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芝居のはずだったのに 第686話・12.9

「ねえ、本当に大丈夫?」「姫、心配されまするな。この茶色の壁を越えれば外。この私が、姫を救出する前にこの城の隅から調べつくしましたゆえ、ご安心を」「でも、相手は必ず私を捕らえに」
 王冠を頭に、赤いマントを羽織っておびえる姫は、救出に来た黒服の男の左手をつかんでいる。男は注意深く視線を前に置いた。
「ご安心ください。俺はこう見えても町一番の剣術師。どんな奴が来ても一思いに成敗してくれるわ!」
 豪快に語りながら、自信ありげの男。だが敵はそれよりも一枚上手であった。

「あ!」大きな銃弾の音と共に、男の腹が赤い血で染まってしまう。「し、しまった」男はその場で苦しそうにしゃがみ込む。「きゃあー」思わず姫の悲鳴。「ひ、姫、だ、大丈夫です。早く、そこから飛び降りてください。この隙間の先は海。海に飛び込めば逃げるチャンスがあります。
「で、でも」「俺のことはほっておいてください。最後の力を振り絞って敵をひきつけます。さ、は、早く」
 姫は目に涙を浮かべながらも、男の言う通り、茶色の隙間から海に飛び込んだ。
 それを眺める男「そ、それでいいんだ。ひめ、い、生き延びてください」とまで言うと、男はその場で倒れこみ絶命した。

ーーーーーーー
 静まりかえった劇場。満員に近い観客席が見つめる中、照明が落とされ幕が静かに下がっていく。これはある演劇の舞台。芝居がこれで終わるのではなく、一幕が終わった瞬間だ。すべての幕が閉じると、それまで倒れこんでいた男はゆっくりと起き上がる。
「さ、俺の出番は終わりだ」幕から楽屋に向かった。男優はちょうどっ先ほどまで一緒に演じていた姫役の女優と楽屋に向かう廊下で出会う。
「お疲れさまでした。さすがの名演技ですね」「いやいや、僕は今回は脇役ですから」
 男は謙遜した。この芝居では男は脇役。この後主役が出てきて新しい展開を迎えることとなっていた。姫役の女優は、ヒロインとしてこの後も登場するが、しばらくは出番がない。
「今からの第二幕では私の出番はなく、次は三幕だからあと15分は出番なしね。少しそこで休憩しません」「おい、大丈夫か?君はそんなことして緊張の糸が切れないのか」
「大丈夫ですよ。むしろ気分転換をした方が、私はよい演技ができますから」と余裕の笑顔。「今の若い女優さんはすごいなあ」男優は思わず苦笑い。ということでふたりは着替えることなく、楽屋が並ぶ部屋の隣にある喫煙所に向かった。
「ふう、やっぱり演じた後の一服はいいなあ」煙草に火をつけて口から煙を吸った男優は目をつぶり、リラックスした表情。
「私はやめておきます」女優もスモーカーだがここでは吸わない。「おい、いいのかい?僕だけ吸って」「いいわ、私はあなたの煙草の煙を代わりに吸わせてもらいますね」と笑う女優。男優は女優の言葉にどういうリアクションをしてよいかわからぬままもう一度煙草をくわえた。

 ここで突然大きな音が聞こえた。「え、何?」「ここまで舞台の音が聞こえるはずは」男優はいったん灰皿に煙草の先を押し付けて火を消した。すると、今度は突然停電になる。「え、ちょっと」そして部屋中に鳴り響く火災報知機の音。
「え、火災」「いや、煙は出ていないが」ふたりの表情は変わった。

 その後あちらこちらで悲鳴らしき声が何度か聞こえる。「な、なに」「こんなシーンは、まさか事件か事故に」「ええ、ちょっと。マネージャーは?」
 女優は楽屋に戻ろとするが、ここで楽屋方向から白煙が廊下を覆いつくしていて、こっちに向かっている。「やばい火事だ! 楽屋の方は危険だ。外に出よう」「あ、はい」
 お互い衣装を着たまま。舞台上と同じ設定になってしまう。マント姿の女優はおびえながら、男優の腕をつかむ。男優はなぜか芝居の時に持っていた模造の刀を持ったまま前進した。

「誰もいないのに、演じているみたいね」おびえながらも女優にはまだ例える余裕がある。「何言ってるんだ! 舞台の方がどれだけ楽か」男優の目は真剣だ。後ろからの白煙はゆっくりとふたりに近づいている。「急がないと煙が」「ああ、それにしても停電だからな。スマホとか楽屋に置いたままだし。もう、休憩したのを後悔するぜ」
 男優はゆっくりとすり足で前に進む。暗くて視界が悪いのと、不気味すぎるほど静かな建物内。煙を確認してから全く声が無くなった。あれだけ多くいた観客や他の役者、スタッフたちはいったいどこに行ったのか? もう建物の外に逃げてしまって、建物内にはふたりしかいないのかもしれない。

「ちょ、ちょっと」女優が恐る恐る後ろを向くと、もう4・5メートル先に煙が来ていた。煙の先は全く何も見えない。「う、ゴホッ」すでににおいが鼻を襲ったのか?それで咳込む女優。男優は慎重ながらも歩足を少しずつ早める。
「あ、あれだ。非常口、よし行くぞ」「ご、ゴホッ、でもあそこの外って」「そっか、ここは3階か、これ飛び降りないといけないかもな」「ちょ、チョット。私衣装を着たまま」「それは俺だって、でもほかに逃げ場はない。行くぞ」

 ふたりはついに非常口のドアの前にきた。もう煙はふたりをゆっくりと包もうとしている。「く、鍵か?クソッかかってやがる」男優は何度もドアノブを回すが回らない。「これかしら」ここで女優は前に出てきた。ドアノブの下にある内鍵を発見。それを回すとドアノブが動き、ドアが開いた。「よし飛び降りるぞ!」「キャー」男優が勢いよくジャンプ! 女優は男優の腕をつかんだまま続いた。

ーーーーーーー

「ハイ、カット」大きな男性の声。「お疲れさまでした。OKです」実は映画監督の声。そうこれは映画であった。芝居の幕の合間に休憩をしている男女の俳優が突然の白煙に襲われて、非常ドアから逃げるシーンを撮影していたのだ。

「今日はここまでです。長時間お疲れさまでした。明日は正午に集合予定です」こういって監督以下スタッフは立ち上がり、この日の撮影が終わった。
「お疲れさまでした。私たち息があってますわね」と女優。「まあな。そうだ、この後時間は」「え、特に何もないですが」「ちょっと一杯吸っていくか」と男優は煙草を口にくわえて女優を誘う。

「ごめん、やめておきます。なんとなく嫌な気分なの。また同じこと繰り返しそうだから」と言って女優は断ると、衣装を着替えに帰って行った。
「なんだよ。ビビりだなあ。そんなわけないだろうに」男はひとり現場の喫煙室に入って煙草を吸う。「本当のプライベートの一服は格別だ」芝居の時同様目をつぶって煙草の煙を肺から体中にしみ込ませる。
 すると突然大きな音がしたかと思うと、本当に停電になった。「ま、マジか!」ひとり残された男優の顔色が変わったのは言うまでもない。



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シリーズ 日々掌編短編小説 686/1000

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