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わたしのキャリア 第1159話・5.4

「私の発表どうだった?」おいらに突然聞こえた声、おいらは最初、別の人に話しかけてきたのだと思って特に気にしていなかったが、再び「私の発表どうだった?」と聞こえる。

「誰??」おいらは頭が混乱した。ここはおいらが来週から転勤で赴任することになった町である。引っ越しを終えたので、気晴らしに近所の公園に来ただけに過ぎない。だから知り合いなどいないはずだが...…。

 ここで、なんとなく、おいらに三度目の声が聞こえるような気がしたが、それからは聞こえなかった。「あれ、聞こえない」おいらはもう少しその場所で立ち止まる。目の前にはライオンの顔が付いたモニュメントがあった。まさかそこから声がしたのかとも思ってしまう。

 おいらはライオンの前でしばらく待ってみた。だがあれからは何も聞こえない。聞こえたのは、木の上に止まっている小鳥のさえずりくらいなのだ。

「普通ならさ、ここでもう一度おいらに聞こえて、振り返ったら想定外の何かが話しかけてきて、例えば目の前のライオンとかさ。そこからおいらが驚くとか、それからえっと、その何かと友情のようなものが芽生えるとかそんな展開なんだが...…」
 おいらは好き勝手なことを想像しているが、一向にそんな気配はなかった。

「やっぱり気のせいか。だよな」ようやくおいらは諦めて歩き出す。歩きながらおいらは冷静に考えてみると、そんなおかしなことがあったほうが危険なことに気づく。
 でなければいきなり道を歩いていて、見知らぬ何かが話しかけるなんてありえないからだ。

 こうしておいらは気を取り直して公園内を歩く。今日は休日のためか公園には子どもたちが元気に遊んでいる姿がある。勢いよく走る子供たち、おいらからすれば、そんなに体力を消耗して大丈夫なのかと心配するほどだ。

「まあ、子供はそんなものだろうな」おいらはちょうど開いていたベンチに座る。座って風景を見ながら、新天地であること町のこと、そしてこの街に来るまでの記憶をたどるようにをあれこれ考えた。
「あの時の課長は、たぶん」おいらは一瞬落ち込んだ。おそらくこの地に来たのは、おいらの失敗が原因で飛ばされたのだと思ったからだ。
「営業成績はそれほど悪くなかった。だが大事なプレゼン発表で...…」

 あの時おいらは自信があった。おいらが初めて主体的に企画した内容である。それをプレゼンすることになったとき、課長は「これで行こう」となり、そのあとの会社役員相手にプレゼンした時も異論はなかった。
 だからこれはもう問題ないと思い、顧客先に行ってプレゼン発表を行う。だがそこでおいらの発表は悲惨なことになったのだ。

「気にするな、他社の内容が良すぎたんだ」と、直後に課長は励ましてくれた。だがあの案件は、会社としては相当気合の入ったもので、これからの業績アップに大きく左右されるような大口顧客相手のもの。それにおいらが指名されたのに、結局...…。

「力不足だよな」おいらはため息をつく。そして3か月前のプレゼンに失敗して、落ち込んでいるまもなく、いきなりの転勤である。より落ち込んだものだが、そのくらい期待を裏切ったのもまた事実。

「ふう、だけどリストラでクビにならなかっただけでも」おいらはプラス思考を貫いた。おいらは勝手に左遷されたと思っているが、実際のところはわからない。おいらは別に出世したいとは思わないが、もしかしたら新しい勤務先で巻き返せるかのしれないのだ。

「うん、この街はまだ発展途中、これからますます発展しそうな気がする。ここに送り込まれたのは、もしかしたら将来を見越してのことかもしれない。そう思って頑張ろう」おいらは公園の木を見ながら頭の中で気合を入れた。

「もしかしたら、あの発表って」おいらは、さっき歩いている時に聞こえた声は、自分自身の心から聞こえたものなのかなと思った。
 失敗を引きづりながらこの新しい場所に来てまだそのことを思っていたのかもしれない。でももう終わったことではないか。

 新しい場所ではそれまでとは違った働きをする。今回の失敗もおいらのキャリアのひとつ経験なのだ。それを生かしつついつか大きな顧客の受注が取れるようなプレゼンが発表できるように頑張ろうと思った。

「私の発表どうだった?」「え?」このとき、おいらに久しぶりに聞こえた言葉。「なんで、今頃...…」おいらは慌てた。ようやく過去と決別できたような気がしたのになぜ聞こえたのかと。恐る恐る声のするほうを見る。だがそれを見ると俺は苦笑いをした。

 そこで見たのは、さっきまで走り回っていた子供たちの会話の一部だったからだ。

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