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港に響くウクレレの音 第578話・8.23

「海が見える!」紗香が高台に到着する前に、摩耶が叫んだ。「海と言っても工場地帯ね。埋め立て地で海が遠いし、波の音も潮風も感じないわ」
 遅れてきた紗香も、風景を見ながら冷静に呟く。ここは港湾地帯である。
「でも、あれは確かに海、それに音は聞こえる」摩耶は反論した。
 確かに音は聞こえている。工場で動いている大きなクレーンのような機械や、工場の内部からかすかに出ている音。そして出入りするトラックのエンジンと排気ガスを出しながら発せられる音もだ。そしてごく稀にであるが、船からのものと思われる汽笛が鳴った。

「紗香さ、私にはこの音にリズム感があるとおもうな」「え、こんなのに!」驚く紗香は摩耶を見つめる。
「だって工場の機械から聞こえる音って、耳を澄ませてよく聞いたら一定よ。重低音のように低い音が聞こえるわ。あと車の音もね。でもその音を背景に、船の汽笛とかクレーンかなあ、あとトラックのクラクション。ちょっと高めの音が聞こえるの」
「摩耶の言っていることわかるようなわからないような。今日の空は青く晴れているけど、鳥もいないみたいだし。何でこんなとこ来たんだ。ビーチは無理でも、公園みたいなとこ来たかった」

「それ!」摩耶の眼差しが真剣になる。「紗香が路面電車に適当に乗ったからじゃないの。ちゃんと行先決めたら良かったのに」
 ブーメランのような一言に、紗香は何度も頭を下げて謝った。「そうかごめん。行き当たりばったりって楽しいかなあと思ったけど、ちょっとやらかしたね」

「ちょっと歩こうか」「うん」気分を変えようと、ふたりは港を見下ろす高台沿いに歩いて行った。歩く方向から右手には港が見える。この辺りはずっと港湾の工場地帯のようだから、少し歩いたくらいで風景が劇的には変わらない。でも歩いていたら何かある気がした。

「あれ、ねえ。聞こえない?」「何、摩耶、今日はやけに感覚が鋭いね」「でも、ほらこれ、だれか楽器引いているわ」「楽器、あ、ほんとだ」紗香がつぶやいた。
 心地よいメロディが聞こえる、重低音と高温が混じった音。一体どこから聞こえるのか、手分けしてふたりが探すがわからない。どの方角から聞いても音の大きさが全く変わらないから、どこから聞こえているのかわからないのだ。
「でも、さ、摩耶、あの港に聞こえていた音に似てる気がする」「似てると言うか合ってるわね。風景的に」

 ふたりは座れそうなところを見つけると、音楽を聴きながらもう一度港を見た。確かに工場だらけの港湾の風景には会っている気がする。ふたりとも一致した。BGMのように流れる音楽はしばらく続く。

「あれ、これは」気がついたら音楽が変わっている。南国の香りリゾート地に来たような音だ。「ウクレレ?」紗香がつぶやいた。「ハワイの音楽、ああ、それっぽい」摩耶も同調。だけど残念ながら目の前の風景は変わらない。
「工場とウクレレか、ちょっと変な取り合わせ」

「目をつぶったら」摩耶の一言。「え?」「目をつぶったら音楽だけが聞こえる。そしたらビーチがイメージできるの。うん、目の前は工場だけどここは海の近く。だって吹いてきた風、目をつぶると湿っぽく感じて鼻からも潮の香りがうっすらと」摩耶は目をつぶって想像の世界に入っていた。
「そんな簡単に?」紗香はあきれて最初は、ひとりでスマホを見ていたが、あまりにも気持ちよさそうな表情に陥っている摩耶を見て、羨ましくなった。「なら私もっと」こうして紗香も目をつぶる。

 すると確かに見えてきた。青い空に輝く太陽。そして目の前にはビーチが広がり、豪快な波が定期的に前後運動をしている。肌が太陽からの光を浴びて暑いような感覚があった。そして風が吹く、潮風だ。紗香は摩耶の言っている意味が分かり、心地よい時間が過ぎていく。


 気がつけば日が暮れてきていた。ウクレレの音楽はいつの間にか聞こえない。もうBGMもなく、工場からの音だけが聞こえた。「あ、もう夕方、紗香楽しんだね」「うん、何か今日は不思議な半日。たまにはこんな日があってもね」ふたりは立ち上がった。「あれ夕日は?」「摩耶、反対よ、海は東側。ここは朝日は、きれいなんだけどね」紗香は後ろの陸側を見た。
「そうか、朝日、朝は苦手だな。紗香はどう」ところが紗香から返事がない。「どうしたの?急に固まって」摩耶が紗香を見ると眼を大きくしたまま驚いている。「ちょっと、摩耶、ねえ、何か変なの」
「変?」紗香がおかしなことを言うので摩耶が紗香のとなじ方向を見る。するとやはり固まった。

「あれ? どういうこと」ふたりが驚くのも無理はなかった。なぜか町の風景が全く違うものになっていたから。(つづく)

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シリーズ 日々掌編短編小説 578/1000

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