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選択肢の時間 第632話・10.16

「うーんどちらにしようか?」男は悩んでいた。ここは30世紀の宇宙船の中である。人類が宇宙旅行を開始してから数百年。今では太陽系のあらゆるところに惑星や衛星都市、或いは人工都市衛星が建造され、地球から自由に往来できる時代である。そしてそれらの地球外で生まれた人たちの数も増え、今では母星である地球への観光ツアーが一大ブーム。数十年前に原因不明の感染症蔓延のためにいったん中断されていたこの観光ツアーであったが、それも収束し再び観光産業が活性化していた。

 男もそういう地球ツアーのために宇宙船に乗っている。彼は土星の周りをまわっている人工都市衛星で生まれ育っていた。本業は運送業で、主に土星の衛星にある都市や人工都市衛星間の物資の輸送を行っている。しかしかねてから「自らの先祖が住んでいたという母なる地球がどういうところなのか?」気になっていた。もちろんネットや写真では良く見てるが、実際に行ったことがない。だから実際にどういう場所なのか見てみたくなったのだ。

 こうして念願の地球ツアーに参加した男。いつも見慣れた土星の環が見えなくなりったときには、少し寂しさもあったが、やがて巨大な木星の姿が目の前に見えると再び地球というものへの期待が高まってきた。
「星全体に自然の大気でおおわれていて、自由に行けるなんて不思議で仕方がない。いったいどういうところなのだろうか? 俺たちが普段使っているプールとはけた違いに違う、広大な海と言うのも見てみたい」

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 木星とその周辺を回る衛星の近くに来たとき、地球までノンストップで航行する宇宙船ではまもなく船内食が配られる時間となった。男はどちらを選ぶか迷っている。ちなみに食生活はかつて人類が地球のみで生息していた時代と大きな違いはなく、当時同様に肉や魚と言った動物や毒のない植物を野菜、果物と称して味わっている。
 あとは昆虫と呼ばれるあらゆる小さな生き物が大幅に流通。それも高級食材として非常に重宝されている点が少し違うかもしれない。

「さて選べるのは魚と肉か、やっぱり昆虫みたいな高級なのはないな」
 男がうなるように悩んでいるとやがてアテンダントが、台車を引いてきた。この時代でも地球時代の英語や中国、日本語と言った言語は生き残っていて、それとは別に各宇宙空間の都市では新たな言語が登場している。しかし宇宙旅行に関しては、宇宙を含めた全世界共通ということで、新たに地球語が開発された。ちなみにこの地球語は英語と中国語を混ざった言語で、20世紀から21世紀にかけて、赤道近くにある小さな国のシンガポール人がよく使っていた「シングリッシュ」という中国語交じりの英語を母体としている。

さて話がそれたが、アテンダントが「どちらにするか」と、地球語で訪ねてきた。男は優柔不断な性格のため、悩んでいた。それも数秒ではなく十数秒だからアテンダントは、明らかにいらだつ表情を始める。
「嫌な空気だ。俺、地球語苦手なんだよな」アテンダントの圧力に屈した男は、適当に指さす。

 その様子を見て隣の窓際の席に座っていた女が声に出さずに笑う。彼女は男の姪であり、このツアーに男と一緒に参加した。「おじさん、船内食なんか大したことないんだから適当に選べばよかったのよ」
「ああ、まあそうなんだけど」男は言葉に一瞬詰まる。「どちらも魅力的で選べなかったんだ」とそのあと適当にごまかした。

 今度は声に出して笑う姪。「アハハッハ!だから事前に旅行会社を通じて選べばよかったのに。私は菜食主義者だから野菜だけのベジメニューを指定したわ」「菜食主義者ね......」男はため息をつく。それは男にとって妥協できない点。魚でも哺乳類、鳥類何でもよかったが、とにかく動物の肉が食べたかった。本当は昆虫だったが。

 しばらくして食事が運ばれた。どうやら魚の方が来たようだ。「進化の系統だったら哺乳類より魚の方が昆虫に近いんじゃない」という姪。そういいながら野菜を口にくわえ、窓から見える宇宙空間を覗いている。それに対して、男は憮然とした表情のまま黙って魚を口に入れた。

 それから2,3分したときに突然大きな衝撃、船内が左右に大きく揺れた。すぐに船内アナウンス。「当船はただいま前方から来た小天体群に遭遇しました。無事に回避しましたが、その際急に船体が揺れましたこと、深くお詫び申し上げます」

「びっくりしたな」男は船内食を抱えながら姪に話しかける。「あ、虫!」姪が意外なことをいう。男が船内食を見ると、バッタの煮つけを乾燥したものが2匹ほど紛れ込んでいた。「え、どこから?」男は突然好物のバッタが現れて驚いている。すると通路側で気配がした。
 振り向くと通路を挟んだ反対側の横で、服装からして高そうなものを着用している婦人が苦笑いを浮かべて何度も頭を下げている。どうやらこのバッタはその後夫人が、持ち込んだもの。ビニール袋に入れていたものらしく、スナック菓子のように、手でつまんで食べようとしていたらしい。今の衝撃で、中の虫がはじけるように飛んで散らばった。その一部が男の宇宙食の中に飛び込んできたという。
 男は、片言の地球語で「お気になさらずに、こっちは大丈夫です」と言って作り笑い。「ラッキーだな。これ多分食べても問題ない」男は心の中でつぶやく。何しろ食べたかった昆虫が目の前に飛んできたこともあり、衛生面など気にすることがない。そのままうれしそうにバッタを口に運ぶのだった。


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