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猫と帽子 第634話・10.18

「そろそろ朝夕冷えてきたが、いよいよ主さんとはお別れだな」秋が深まり涼しさから寒さすら感じるようになった秋の日の夜中。一匹のオス猫は静かに起き上がると、人間には『にゃー』としか聞こえない小さい声を出しながら、長い間ペットとして居候をしていた家を静かに後にした。

 猫は人間の飼い主たちに『epi』と呼ばれていたが、彼にとっては本名ではないという認識がある。なぜならば彼は生後1歳のころ、人間でいう18歳まではいわゆる『野良猫』であったからだ。

「そういえばあの日も、こんな冷える夜だったなあ」epiと呼ばれし猫は、玄関から外に出たときにそう感じていた。

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「あ、かわいい。左の耳のところだけブルーだ!」epiは白猫だ。記憶上では確か母猫のボディも全身白。だが全く知らない父親の影響を受けたかどうかわからないが、左耳とそのまわりだけ青みがかった色をしていた。
 epiにとってはこの青みは決して好きではなかった。むしろ欠陥があるような気がしてならない。なぜならば同じ時期に生まれたほかの2匹には耳のところがこんな色をしていない。記憶はあいまいだが、確か一匹はしっぽが黒色をしていてもう一匹は完全なホワイトであった。
 生まれてから母の乳をもらいつつ数か月。いつしか母や兄弟たちと別れ、ひとり町を静かにさまよっていた。ある夜のこと、公園のベンチの下で寝ていると、黒いシルクハットのような帽子をかぶり、ミニスカート姿の人間の女性に見つけられる。

「この耳がかわいいって本当かよ」どうやら女性は猫の耳の部分をチャームポイントと思ったよう。そして「連れて帰ろうかなあ」というとそのまま抱っこして家まで運んだのだ。

 そして女性の家で分かったこと。この人は新婚さんで、間もなく少し年上の男性が現れた。「ねえ。この仔かわいいでしょう。私ひとめぼれしちゃった」「でも、お前、外で拾ってきたんだろ?いいのか」「別にいいわよ。前から欲しいって言ってたし。ねえ、飼いましょうよ」

 このとき『この仔は私たちのepisodeだから』という理由で、epiと名付けられる。こうして5年間、人間の家にペットとして居候した。


 だが先月位からこの生活に対して一つの区切りをつけようと考えていた。「よく考えれば俺様もこの地で5年生きた。もう猫生も折り返し点、ならば出ていくとするか」
 6歳となったepi人間の年齢では40歳代である。そういうタイミングで再び野良の生活に戻ることを決意した。だがそれはあくまで名目上。実は居づらくなったのだ。

 その理由はこうである。最初の1年ほどは本当にかわいがってくれた。夫婦には子供ができなかったようで、子供代わりとして愛情が注がれていた。「俺のお父さんとお母さんだ」と、epiは一時期本気でそう思うほど。
 だが4年ほど前から様子が変わっていた。それは夫婦間のすれ違いである。長距離ドライバーである夫の生活は、元々バラバラだが、帰ってこない頻度が急に増えた。夫は仕事だと言うがどうやら別に女ができたらしく、ふたりの喧嘩が絶えない。

 日によっては暴力をふるっていた形跡もあった。それはときはepiにも実害が及ぶことがある。しかしepiはこのときは耐えた。その気になれば逃げることもできただろう。だが野良で溶けかけた冷凍食品を口にするなど、日々の餌をとることもままならなかった自分を救ってくれた人間たち。
 冬は暖かく、夏は涼しい場所で過ごすことができ、常に栄養価の高いキャットフードを与えてくれる、育ての親を見捨てるわけにはいかなかった。
「また仲良くなってくれる」epiは『ニャー』と何度も声をあげそう祈る。

 しかしepiの祈りは通じない。3年前についに夫は出て行ってしまった。拾ってくれた妻の勘が当たっていたようで、結局外でできた女の方に行き、離婚したという。
 それからの1年間は、独身に戻った女の人とepiと水入らずの生活。外に出るときは、いつも黒いシルクハットのような帽子をかぶる女性。種が違うとはいえ、優しくしてくれる人間の女性に、epiはいつしか惚れていた気がした。

 そして2年ほど前からだろうか?また状況が変わった。女性は再びミニスカートを履くようになり、別の男を連れてくるようになる。ふたりは非常に仲が良かったが、男の方はそもそも動物に興味がないのか、epiをかわいがろうとはしない。
 冷凍食品の会社でドライバーをしているという新しい男が来てから半年でふたりは結婚。今度は子供が宿った。そして1年前に待望の子供が生まれたのだ。

 epiは嬉しそうに子供を抱く母となった女性を見てほっとした。でもやはりお気に入りのシルクハット帽をかぶっている。このころになると女性のことを恋愛とせず、姉弟のような関係に思えた。ところが子育ては忙しい。天真爛漫な赤子は、epiと違い自由気ままに大声で泣く。夜泣きと称する状況に疲れ果てた女性は、いつしかepiへの関心が薄らいでいった。
「仕方がない。姉さんも大変なんだ」epiはそう思ったが、もう女性はepiにかつてのような愛情を注いでくれない。すべては赤子にのみ。

 それだけならまだ良かった。問題は男の方。彼もまた女性が子育てで手いっぱいのためか、相手にしてもらえなくなっている。どうやらそれがストレスとなり、epiに対して悪戯をするようになった。殴る蹴るこそはないが、脅かしたり、わざと通行の妨げをするなどして、嫌がらせをする。この前など、あろうことかこの男は、面白がって酒を飲ませようとしたのだ。
 epiはそのときは命の保証がないと思った。人間と違い猫にはアルコール分解能力がない。少量でも一歩間違えれば死に至るという。epiはほんの少し酒を舐めさせられただけで逃げたが、そのあとはひどい酔いと頭痛に苦しんだ。

 そんなことで、彼にとって居候生活との決別を決断するに至る。
「ん? お、あれはアイツ帽子とマントだ」epiは玄関に置いていた、黒いシルクハットとマントを見つけた。実は人間界では間もなくハロウィン。男が仮装用にどこかの店で買ってきたもの。「これで俺は今年ドラキュラにでもなろうかな。ヘエッヘヘヘヘ」と酒を飲みながら笑っている。

「あいつには散々な目にあった。よし嫌がらせでもらっていくぜ」epiはそう思うと前足を起用に使い、シルクハットを頭に、そして背中にマントをのせた。そして玄関から出て行った。

 マントは結んでいない。だからマントはすぐに体から道端に落ちた。だがepiは気にせず。「この帽子とやらだけでいい。姉さんがいつも頭にかぶっていたな。そうかこういう感覚なのか」とつぶやいたまま、夜道をどこかに去っていく。epiは帽子に5年間世話になった姉さんの思い出と重ね合わせた。

 ところでepiのかぶった帽子は男のハロウィン用ではない。子供のおもちゃとして、あるヌイグルミがかぶっていた、シルクハットとマントであることを最後に付け加えておこう。



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