道化師という やさしい阿呆
「もう、やめさせてください! 僕はそんなにアホではないです」比得呂尚弥は、大声で社長の貞夫に訴えた。
ここは道化興業というクラウン(道化師)を派遣している会社である。社長である比得呂貞夫を頂点に、十数人のクラウンが在籍していた。
ちなみに比得呂は『ピエロ』と呼び、道化興業所属のクラウンが共通で名乗る芸名(亭号)である。
だが貞夫は首を横に振り「尚弥よ、そんなにクラウンが嫌なのか? お前は人を楽しませたいといってたではないか」
「で、でも」尚弥は、目に涙を浮かべている。「どうした? 言いたいことがあれば、はっきり言いなさい」貞夫はあえて優しい口調で問う。
「い、いえ、何でもないです」尚弥は立ち上がると、貞夫の元を逃げるように去った。
「ちょっと見てきますね」 貞夫の横にいたベテランのクラウン、比得呂芳江は心配そうに直也の後をを追いかける。
残された貞夫は煙草に火をつけ、一服。そして「まあ、誰もが通る道だ。道化の世界に入って最初の壁。アホを受け入れることをな」
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芳江は隣の部屋で壁に向かってうなだれている尚弥を見つけた。「尚弥君、どうしたの。社長に言えないなら私が聞こうか」
芳江は道化興業では3番目に古い。彼女より古いのは貞夫とその妻でマネージメント担当をしている幸子。彼女は普段はクラウンを演じないので実質的には芳江がナンバー2である。そして所属しているクラウンたちからは「母」と慕われている存在。それは尚弥も同様であった。
「僕は子どものころに遊園地にいた、白塗りのピエロたちをみて『楽しそう』と思って興味を持ちました。そのあと大学の学園祭で演じたピエロで、みんなが笑顔になってくれたのです。その感動がたまらなくなり、国立大学を卒業したときに、貞夫社長のところでお世話になることを決めました。でもこのままクラウンを続けることに最近抵抗が......」
尚弥はうつむきながら淡々と語る。芳江は黙って頷く。
「やっぱり親が言うように公務員。それが無理でも今からなら第二新卒でどこかの民間企業に就職できるかもしれないと思って......」
尚弥が語り終えるのを見計らって芳江が口を開く。
「尚弥君、本当に親御さんが勧める公務員になりたいの。もしそれが本音ならだれも止めないわ。こんなやくざ稼業より、ずっと固くて将来が保証されているんだもの。でも本当にそれでいいの?」
「え?」尚弥は顔を上げて芳江のほうを見る。
「さっきの尚弥君の言い方だったら、そうではないもっと別の理由があるとしか思えないわ。例えば客に『アホ』と呼ばれ続けていることが辛くなったとか」
このとき尚弥は芳江に言い当てられたことに、一瞬体に電気のようなものが走った。急に力が抜ける。ただ眼から涙が流れた。
「やっぱりね。アホという言葉が辛い。それはわかるわ。私も社長もクラウンを演じるものはみんな感じることだと思う」
「う、ううう。僕は国立大学出ている。そ、それなのに派遣先で行く、施設の子供たちやお年寄りの一部の人に『アホ』呼ばわりされることがあって。
一度や二度なら我慢できても、日々派遣された先で、この言葉を聞くたびに、だんだん辛くなって。僕は本物のアホではない。あくまで演技しているだけにすぎないのに......」
尚弥は再び目に涙が浮かぶ。目の前に芳江がいるに気にせずに泣き出した。
芳江は、ハンカチを尚弥に渡す。
「確かに私たちクラウンは、アホで馬鹿げたことをしているのかもしれない。元々人を笑わせたり楽しませる存在だから。多くの人は素直に楽しそうに笑ってくれるだけだけど、感性だけで行動や発言する小さな子供や妙に大人びた中学生。
あとお年寄りでも独特の思考に凝り固まっている人なんかは、自分より劣る存在だと思って、そうやって罵倒気味なことを発することはあるわ。でもそういう人に限って、私たちを罵倒することで日頃のストレス解消。つまり私たちのような存在を必要としているわけなのよ」
芳江はそう言って尚弥を説得するが、当の尚弥は全く理解できず悔しそうな表情のまま。
芳江は軽くため息をつく。そして何かを思い出したかのように次のことを言った。「そうだ、こんど珍しい施設の依頼が入ったの。外国人の子どもたちのところなんだって。そのとき私と社長がクラウン演じるんだけど、あなたは、そばで見てるだけでいいわ。ついといで」
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そして当日、社長の貞夫と芳江のふたりは、顔を白く塗って鼻をつけるなどしてクラウンなった。そしてふたりで舞台を行う。尚弥はスタッフということで、今日は観客席でふたりのステージを見ることになっている。
ここは日本に来た外国人の子供たちが集まる施設。見た目が明らかに日本人ではない子もいるが、みんな日本で生まれ育っている。だから姿を見なければ、どこにでもいる日本の子供と同じ、ネイティブな日本語であった。
思考もほぼ同じだろう。彼らはやっぱりどこにでもいるような子供たち。この日は小学生から中学生くらいまで50人近くが集まっていた。
こうしてステージは始まる。普段とは違う、道化を演じるふたりのベテランクラウン。そのコミカルな動きに、観客はもちろん尚弥が見ても楽しくて仕方がない。そんな楽しいシーンがしばらく続くが、突然場の空気が変わった。
ステージで座っている子供のひとりが大声を出す。「こいつらアホな奴らだ! 俺はあんなことして金儲けしたくないね」
と大声を出しているのは、非常に大柄な体をしていて色が黒っぽい子供。中学生くらいだろうか?
「アホみたいな奴って!」尚弥は、貞夫と芳江が罵倒を浴びているのが自分のことのように思い苛立った。
「ウイチャイ君、失礼よ」スタッフのひとりが、少年をたしなめる。
「先生なんで? 本当のこと言っただけ。俺はこんなアホみたいになりたくない」
ウイチャイという少年は、この後完全にステージを馬鹿にしたように、わざと声を出して大あくび。しかしステージのふたりは全く動じることなく、そのまま演技を続ける。
さらに5分くらい経過するとまたウイチャイ少年が大声を出す。「おい陳、お前あのアホみたいなやつの前で同じ真似してこい」「そうだ、ウイチャイさんが、そういってんだ、陳やれ、命令だ!」
ウイチャイをはじめ女の子も混じった数名の取り巻きが、一緒に小柄な陳という少年をいじめているようだ。
陳は明らかに不快な表情で仕方なく前に出てくる。
施設のスタッフはお互い顔を合わせて立ち上がろうとした。だがショーの最中で、ステージの上に立っているクラウンの芳江が、陳を拍手で迎え入れている状況。邪魔をしてはいけないと座ったまま。
「あんなのは初めてだ。ウイチャイって子供はとんでもない奴だ」尚弥はいら立ちを抑えながら状況を注視。最悪の場合は自ら出ていくことも頭の中に思い浮かべた。
ステージに上がった陳。ところが突然芳江と貞夫に向かって指をさしながら、ありったけの声で「アホ、アホ!」と罵倒を始めた。これは陳本人の意思でないことはだれの目から見ても明らかだ。
だがふたりのクラウンはそれを見て、わざと大げさなパフォーマンスを見せてアホになり切っている。しばらくすると観客から笑い声。最初は茫然と見ていた陳も少しずつ顔に笑顔が出る。
やがて陳もふたりと同じようなポーズでアホを真似だした。これは命令とか指示ではなく、陳自身が自主的に演じているようだ。
ここにきてウイチャイをはじめとする取り巻きたち、ほかの子供にスタッフたちも一斉に大笑い。楽しい雰囲気がステージに戻った。尚弥も笑う。
すると、貞夫はおどけながらいったんステージの奥に向かいすぐに戻ってきた。手に何かを持っている。すると突然ジャグリングを始めた。いったいどのくらいあるのか? いくつものボールを次々と高く上げては手で取ってまた投げる。ここで笑いから拍手に変わった。
「社長が、ジャグリングをしたの初めだ」尚弥は驚きの表情でその演技を見る。
そしてそれが終わるときに、ひとつボールを落とす。貞夫クラウンはおどけている。それでまた笑いが起こるのだ。
こうしてふたりのステージは拍手のうちに終わる。尚弥はウイチャイのほうを見たが、本当に楽しそうな表情に変わっていた。
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「今日は、奥様はお忙しいのですか??」
「ああ幸子は急用ができた。せっかくの競馬観戦のための指定席をふたり分予約したから、悪いけど芳江に代わりに来てもらったんだ」
貞夫はそう呟きながら、競馬場に視線を送る。この日は、日本ダービーが行われるのだ。そしてふたりの周囲には事前予約で指定席に座っている競馬ファンが周りにいた。
「社長、私が競馬をしないことを知っていながらここに誘うなんて」貞夫は芳江を見る。「俺も普段はしない。このダービーと年末の有馬記念のときくらいかな。ギャンブルなんてひとつ間違えたら馬鹿になってしまう。
まあ俺は、それ以上に馬を見ているのが好きなんだ。どの馬とかではなく、馬そのものだな。やっぱり生き物はいい。あの動きをまたクラウンのときに活かせられるんだ」
貞夫はいつもと違い和やかな表情。右手に馬券を握りしめている。
「では?」「ああ、もうわかっているだろう。尚弥のことだ。あの後どうだったのかなって」
「ええ、あのときあの子を連れて行ってよかったみたいね。ようやく私たちの仕事の大切さを理解してくれたというか」
芳江は尚弥の変わりようを嬉しそうに報告。貞夫は何度もうなづいた。
「新しいところだったがよいステージだった。あの日がきっかけで、陳君がいじめられっ子から、俺たちの真似をするなど楽しいことをしてみんなを喜ばせていて人気者になっているとか」
「途中から本当に楽しそうだったものねあの子。本当はああいうことしたかったのかもね」芳江はつぶやきながら視線を競馬場に送る。
「でも、そういうのが尚弥にも分かったみたい。あんなにやめたがっていたのに、今では『最高のアホを演じるクラウンを目指す』って毎日気合入っているわ」
「そうか、ようやくあいつもアホになり切れるか。そしたら今度ジャグリングを教えてやろうかな」
「社長はかつてジャグリングの選手権で、優秀賞を取りましたものね。今は団員のほとんどが知らないけれど。最後落としたのもわざとでしょ」
ところが、貞夫はテレを隠すように手を頭の後ろに置き笑う。「ハハハアアハ! いや、久しぶりにやったから本当に落とした。でもわざと落としたように演じたまでだよ。心優しく楽しいアホでなければならないからな」
すると競馬場の雰囲気が一変した。どうやら間もなくレースが始まる見込み。「芳江も馬券買ったのか」「え、ええ適当に。お遊び程度ですけど」
「そうか、そしたら今から公営ギャンブルでバカをやってみよう。当たれば団員に何かごちそうだ」
直後にレース開始のファンファーレ。この日ばかりはアホではなく、馬鹿を演じるように、興奮してレースを見たふたりだった。
こちらの企画に参加してみました。
「あほ」をテーマに書く小説って意外に難しいですね。
「画像で創作(5月分)」に、となみな(寅三奈)さんが参加してくださいました
5つの短歌で構成されています。最後の歌については、わざわざ今回の画像用に改変したとのこと。複数の企画に同時参加したそうです。ぜひご覧ください。
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シリーズ 日々掌編短編小説 495/1000
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