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4コマの世界に魅せられて 第541話・7.17

「あ、久美子さん!」「萌ちゃんも休憩の時間だったのね」ここはコールセンターの休憩室。電話オペレータの萌は、管理者の久美子と休憩していた。「ねえ、久美子さん知っています。藤塚さんのこと」萌は堰を切ったように同僚の噂話を始めた。
「ああ、そうらしいわね。あの人、正社員の話を断ったってやつね」「何でかしらね。派遣からいきなり正社員なんてすごい話なのに」
「まあ彼女は本当に優秀で、あ、萌ちゃんがと言うことではないわよ」「いえ、大丈夫です」萌はそういうが少し目が吊り上がり気味。
「トップの実績があるから、管理職の人たちも一目置いているのね。でも何で、断るのかしら」久美子も不思議そうに首をかしげる。
「私なんて、この前ようやく派遣から直の契約社員になれたのに。それが正社員なんて」「萌ちゃん。大丈夫よ。貴方もいつかなれるわ。私も結構時間がかかったほうだから」「ああ、噂をしたら」萌の声のトーンが下がった。藤塚が休憩所に入って来たのだ。
「伊豆さん、蒲生さん、お疲れ様です」藤塚はふたりを見ると、丁寧に頭を下げる。
 萌は単刀直入に問いただす。「藤塚さん、あのどうしてですか」「へ?」
「伊豆さんと話してたけど、正社員の話を断られたとか」
  久美子がそれに続いた。

「ああ、その話ね。だって私は最初から正社員になる気ないし」「ど、どうしてですか?」「だって正社員って束縛されるでしょ。派遣のほうが楽なのね」と、藤塚は涼しい顔で返した。

「それに、私には夢があるの。あくまでこの仕事はその夢をかなえるまでの過程だから。実は私、漫画家目指しているの」
「ま、漫画家!」萌と久美子は同時に反応した。
「そうなんです。だから派遣社員の方が助かるんですね」
 萌と久美子は黙って顔を合わせる。

「あ、せっかくだからひとつだけ面白いこと。今日7月17日は漫画の日なんですって」「へえ、藤塚さん、さすがですね」とは萌のつぶやき。
「それだけじゃないのよ。漫画の日って7月のほかに、2月9日と11月3日にもあるのよ」
「それは面白い。ひとつの記念日が一年に複数回あるなんて。まるでお肉の日みたい」とは久美子の言葉。どちらも微妙な表情のまま藤塚を見る。
「あ、そうだ思い出した。あれやらないといけなかったんだ。それじゃあ、お先に」藤塚はそう言ってあわただしく休憩室の席を立った。

「ねえ、久美子さん。藤塚さんが、漫画家目指すそうですって」
「そしたらやっぱり恋愛漫画書いているのかな。だったら萌ちゃん私たちのような」
「女子同士の百合恋愛ですね。うふ、私たちがモデルになったりして......」

ーーーーー

「もう、課長かしら、完全に噂になってるわ。休憩室しばらく使うのやめておこうか」藤塚は休憩室近くの廊下でため息をつく。
「私の生き方は私で決める。どういう生き方、働き方だっていいじゃないのに」高層ビルから見える、高さの異なるコンクリートの建物に視線を置きながら、藤塚はこれまでのことを思い出していた。

 藤塚は、漫画家を目指している。目指している漫画は4コマ漫画。これは、小さいときから新聞に載っていた4コマ漫画を見ていつも楽しんでいた。だから4コマに、親しみがあって好きなのだ。そして中学生の夏休みに、ひとりで鉄道とバスを乗り継いで、宿泊旅行をする機会があったときのこと。次の乗なり物が動く時間まで待っている間、4コマ漫画専門の雑誌を買っては、じっくり読んでいた。
「長編漫画だとどうしても続きが気になるけど、4コマは1話完結。それも数秒もあれば全て読めるんだ。4コマ漫画は最高。私もやってみようかしら」
 いつしか自分でも4コマを描きたいと願い、やがてこれが糧になればと真剣に考えていた。

 最近ではネットを利用して、noteやツイッターなど、いろんなSNSやらそういう専門のサイトに登録しては、日々4コマ漫画に投稿している。

「まだまだだけど、この前ちょっとだけお金になったわ。よし、この調子」という具合なので、4コマ漫画を仕事にするのは、はるか先。だけど『チャンスがある』とばかりに、公募のガイドを見たり、SNSでの募集などを見たりして、常にその機会をうかがっていた。

「そう、私にとって正社員はかえって足手まとい。万一、私の作品がヒットして、そちらにのみ注力しなければいけなくなれば、契約期間満了で、いつでも辞められる雇用形態。それが派遣社員なのよね」
 藤塚はそう願っていた。だからコールセンターで、非常に優秀な成績を出したとしても、決して束縛される正社員になろうとは夢にも思っていない。

ーーーーーー
「さて、今日もお疲れ様ね」この日のシフト勤務も終わり、家に戻った藤塚。早速タブレットの電源を立ち上げると、4コマ漫画の執筆にとりかかった。「ふふふふ、今日も面白い、個性的なお客さんからの電話が多かったわ。さてと、これをうまく4コマ。そう起承転結にどう落とし込むかだね」
 藤塚はすでに、4コマ漫画作家の目になっていた。そしてこの日コールセンターで受電した顧客で、個性的な人物の特徴、そして電話のやり取りをメモに取る。もちろんその人たちの個人情報は、それを外部に持ち出すことすらも禁じられているので、それは一切タッチしない。あくまで状況だけを取り出す。それをうまく4コマの設定に繰り出した。

「今日の方は、あ、やっぱりあの人かしら。あの特徴的な口ぶりが最高ね。だったらもしあのような人が、この場所に来たら......そうそう。こんなことしそうだわ。うふ♪」
 藤塚は自分の世界に入ると一気に筆を進めた。タブレットには藤塚の描いた絵が少しづつ現れだす。「長編だと結構イラスト的なところも大事だけど、4コマならそこまで意識する必要がないわ。というより1話で4つしか描かなくていいからね」こんな独り言をつぶやきながら、「起」からはじまり、次に「承」そして「転」とコマを進めていく。「よし、もう少しよ」こうして「結」を書き上げると、最終チェック。「よし、これで行こう」藤塚はそう呟くと、SNSに投下した。

「さて、今日の反応はどうかしら。私的にはパーフェクトだけと」そう言いながら藤塚は、あえて私らしい働き方について、この日も模索するのだった。

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シリーズ 日々掌編短編小説 541/1000

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