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月夜に起こったこと 第784話・3.18

「ふう、」中田月奈は月を見てため息をつく。この日は満月。「月を見ているときが一番ほっとするわ。私の名前に月がついているからよね。多分」
月奈は疲れていた。日々の仕事に忙殺されている。それも精神的に疲弊する仕事だ。
「見えないからって、本当に言いたい放題ね」いわゆるコールセンター業務を行っている月奈。相手からの問い合わせを受ける仕事であるが、無理難題を押し付ける人も多く、それが毎日のように続く。「私、本当はメンタル強い方だったのに...…」

 あまりにも相手の言い分がきついこともあるので、最近はため息をつくことが多い。
「明日も仕事か、もう会社に行かずに、ずっと月でも見ておきたいわ」


 月奈は何も考えずに引き続き月を眺めている。しばらくすると突然人影が視線に入った。「え!誰?」月奈は全身鳥肌が立ち耳元から心臓の鼓動が聞こえる。恐る恐る月奈が人影の方を見ると、平安時代の貴族・女官のような恰好をしている女性の姿。
「中田様ですね。おめでとうございます。コスモスツーリストです。弊社の『かぐや姫体験・月周遊のツアー』のモニターが当たりました」とは女性のガイド。

「え!私当たったの?」思わず月奈の声が裏返った。

 西暦2356年、すでに民間の宇宙旅行が当たり前になって100年が経過。この時代太陽系のいろんな星のツアーが存在した。その中でも地球に最も近い天体である月は、すでに往復が6時間で可能となっている。多いツアーは月が出ている夜に出発し、明け方には地球に戻れるようになるもの。そのためか、平日の夜に気軽に月旅行を楽しむ人も現れるようになる。
 こうして月に関しては短時間で行けることから単なるツアーでなく、旅行会社がいろんな面白い企画をするようになった。

 そこである旅行会社「コスモスツーリスト」は、ひとつのプランを発表。それが「かぐや姫体験・月周遊のツアー」であった。これは女性限定のツアーで、ツアー参加者が竹取物語のかぐや姫になりきり、地球から月に向かって宇宙船から最接近して月面をみようというもの。

 コスモスツーリストはツアー開始を前に、キャンペーンとしてモニターを募集していた。月奈はとにかく月が好きなので、この手のモニターの申し込みは無意識のうちに行う。だからすっかり忘れていた。
「募集要項に書いてある通りです。さ、今から月に参りましょう」

「あ、あああ」ようやく月奈は思い出す。モニターに当選したら、満月の夜に、事前通知なしにいきなり自宅にツーリストのガイドがサプライズで現れて、ツアーに参加するという設定。だから申込者は当日の満月の夜に、家にいないといけなかった。月奈は完全に忘れていたが、自宅で月を眺めていたため事なきを得る。


「こちらにかぐや姫の衣装を用意しています。早速着替えてください」
ガイドの車で来たのは、街の中にある小さな宇宙船ポート。この時代の宇宙船は小型のものも多く開発されており、遠い宇宙センターのようなところに行く必要もない。
 宇宙船ポートは市町村にひとつはある時代。コスモスツーリストは、小型宇宙船をモニター当選者の最寄りの宇宙ポートに宇宙船を着陸させていた。宇宙ポートには更衣室がある。船外に出なければ宇宙服も不要の時代。月奈は添乗員に言われた通り、更衣室に入ると、かぐや姫のような平安貴族の女性の格好になる。

「ではまいりましょう。今からですと地球に戻ってくるのは早朝5時です。明日の仕事には十分間に合うでしょう。月まで3時間近くかかりますから移動中ゆっくりお休みになれます」
 ガイドに言われ宇宙船内に入った月奈は見て驚いた。この宇宙船は豪華仕様になっていて、ホテルの一室のようになっている。宇宙空間が見渡せる大きなガラス窓、ソファーのほか小型冷蔵庫、ベッドやシャワールーム、洗面台もついていた。さらに平安時代を思わせるような和を基調としている造りなので、かぐや姫の格好とも相性が良い。

 いよいよ宇宙船は地球と飛び立った。月奈は窓から地球の夜景を見る。この時間の地球は夜だから青くないが、はるか上空からでも町の夜景が見えた。こうして月に向かう。行きは月奈が興奮して眠れないまま。3時間後、目の前に大きな月が見える。
「ゆっくりと3回ほど、月の外周を航行しますので、ゆったりと月をご覧ください。そのあと、地球に戻りますね」
「これが、月...…」月奈は今までネット上でしか見たことのない、月面のクレーターなどを窓越しにリアルで見た。全身から鳥肌の立つ感動が続いたのは言うまでもない。

ーーーーーーーー
「まもなく大気圏に入ります」
 月から出た月奈は疲れたのかしばらく眠っていたようだ。目を覚ますと今度は青い地球が目の前に見えた。ちょうど太陽の光が斜め上から見えるのがわかる。「太陽は直視しない方が良いです」ガイドに窘められ、月奈は目をそらした。

「お疲れさまでした。アドレス宛てにアンケートのメールを送りましたので、3日以内にお答えくださいね」ガイドは月奈の家まで送ってくれた。時刻は午前5時30分。

「急だけど夢のような体験だった。普段の辛いことが本当に小さなことね。さて、今日もお仕事頑張りますか」
 月奈はちょうど東方向から現れようとする太陽を見てつぶやいた。



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シリーズ 日々掌編短編小説 784/1000

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