2000字のドラマ「若者の日常」  第612話・9.26

「太田君、今日も楽しかったわ」木島優花は、太田健太とのデートの帰り道。立つ人もほとんどいないほど車内は空いている。電車の中で仲良く横に並んで座っているふたり。優花は健太の肩に身体を預けるようにもたれて、目をつぶり幸せの表情を見せていた。
「おう、雨が降るかと思ったが、天気が持ってくれたな」健太も照れながらも嬉しそう。手元には未使用の折りたたみ傘を持っている。まだお互い別々に住んでいるが、健太はそろそろ優花との同棲を考えていた。だがまだ言い出せないでいる。というより優花を家に呼んだことがほとんどない。

 電車は間もなくターミナル駅に近づこうとしている。健太はデートの終盤のこのときがたまらなく辛い。なぜならばこの駅で優花と別れなければならないからだ。
「俺の部屋、ふたりが住めると思うが、優花が遠くなるだろうし。中々難しい」健太はいつもそのことで悩む。優花は特に表情は変わらない。彼女はどう思っているのか。いつか聞いてみたいが、まだ聞き出せずにいる。

「あれ? 誰かしら」突然優花の目が開いた。スマホにメッセージが着信している。「お、俺も!」健太の方にもメッセージ。それを見るとふたりがほぼ同時に声を上げる。「え、詩音ちゃん?」「お、同じだ、横山からって、へえ懐かしいなあ」

 ふたりにメッセージを送った主は、横山詩音。かつて健太と優花の高校の同級生であった。地味でまじめな詩音。高校ではあまり友達がいなかったが、優花とは意気投合していて親友だったので、いつも一緒に過ごしていた。
 そこにいつしか健太がふたりに交じる。気がつけば3人で遊んでいた。そして高校卒業とともに詩音は海外に留学。その後日本に残った優花と健太が自然に結ばれたのだ。

「ねえ、日本に戻ってきてるって!」「本当だ。それも今、俺たちが到着しようとしている駅って? 何であいつ俺たちが向っているの知ってんだ」驚きのあまり健太の声が大きくなる。
「いや、まああの駅は大きいから偶然でしょ」「なのかな。これは会うしかないな」

 電車は終点のターミナル駅に到着。優花が健太とともにいることを伝え、駅の改札で待ち合わせる。数年ぶりに再会することが決まった。

「あ、優花、健太君もお久しぶり」改札で手を振ってきた詩音。しかし優花と健太は、お互い目を合わせると驚きの表情に変わった。「横山、変わったなあ」「本当ね。詩音ちゃん、爪があんなに真っ赤なんて」
 ふたりが知っている高校時代とは明らかに違う詩音。対照的にあまり変わらないのだろうか? 全く驚いていない詩音は、元気に「え、もしかして」と口元を緩めて、ふたりの関係を追及する。
「あそこでゆっくり話をしようか」健太は駅構内にあるカフェを指さし、とりあえずそこに入った。

「やっぱり! 私、最初に見たときに、そうだと思った」健太と優花が付き合っていると知って、自分のことのように嬉しそうな詩音。
 彼女は爪だけでなくメイクも濃いし、いろんな派手なアクセサリーをつけている。髪も金色に染めていて、高校の地味なイメージとは真逆的。健太も優花もまだ変わり果てた詩音について行けていない。
「あの、いつ、日本に戻ってきたの?」
「実は去年の冬。でもしばらく九州で働いていたわ。でもそこを止めて先週こっちに戻ってきたの」
「今は何の仕事を?」健太が質問したが、詩音は真顔になり。「うーんそれは、今日はまだ秘密でいい?」という。
 恐らく聞かれたくない何かがあるのだろう。健太はそれを察知してこれ以上は詮索しない。

 それぞれが注文したドリンクが運ばれてきた。健太はいつもながらのブラックコーヒーをゆっくりとすする。優花はホットのダージリンティ。
 なぜか詩音はアルコールを注文。メニューにあった海外のビールが来ると、グラスも使わずに瓶ごとと口に運んだ。
「横山、ビールを飲むのか。なんかいいなぁ」健太は詩音の動作がかっこよく見えて仕方がない。「本当はタバコも吸いたいんだけど。ここ禁煙だからね」とこぼす詩音。何の銘柄を吸うのかと健太が聞くと、海外のものだという。

 そのあとは3人が一緒に遊んだ高校時代の話で盛り上がる。このときの詩音の表情だけは違った。かつてのあどけない表情に戻っている。こうしてそのまま1時間くらい語り合った。

「じゃあね」と言って別れる詩音。近々また会う約束を取り付ける。そして残ったふたり。本来ならここでふたりとも別れるのだが......。健太は消化不良気味。どうやらそれは優花もだ。
「あのさ、ちょっとな。本当にこのまま帰るのも」「同じ、まさかの詩音ちゃんと会うなんてね」
「でも、もう遅いな。優花、今日って帰らないといけない用事ってあるか?」「え、いや別に」「だったら俺の家に寄らないか? 大したものないけど」と思いきって健太は誘う。すると優花は嬉しそうな表情になり「うん、行く、太田君の家の近くにコンビニあったけ」と乗り気。
 内心うれしくて仕方のない健太。ここはあえてクールに「もちろん!じゃあ行こうか」と言うと、ふたりは手をつないで健太の家に向かうのだった。


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