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年間200回の講演活動「博多の歴女」こと、株式会社ことほぎ 代表取締役 ”白駒妃登美さん”

「大切な人を笑顔にしたい。そのために”今”を全力で生きる。」
生きる事に価値を感じにくい時代に、生きるとは何なのかメッセージを投げかけてくださる、白駒妃登美さんのお話をお伺いしました。

白駒 妃登美さんのプロフィール
出身地:埼玉県狭山市
活動地域:福岡を拠点に全国、そしてアジアの国々へ
経歴:福沢諭吉に憧れ、慶應義塾大学に進学。卒業後は日本航空に勤務し、1992年には宮澤喜一首相訪欧特別便に乗務。その後、企業の接遇研修講師、結婚コンサルタントを経て、現在の仕事に。
現在の職業および活動:講演や著作を通して日本の歴史や文化の素晴らしさを発信すること
座右の銘:私のいる所がパワースポット!

「大切な人を笑顔にするために、”今”を生きる。」

Q1.どのような夢やビジョンをお持ちですか?

白駒 妃登美さん(白駒 以下敬称略)
以前の私は、常に夢やビジョンを持って生きていましたが、今はちょっと違うんです。自分で求めるというよりも、役割を与えられるイメージで、その役割に全力投球をしています。

というのも、私は以前、「助からない」と言われている病気にかかり、いつ死ぬか、いつまで生きられるかが分からなくなったんです。それで、夢やビジョンを描けなくなりました。でも、幸い病状が奇跡的に快復し、元気になりました。その時に、「残りの時間を、大好きな周りの人たちを笑顔にするために生きよう!」と決断したんです。

以前の私は、夢を追いかけて、その夢を実現するために、今すべきことを考え、実践していました。つまり”今”が未来のための手段になっていたのです。それが、病気を機に、過去も未来も手放し、「今、ここ」に全力投球するという生き方に変わりました。すると、過去に対する後悔や、未来に対する不安が消え、安心感、幸せ感に包まれるようになりました。「今日できることを精一杯やる」ただ、それだけなんです。時間軸を”今”、視点は自分自身に置いて、肚を決める。そうすることで、悩みもストレスも不安も無くなりました。

人間はいつも死と背中合わせだと思います。毎日、今日が人生最後の日になっても後悔しないように生きています。

「日本の素晴らしい伝統工芸品を世界の方に発信したい。」

Q2.その夢やビジョンを具現化するために、どんな目標や計画を立てていますか?

白駒 夢やビジョンが無いので、目標計画も無いですね。会社の売り上げが上がったのか、下がったのかも、よく分からない。経営者なのに、恐ろしいですよね(笑)。

ただ、年間200回に及ぶ講演活動やメディア出演などを通じ、「日本の素晴らしい歴史や文化を発信したい」と思っています。その中には、日本の素晴らしい伝統工芸品を世界の人々に届けたいという思いも、含まれています。日本の伝統工芸の職人さんたちは、コストを切り詰め大量生産された物が世の中に出回ることで、苦境に立たされています。けれども海外に目をやれば、一流の職人さんたちが魂を込めて作ったものを、適正価格で買いたいと思う人はたくさんいるはずです。そういう方々に、日本の素晴らしい伝統工芸品を伝えていきたいです。

「今に全力投球する。ご縁を大切にする。」

Q3.その目標や計画に対して、現在どのような活動指針を持って、どのような(基本)活動をしていますか?

白駒 これも、”今に全力投球すること”ですね。自分がいくら計画を立てても、天が決めた計画には敵わないと思うんです。自分の心の状態を透明に保つように意識していると、自ずと天が定めた時(タイミング)が観えてきます

豊臣秀吉の例が分かりやすいと思うのですが、秀吉ははじめから天下人を狙っていたわけでなく、侍になりたかったんですね。小姓(雑用係)として雇ってくれた信長に心から感謝して、自分に与えられた役割に全力投球しました。信長にその頑張りが認められて、秀吉は小姓から足軽、足軽から侍、侍から侍大将になり、やがて一城の主になりました。信長を喜ばせ、そして自分に仕えてくれる部下たちを喜ばせた秀吉は、彼らに後押しされて、天下人へと運ばれていったのです。つまり秀吉は、ご縁を大事にしながら、“今”に全力投球した結果、天命に導かれるようにして、天下人になりました。

私も、ご縁を大事にしながら、”今”に全力投球しています。

「本当の覚悟とは、どんなに苦しくても、生かされてる今を平然と生きる。」

Q4.そもそも、今の生き方になったきっかけは何ですか?そこには、どのような発見や出会いがあったのですか?

白駒 結婚をし、二児の母になり、幸せな生活を送っていましたが、2008年に突然、子宮頸がんになりました。手術と放射線治療で治ったと思ったのですが、2年後に、がんが肺に転移したんですね。主治医からは「助からない」と言われました。それまでの私は、10年後の夢を追いかけ、目標を達成すれば幸せになれると思ってきました。けれども、10年後が無いと思った瞬間に、いま何をしたらいいのかが分からなくなったんですね。すべきことが分からないのは、ものすごく苦しいです。

そんな時に、大好きな正岡子規を思い出しました。子規は、若くして脊髄カリエスという病気にかかりました。脊髄カリエスは、結核菌が背骨に穴をあけ膿が染み出す病気で、ものすごい痛みを伴うのです。放っておいても長生きはできないのですが、今この瞬間の痛みに耐えかね、病床で何度か自殺を考えたそうです。その苦しみの病床で、彼は本当の覚悟に気づいたんですね。「どんなに苦しくても、今という一瞬一瞬は、生かされている。その生かされている今を平然と生きることが、本当の覚悟だ」と。彼は、死の直前まで創作活動を続けました。私は大好きな人の生き方を思い出し、「私も先人たちのように ”今” を受け入れ、死を迎える時まで、生かされている今を大切に生きよう。大切な人の為に今を頑張ろう」と、決断しました。そうしたら、周りが応援してくれて、自然とご縁やアイデアをいただき、何か大きな力に人生が導かれていったのです。そして、「助からない」と言われた三週間後、「がんが消えている」と診断されたんですね。信じられませんでした。人から応援されるようになると、自分の知識も夢も超えた、もっと素晴らしい現実が現れることに気づきました。

私はあの時、一度死んで生まれ変わったのだと思います。強烈な経験をすると、細胞も心も生まれ変わるんだと思いました。

「素直に生きる。」

Q5.その発見や出会いの背景には、何があったのですか?

白駒 私は「自分の運命に対して、絶対的な愛がある」と思っています。病気になると、「何で私だけ?!」と思いたくなりませんか?私も、相当落ち込みはしましたが、「何で私だけ?!」とは思いませんでした。

と言うのも、私は幼少期から”伝記”が好きで、いつも読んでいました。伝記の中で、歴史上の人物たちは理不尽な経験をしますが、その経験が後に花開くんですね。だから、「理不尽なことは、未来の種なんだ。未来に必要だからわざわざ私のもとに来てくれたんだ!」と、自分の運命がどうであったとしても、そこには絶対的な愛があると思えていました。

記者 そのように受け入れられる事は凄い事だと思いました。なぜ受け入れられるようになったのでしょうか?

白駒 幼少期の私は、成績は良かったのですが、いつもどこかに孤独感を感じ、ブスっとしていたんですね。そんな私に、祖母が「素直であることがどんな才能にも勝る」と言ってくれたんです。最初はピンときませんでしたが、小学校3年生の時に、いつもニコニコしている子に出会い、「神様が幸せにしたいのは私じゃなくてこの子だ」と思いました。この子みたいに、「幸せになりたい」と素直に言える子になりたい!って思ったんですね。そこから、毎日努力をして、笑えるようになりました。

私の中で、この経験がとても大きく、なんでも素直に受け入れられるようになったのかもしれません。だから、どんな運命も、愛として受け取る事ができるのかもしれませんね。

記者 ありがとうございました。白駒さんのお話をお聞きし、今を精いっぱい生きる事、受け入れる事の大切さを感じました。どんなに苦しくても、生かされている今を平然と生きることが、本当の覚悟だ。この覚悟さえ持っていたら、何が起こっても乗り越えられる勇気になると思いました!貴重なお話を本当にありがとうございました!

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白駒妃登美さんのFacebook、株式会社ことほぎのHPはこちらから
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【編集後記】インタビューの記者を担当した熊倉と村上です。
生きる方向性を見出せなくなっている今の時代に、日本の美しさ、生きることの素晴らしさを発信してくださる白駒さんは、人間本来の可能性と尊厳に確信を抱き、その可能性を目覚めさせる希望のメッセンジャーだと思いました。今後の白駒さんのご活躍を心から応援いたします!

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この記事は、リライズ・ニュースマガジン “美しい時代を創る人達” にも掲載されています。


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