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伊良湖への御挨拶を終えて

「私のふるさとどうだった?」
 成美は昨年の年末に再会し、自然と付き合うようになったベトナム人フットに声をかける。フットは小さくうなづくが視線は目の前の海を眺めていた。
 ここは伊勢湾を航行するフェリーの上。愛知県の伊良湖岬から三重県の鳥羽に向かう途中である。

「あのう、ナルミさんのご両親優しかった」数分後にようやく口を開いたフット。
 実はふたりは本気の交際。成美はベトナム中部の町ホイアンで2017年にフットと出会った。彼にホイアンの町をガイドしてもらっているうちに親しくなる。そして日本に帰国後も彼との連絡を毎日のように取り続けていた。それはお互い物理的には遠距離恋愛でありながら、深まる愛により確実に縮まっていく距離を確かめ合ってるかのよう。

 しかし一時期ふたりの交流は途絶えてしまった。些細なケンカで......。

 だが連絡が途絶えて半年以上経過した昨年の年末。突然フットが日本に来た。彼の姉夫婦とともに。フットの姉でリエンの夫・健太郎は、日本の大手企業のビジネスマン。そのようなつながりでビザなどの諸問題もクリアした。そもそも成美は健太郎を通じてフットと知り合っているのだ。
 成美はクリスマス前の男女の独特空気を感じる中、寂しさを感じた矢先に再会したフットを『運命の人』と直感。それは彼も同じ。だから成美は結婚という言葉を意識しつつ行動を起こす。今回両親の住んでいる愛知県渥美半島の先端・伊良湖崎の近く、故郷・田原にふたりで戻ってきたのだ。

ーーーーー
「どうせなら伊勢湾を一周しようね」とは成美の提案。フットは日本のことをあまり詳しくない。伊勢湾はわからないが、伊勢神宮は知っている程度だ。「伊勢神宮にも行けるからね」と成美に押される形で、都内から最初に豊橋に向かった。ここからは三河湾と太平洋を隔てている渥美半島を走る豊橋鉄道に乗り込む。

「終点で、父が迎えに来ているわ」成美は久しぶりの里帰り。車窓から流れる渥美半島の風景をゆったりと眺めた。
「き、緊張スル!」フットが少し片言の日本語を吐いた。初めて付き合ってる彼女の親と会う。当然なのかもしれない。
 成美は「大丈夫、父さんも母さんも優しいわ」と言ってフットの両手を優しくつかんだ。

 列車は終着駅の三河田原駅に到着。終着駅ではあるが2013年に完成した駅舎がおしゃれなこともあり、終着駅らしいノスタルジックな雰囲気はない。改札を出ると、黒い軽自動車に乗っていた成美の父・正雄がクラクションを鳴らして合図をしてくれる。

「お父さん、彼なの。連絡した」成美はさっそく正雄に紹介する。正雄は白髪が8割以上のシルバーのオールバック姿。フットを見ると「ようこそ来てくれたな」と照れ気味の笑顔で小さく一言だけ発した。対してフットは大声で、「ヨロシクオネガイシマス」と言いながら、お辞儀をして低姿勢。

 こうして車に乗る。車は西方向。渥美半島の先端に向かって走っていく。走ること20分ほどで到着したのは、とある集合住宅。
「ここは相変わらずね。父さん、市営住宅にずっと住んでいるんだ。これから、老後とか考えたら階段とか大変じゃない」成美が懐かしさと心配そうに父に問いてみる。
「いや、もうここは、母さんとふたりでのんびりできる場所なんだ。住んでいるのは2階だし、このくらいは運動になるな」と笑顔を見せた。

 車を住宅の前にある駐車場に置く。車のドアを開けて外に出ると、突然の怒号が耳元に聞こえた。
「ごらぁ。いい加減にしろ。早く会長を呼べ!」
 正雄に近い年齢のいかつい顔をした男が大声でわめいている。男の前にはやはり同世代の別の男性がいたが、その大声を全く気にせずその場を立ち去った。
 その光景を見た成美は思わず目が泳ぎ、口元が震える。フットも緊張のあまり体が固まっていた。さらに目にチックが入ったように小刻みに動かている。唯一冷静なのが正雄。そんなふたりを見て何事もなく笑顔を見せる。
「ああ、気にするな。あの親父はいつもああだ。あいつ奥さんなくしてから寂しいのじゃろう。たぶんあの大声がストレス発散しているんだ」

 こうして何ごともなく2階の部屋に入る。「成美ちゃんお帰り。あ、この人ねフットさん」やさしそうな成美の母、智子が迎えてくれた。智子は小太りで、頭にパーマをかけている。そしてにこやかな表情を崩さない。

 部屋に通されると改めてフットは、成美の両親に向かい正座してあいさつ。「ボクはフットです。成美さんのこと大好きです。ガイジンですがヨロシクお願いします」緊張のあまり手が震えている。だが両親は嫌な顔ひとつすることなく。「ベトナムじゃったな。母さんといったことがある国のひとつ。いいところだ。それよりも成美はわがままなところがあるからな、よろしく頼むよ」
「そう、私たちは北のハノイとハロン湾に行きましたの。いつかフット君の故郷ホイアンも見たいわね。それよりフット君を一目見て安心したわ。成美をよろしくね」
 両親は成美もフットも驚くほどあっさりと受け入れてくれた。

 そのあとは4人でささやかな食事会。昔話とベトナムに住んでいたころのフットのいろんなエピソードの披露に花を咲かせた......。

ーーーーーー

「明日、鳥羽行きのフェリーに乗るのか、そしたら港まで送ってやるが、一か所お前たちにお勧めの所がある」と、正雄が寝る前に声をかけてきた。

「父さん、そんな寄り道とかいいの」「おう、というよりフット君だ。彼に連れて行ってやったほうがいいじゃろう」正雄はそれだけ言うと明日の出発時間を告げてすぐに立ち去った。
「僕が言ったほうがいいところって、ドコ?」明らかに戸惑い気味のフット。しかし成美首をかしげながら「さあ、私も見当がつかない。伊良湖崎の灯台のことかしら」

ーーーーー

 翌日、正雄の運転で伊良湖崎の港に向かうふたり。車で20分もかからないところ。しかしフェリーの出発時刻よりも1時間も早く出発した。
「ねえ、父さん朝からどこに連れてってくれるの」成美が聞く。だが正雄は軽く白い歯を見せながら「まあついたらわかる」とだけ言った。
 車はそのまま伊良湖崎港を目指している。そしていよいよ港が見えたところ。ここで車は本来の進路とは違うところに行った。
「ここだ」正雄がしばらくすると車を置く。そこは海岸線である。
「え、ここって。恋路が浜!」

 成美はようやく場所がわかると嬉しそうな正雄。
「ここは、父さんと母さんが良くデートをしたところ。まだ成美が小さいときもよく来たな」
 正雄は運転席からそのまま浜辺を見た。「父さんと母さんは、お前が子供のときから決めていたんだ。いつか相手となるべき人を連れてきて挨拶に来たらここに連れてこようと思っていたんだよ。そして今日ようやく実現した」気が付けば正雄の目には涙が浮かんでいる。

「父さん......」成美は思わずもらい泣き。フットは緊張したまま顔が硬直している。

「早く出なさい。ここは昔、都から高貴な男女が逃れたという伝説の浜。お前たちは逃げているわけではないが、今の状況にはぴったりだ。20分くらい時間がある。ゆっくり楽しみなさい」
 正雄にせかされるようにふたりは車を出た。伊良湖崎の灯台から出(ひい)の石門までおよそ1キロ続くという歪曲した海岸。海辺に近づけば心地よい波の音が定期的に聞こえてくる。気が付けばふたりは自然と手をつないでいた。
「良いトコロだなあ」「うん、そうよく子供のとき、父さんと母さんと来てた。海水浴できなくて浜辺の散歩だけしたかな」成美は嬉しそうに太平洋を眺めている。ここで少し強めの風。成美の髪が心地よく靡いている。
「あそこに、鐘がアルヨ!」フットが指をさしたのは小さな鐘がぶら下がっているモニュメント。
「幸せの鐘だって、鳴らしてみようか」ふたりはさっそく、鐘を鳴らした。 

 その音色は車の窓を開けていた正雄の耳にも届く。
「お、鐘を鳴らしているな。さてと、次の楽しみは孫かな」正雄は静かに呟くのだった。


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