見出し画像

死を覚悟して突撃する 第938話・8.20

「お、しまった、出口はどこだ」大きなハエは、間違えて人の家の中に入った。「お、あそこ、あそこだ」すぐに窓の隙間を見つけたハエは、そこに向かって猛スピードで飛ぶ。
「危ない危ない。ただでさえ俺たちハエは嫌われもの。ここは都会だ。どこの家にも水洗トイレがあるからな、中には糞がねえし、いる意味は全くねえ」

 こうして窓のサッシのところまできたハエ。ふと目の前には自らとは似て非なる一匹の蚊が外から突っ込んできた。「おいおい、慌ただしいぜ」ハエはそうつぶやくが、蚊には聞こえずそのまま部屋の中へ。対照的に部屋から出て外の空気を吸っているハエは、かたくなまでに人に対して突撃していく蚊を見て感嘆の息を出す。
「あいつらは、よくやるぜ、命がけっていうか死を覚悟してでもやるんだからな」

 ハエと入れ替わるように蚊は、人の部屋の中に入ってきた。目的はもちろん人の血を狙うこと。だがこれは死を覚悟しての突撃であった。なぜならば蚊が血を取るということは、対象物である人間にとって不快以外の何物でもない。
 命には別条がないが、頻繁に襲う痒みは人にとって苦痛だ。それを阻止するためには蚊に血を奪われないようにするしかない。そのため人は物理的な攻撃をはじめ予防用に蚊に対して有効な毒を用意している。

 蚊は窓が開いているという第一関門を突破したことに喜びのひとつも見せず、ターゲットの人を探していた。少なくとも部屋にあの嫌な臭いは出ていないようだ。
「ここは大丈夫だな。あの除虫菊の悪臭が無い」除虫菊は、蚊にとって非常に嫌な臭いである。これがあるとついつい離れたくなるし、場合によっては命に係わるもの。除虫菊は外でも生えているが、こともあろうに人はこの除虫菊の毒性のある嫌な成分だけをペースト状に凝縮し、それも弧を描くように固めたものを用意する。それに火をつけて出てくる煙は忌々しい除虫菊の凝縮された毒のある悪臭。あれを用意されたら人に近づけないのだ。

 それだけではなかった。最近は除虫菊の成分を科学的に作り上げて放出するものもある。それは白い煙が出ないので、近づくまでわからない。これでどれだけ多くの仲間が、無意識に吸い込んだ毒により命を落としたのか、蚊にとっては想像もしたくないのだ。
「今のところは大丈夫、お、あそこにターゲットを発見!」蚊はついに人影を見つけると、そこに向かって突進した。人は横たわっており眠っているようだ。

「よし、行ける。必ず生還して戻るからな」蚊は一気に人に近づいた。もし起きていると物理的な攻撃を受ける可能性がある。だが、それでも蚊が必ずしも敗れると限らない。体の大きさこそ圧倒的に違うが、その分人の動きは鈍い。それに痒みを防御するということはそこまで命を張っていなかった。人が繰り出すもの、つまり圧死を狙っての攻撃に遭遇すれば蚊はひとたまりもない。だから蚊は必死で逃げるのだ。実際これで逃げ切って、無事に生還した仲間を多く知っている。

 それ以上に厄介なのは、これも科学的なもの、缶のようなものから白い霧のようなものが噴射されたときだ。あれは相当毒性が強い。少しでも体に当たればば即死となる。「相当毒性があるというのに、なんで人間は平気なのだ」蚊自体はまだそのようなシーンに出くわしていないが、仲間からの経験談で人に突撃する際の注意点のひとつとして、いつもレクチャーを受けている。

「あれが耳という器官だなよし、こっちだ」蚊は人の耳をあらかじめ確認し極力近づかないようにする。「耳に近づくと、どうしてもこの羽の音が感知されるからな。それでは奴を起こすことになりかねぬ」
 蚊はゆっくりと人に近づいた。人は繊維質のものにくるまっているようだ。繊維質だとしても綿や麻のような天然由来なら隙間がある。そこから針は挿入可能。だがこの人は科学的なナイロンのようなもので肌を追っているらしく、蚊は残念ながらかそれには挿入できないようだ。

「うーんと、お、あそこ。人肌を発見。降下開始」蚊は意を決して人に急接近。ついに人肌の上に着地した。「よし、今から針を刺す」蚊は慌ただしく針をボディから出すと肌に突き刺す。瞬く間に人の体内にある赤い液体が針を通じて自らの体に次々と入り込んでいく。「いつもこの瞬間がたまらん。さあ、もうしばらく起きないでくれよ」

 ようやく血をため込むとゆっくりと針を抜き即飛び立つ。針を抜くと人に痒みが始まってしまう。そうなると、すぐに蚊への攻撃態勢をはじめるにちがいない。だから人が痒みに気づく前に即座に出なければならないのだ。だが血を多く体に取り込んだ分、意気と比べ速度がどうしても遅くなる。
「あわてるな、いそげ、急ぐんだ」蚊は必死に窓に向かう。窓の外に出ればこの勝負、勝ったも同然。蚊は勝利のために必死で飛んだ。

「あ、」窓まであと50センチくらいだろうか?突然目の前が暗い影が見える。蚊は嫌な予感がしたが、それは的中してしまう。「しまった」そこには起き上がった巨大な人がいた。その人は左右の手を広げていた。「これはまずい、上昇だ」蚊は慌てて上昇を開始。だが人の手は想像以上に早くあっという間に両手に行く手を阻まれかける。
「左斜め下に降下」蚊も必死だ。命がかかっているこの人の攻撃をうまくかわせば外に出られる。この立体的な角度をフルに活用した蚊は、ようやく人の手をかいくぐった「出るぞ」蚊は窓に向かってもう突進。ところが瞬時に窓のドアが閉まった。「あれ!」蚊は慌てて上昇しようとしたが、そこには人がすでに両手を開けて待っていた。まるで蚊がその位置に来ることをあらかじめ予想していたようだ。「あ、あああああ」蚊は思わず大声を出す。万事休す、壁のようにふさがっていた両手が急速に近づいできた。
 その瞬間全身にこれまで感じたことのない衝撃音と痛みが走ったかと思うと、途端に蚊の意識は消滅。


「ようし、やってやったぞ。こいつめ刺しやがって。おいおい、どんだけ吸ったんだ。こんなに赤い血が出ているわ。うう、かゆい、えっとかゆみ止めはどこだ」
 人間は蚊を成敗すると一瞬得意げになったが、直後に襲う痒みを抑える方に気持ちが変わったのだった。


https://www.amazon.co.jp/s?i=digital-text&rh=p_27%3A%E6%97%85%E9%87%8E%E3%81%9D%E3%82%88%E3%81%8B%E3%81%9C
------------------
シリーズ 日々掌編短編小説 938/1000

#小説
#掌編
#短編
#短編小説
#掌編小説
#ショートショート
#スキしてみて
#擬人化
#蚊の日
#情景描写
#眠れない夜に

この記事が参加している募集

スキしてみて

眠れない夜に

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?