「おばさん、本当よ。かくじつに、ここへ持って来てくれるひとがあるのよ。それまで私は、人質になって、ここにずっといる事になっていますの。それなら、安心でしょう? お金が来るまで、私はお店のお手伝いでもさせていただくわ」

怖い怖い。そんなアテひとつも無いじゃん。どうもならんかったらどうする。さっちゃんの「信用して攻撃」は、この後も続く。

「いいえ、それがね、本当にたしかなのよ。だから、私を信用して、おもて沙汰にするのは、きょう一日待って下さいな。それまで私は、このお店でお手伝いしていますから」

めっちゃ押しが強い。これじゃあ料理屋ご夫婦も断れないよね。

でね、色々あって。料理屋のご夫婦にお金が戻り、万事うまくいくんです。で、さっちゃんが上で紹介したような口ぶりだったから、2人はさっちゃんの手柄だと思い込んでしまう。

あー、もう!こういう人って現代にもいるんだよね。なんだかんだで万事うまくいく人。で、株が上がる人。言霊が強い能力者なのか?それとも前世が菩薩で、今回はそのボーナスタイム人生とか?

あれ?でもさっちゃんは巻き込まれただけでは?


でも、夫がまいた種じゃんって思ったさっちゃん擁護派の、そこのあなた。まあそれもそうなんだけどね。大谷も大谷で、すべての事柄が自転車操業。とんだギャンブラー。時の流れに身を任せすぎ。

早くに母親を亡くして、父親のおでんの屋台を手伝っていたさっちゃん。大谷はそこに客として出向くうちにさっちゃんと恋仲になって、さっちゃんが妊娠して、今。籍も入れず、なんとなく一緒に住んでる。

3歳になる息子には少し障害があって、育児で誰かに相談したいことがたくさんあるのに、大谷は酒を飲み歩いてほとんど家に帰らないときた。

こりゃあ、さっちゃんも病むよね。もう「自分でどうにかしないと!」という気持ちを持てないくらいに疲れ切ってるのかも。年上の夫がこれじゃ、その背中を見て過ごすさっちゃんも、時の流れに身を任せて生きることに違和感とか無いんだろうな。

この夫婦はこれからもずっと、周りの寛大さに甘えながら生きていくんだろう。

気分を変えて、「ヴィヨンの妻」のテーマを考えよう


さて、長々と登場人物が気に食わんと書いたのですが、そんなことは実はどうでもよいのです。単に自分のモヤっとした感想を吐き出したかっただけ。

「読んでみようかな」って思う人が増えたり、感想として多い「たくましい妻!元気をもらえる!」みたいな感性に共感できなかった、偏屈なマイノリティに刺されば満足

純文学なので、話の内容よりもテーマに目を向けてみたいなと。「ヴィヨンの妻」のテーマは「これまでのどうしようもない人生を、これからも生きていくためにどう咀嚼するか」だと思う。

「人非人でもいいじゃないの。私たちは、生きていさえすればいいのよ」


色々なことがあったあと、まだ「自分はさっちゃんと子供のために盗みを働いたんだ、だから人でなしではないんだ」とぬかす大谷に向けて、さっちゃんが言った言葉。

人非人(にんぴにん)は、ひとでなしのことなのですが、さっちゃんはきっと、犯罪に走ることを肯定する意味合いではなく、自分とその周りにいる大切な人間を守るため、肯定して生きていくために言った言葉だと思う。

私自身も、自分ってだめだなぁ、生きている価値がないなぁって思っちゃったとき、この言葉はとっても救いになるなって思った。

現代社会って全員がもれなく、言語化できない複雑に絡み合った苦しみをひとりで抱えながら生きてると思うのよね。

冒頭で結構さっちゃんの悪口言ったけど、文章の折々に、さっちゃんが決して楽な人生ではないことも感じられるし、読んだ後は毎回、さっちゃんにはさっちゃんの事情があるよね、って思えて、人に優しくしたくなる。

ここまでが「ヴィヨンの妻」を読むことによる感情の動きのワンセット。読むたびにさっちゃんにイライラしつつ、読み進めていくうち自分の、他人に対する想像力が欠如しかけていることに気づかされて襟を正すのです。

自粛警察、マスク警察と、コロナ禍で周りの人に「もしかしたらこんな事情があるかもしれない」と、思いやる余裕がなくなってしまいがちな今こそ、読んだら色々と気づきがある作品だと思う。

常に他人に優しくありたい、そんな気持ちを忘れたくない人に。ぜひ。



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