noteでよかったこと 第997話・10.18
「noteでよかったよ。もしネット上にデジタル入力してたら、この論文はどうなっただろうか？」野手良事（のてりょうじ）はそう言って、かろうじて持っていたノートを見ながらほほ笑んだ。
突然の悲劇が訪れたのは昨日の事だ。それまで良事を含め、町は平和そのもの。町というより世界が平和であった。厳密に言えば局地で紛争はあることはあるが、たがが知れている。大多数の人々は平和を享受していた。
ところが昨日の朝に臨時ニュースが世界中を駆け巡った。「謎の巨大隕石が猛スピードでわが星に突進する模様。衝突すれば甚大な被害の可能性があります」と。
このことで世界は大混乱となった。結果的に世界政府の防衛システムが作動して、隕石を破壊。隕石は遥か宇宙空間で粉々になったものの、破片の一部は星に落下してしまう。ほとんどが大気圏内にて消滅したが、大きな破片は地上にまで到達した。その結果、世界中で被害が報告される。最大の被害は、ネットが完全にマヒしてしまったようだ。サーバーへのダメージもあれば、途中のケーブルも破損し、それまでネット空間で当たり前のようにデータや情報のやり取りをしていたものが完全にストップする。
みんなが持っているスマホもカメラ機能や時刻表示などの一部を除いて、完全に使えなくなっていた。パソコンもワープロや表計算をすることしかできない代物になってしまったのだ。
良事は研究者。大学の教授も兼ねていた彼は、多数の論文を書いて発表している。そしてほとんどの論文は、情報を共有するために、ネット上のサーバー内にデジタルデーターとして保管していた。最も新しいひとつの論文を除いて。
この惨劇が起こったさらに5日前、良事個人に禍が降りかかった。彼はある集合住宅の一室を、執筆用の部屋として借りていた。部屋にあるパソコンで論文を執筆し、そのデータをネット上にアップロードしていたのだが、この日あろうことか隣の部屋で出火してしまう。
慌ただしく逃げる良事は、パソコンを置いたまま逃げる。怪我などはなかったが、パソコンも部屋も影響を受けて使えなくなってしまった。
「弱ったな。6日後に発表する論文があるというのに」良事は実家に戻ったが、そこは超アナログな家。ネットに対して否定的な両親が住んでいる。「そんなものはいらない。電気代や電話料金が高い！」頑固な良事の親父は、デジタルを一切否定するほどの男。つまりパソコンもネット環境もなかった。
「新しいところが見つかるまでの10日間だ。我慢しよう」と、良事は考えていたが、新しい論文を6日で仕上げる必要がある。
「大学に行ってやるしかないかな」良事は、大学で泊まり込んで論文を書こうと思った。が、そのとき実家にたまたま白紙のノートを見つける。
「せっかくの実家だし、だったら久しぶりに」良事はこれもおもしろいタイミングとばかりに、ペンを取り出すと、白紙のノートに論文を書き始めた。厳密に言えば論文の下書きなのかもしれない。発表一日前までに論文を書ききれば、ノートを大学にもっていき、そこで一気にデータ入力すれば済むと思っていた。
「うん、手が予想以上に疲れるが、たまにはいいなぁ。手書きの論文執筆っていったい、いつ以来なんだ」と、愚痴をこぼすことはあったが、基本的には楽しい時間であった。こうして良事は予定通り、発表の前日までに文章をデータ入力すれば完成だ。
「よし、このノートをもとに大学に行こう」と思い、実家で出かける準備をしていた矢先、巨大隕石が接近するニュースが流れる。
ニュースが流れてから、ネットの利用が出来なくなるまでの時間は3時間ほど。最初のニュースを知った良事は実家から大学に到着していたが、いざパソコンの電源を入れて、いつものようにネットにつなごうとしたら、一切接続できなくなった。
「なんで？」良事はネットの設定上のトラブルとばかり思っていたが、1時間後には世界的に起きた悲劇であると知る。
「復旧までには最速で2週間、また被害状況が見えておらず、最悪サーバーにあるデーターの復帰についても、バックアップ装置も含めどうなるかわからない」という。何とも言えない致命的なニュースが流れる。
だが、良事の論文発表は、3日後に行われることが決まった。オンラインは使えないので、大学の講堂でのみ行われることとなる。
「もし手書きをせずデータ入力をしていたら、論文発表が出来なかった」良事はそんなことを頭に思い描きながら、当日の論文発表を手書きノート片手に行うことができた。
良事の論文は非常に高く評価され、後にデータ入力で共有化された。だがもしアナログの手書きノートが無かったら、単に論文発表が遅れるだけで済んだかどうか、今となってはわからない。
「noteでよかったよ。今回に関しては」良事はそう思いながら、今後はアナログのノートも少しは活用した方が良いかなという気がした。
https://www.amazon.co.jp/s?i=digital-text&rh=p_27%3A%E6%97%85%E9%87%8E%E3%81%9D%E3%82%88%E3%81%8B%E3%81%9C
－－－－－－－－－－－－－－－－－－
シリーズ 日々掌編短編小説 997/1000
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか？