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トンネルの向こう 第899話・7.11

「ここにトンネルがあるのか......。うん、向こう側が見えるな」今日俺は不覚を取った。半日間前では考えられないことが今起こっている。「余計なことをしなければ良かった」俺はまたため息をついた。今日何度目かもう覚えていない。

 俺は失恋をして半年、この日の午前中、俺はふと元カノとデートをした場所に向かった。そこはケーブルカーで上がれる山の上にある展望台。「いい加減吹っ切れないと」ケーブルカーで上まで行き、展望台では多くのペアとなっている男女の姿を見ながら、複雑な思い。昔の良き思い出が頭の中で映像としてイメージされる。すると目に水が溜まってくるような気がした。それ以上にいつまでも引きずっている自分自身が腹立たしい。
「帰りは、歩いて降りよう」俺はそう決意した。このときちょっとでも体を使うような困難に身を置けば、過去の事が忘れられそうな気がしたからだ。

 だが、それは大きな失敗の始まりだった。最初はハイキングの遊歩道のように見える道を下っていく。それほど苦でもなくあっという間に下に降りられそうだと思った。だが、途中で道を間違えたのか?道がどんどん狭くなり、まるで獣道のようなところに来てしまったのだ。

 それでも下りが続いたが、ある程度でその下りが緩やかに終わる。見た限り谷になっているようで、横に小さな川が流れていた。繰り返し流れる川によるせせらぎの音。ときおり聞こえる鳥のさえずりに俺は少し癒される。「ああ、道に迷った?」俺はそこで元の引き返せばよかったのかもしれない。だが、ここまで下るのに結構急な勾配だったから、もう一度登ってみようという気が起きなかった。
「なるようになるさ」と、楽天的な思考でこのまま谷を先に進む。幸いにも川沿いにわずかに歩ける小さな道があった。それを伝っていけば水は下流に流れているのだから、やがて里に出られると思ったのだ。

 だが一向に里は見えてこない。水の流れも急には大きくならず小川のまま。いったいどのくらい歩いたのか? 展望台から数時間が経過している。最初は心地よいと思っていたせせらぎの流れもいつしか慣れてしまい、どうでも良くなっていた。
 そのうえこの場所は電波状態が最悪。通話やネットは不可能で、とてもスマホが役に立ちそうにない。それでも幸いにも外は明るいまま。電波がなくとも機能しているスマホの時計から暗くなるまではあと数時間ありそうだ。だから頑張って歩いていく。

 ところがここで最悪な事が勃発した。川の流れが見えなくなったと思えば、数十メートル近い落差の前に来てしまったのだ。「無理か!」その前は崖のようになっている。周りは完全に様々な緑に覆われていて、が岩肌こそ見えないが、見た目ほぼ90度。水の流れだけが、全く気にせず滝となって落下。落下した際に聞こえる激しい音瀑音と、白い水の飛沫がはるか下に見える。マイナスイオンは多分相当ありそうな雰囲気。

「うわあ、どうしようか」俺はしばらく戸惑ったが、ちょうど左側、水の流れていない方向に、道があることを発見する。「ここまで来たら行ってみるか」俺は気にせず道を歩く。その道は正解だったかもしれない。なぜならばわずかづつではあるが下っていくからだ。「このまま下って先ほどの流れに追いついたらいけるか」
 そう言って俺はさらに下っていく。すると目の前に突然現れたのがこのトンネルという次第。

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「もう半日か、日の入りまであと2時間くらいかな。もう躊躇していられない」俺はそのままトンネル内に侵入した。
 トンネル内は空気が止まったような静けさ。電気も何もなく暗いが、トンネル自体それほど長くないらしく先に出口のような光見える。それを頼りにまっすぐ歩いていく。いったいどのくらい前に作られたトンネルなのか? 今となっては想像もつかないが、とりあえずトンネルを歩いて行くしかない。

「あれ?おかしいな」俺が異変に気付いたのは歩いて5分くらい経過してからだ。先のに見える光が、いつまでたっても大きくならないことが気になった。俺は振り返ってみる。入った先の光はずいぶん小さくなっているが、目の前の光の大きさは変わらない。
「これって結構ヤバいところに来たかなぁ」俺は少し焦ったが、もう引き返しても無駄だと思い、引き続きあるき続けた。だが光の大きさに変化はない。ただ光が見えるから暗闇ではないのが幸いだ。

「だったら走ってみよう」俺は学生の頃は陸上選手。それも長距離走を得意としていた。とはいえそれほど名のある選手ではなかったが、久しぶりに走ってみる。するとそれまであまり大きさが変わらなかった光が少し大きくなっていく気がした。「近づいているぞよし頑張って走ろう!」俺はさらに走る。走れば走るほど大きく広がっていく光の塊。「もう少しだ一気に駆け抜けよう」俺は最後の力を振り絞るように、そしてついにトンネルの出口に出た。

「あ、あれ」俺が外に出たとき、見えたもの。それは展望台とケーブル乗り場の間の遊歩道。振り返ると藪に囲まれたようなところに古いトンネルがあるが、その手前に「立ち入り禁止」と書いてある看板があった。
「え、山の中でずっと迷っていたのか」俺は半日も山の中に彷徨っていたことが今でも信じられない。だけどこれで生還できたのも事実。空はそろそろ夕暮れ時でオレンジに染まろうとしていた。もうひとつ良かったことと言えば、失恋の引きずっていた想いが見事に吹っ飛んでいる。
「ケーブルに乗って帰ろう」俺はケーブルカーの乗り場に向かった。そこからは通常通りで何の変化もない。
「あ、居酒屋があるな」ケーブルカーで山麓まで戻った俺は、半日山の中で彷徨った疲れを癒そうと居酒屋に向かうのだった。

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シリーズ 日々掌編短編小説 899/1000

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