見出し画像

上席の5人は海苔と抹茶がお好き

「あ、懐かしい写真が出てきた!」
 ピンクのワンピース姿の田中ひとみは、嬉しそうにそばにいた黒いTシャツ姿の山田和夫に声をかける。
「お、それは君と初めてデートしたときの、マレーシア・ペナン島の写真じゃないか!」「あのときはデートと言うより、一応私が在住者として島の案内することになっていたのね」
 ひとみが見つけた写真に視線を合わせて懐かしむ和夫。「懐かしいな。俺が平成から令和に変わるタイミングで、ペナン島に来て出会ったんだもんな」

「でも、あの後和夫君と付き合うようになって、しばらく遠距離恋愛だったけど、昨年1月に私がシンガポール勤務なったタイミングで、寿司職人目指して来るなんて、すごい行動力!」
 和夫は歯を見せながら、手を頭の後ろに置いてちょっと照れ臭そうに、視線を外す。代わりに視線に入ったのは部屋の天井。ここには南国らしく、大きなファンがゆっくりと回転していた。

「いやぁ、我ながら思い切ったもんだ。シンガポールの事業に成功したボスの先輩がいたとはいえ。でもずっとひとみちゃんに会いたかったから」
「もう、和夫君!」瞳は顔を赤くして両手で顔を隠す。
「だってメッセージや画面ごしじゃ。と思ってきたけど、その後が... ...」

「まあねえ。それはどの国にいても同じよ。今はどこも大変。でもこれ、いつ終息するんだろう」ひとみは大きなため息をつく。
「本当だよ。でもさ俺があと1か月、日本のオフィスをやめるのが遅れたら、こうやってシンガポールで会えずじまいだったな」
「ちょっと、和夫君それはやめて!」思わず大声を出すひとみ。

「日本のオフィスか。もうやめて一年以上かあ」和夫は再び視線をファンの方向に向ける。今日は天気が良く、ファンの横にある窓から強力な日差しが差し込んでいる。

「そうだ和夫君、日本のオフィスのころに面白いエピソードとかない?」「あ、あるけど、そんな大したことは」和夫は出し渋るように頭を下に首をかしげる。

「いいわよ。何でもいいから聞かせて! 私日本ではほとんど働いたことがないから、ちょっと気になる」   
 ひとみにせがまれるように和夫は、頭を斜め上にあげて、三度視線を天井方向に置きながら日本にいたときの記憶を蘇らせる。

「俺のいた職場はビルの1階にあったんだ」「えっと窓口業務よね」「そう。ユーザーさんが見える位置に事務所だよ」
「なんとなく珍しいわね」
「そういう仕事だったからな。大きな廊下ようなところに、問い合わせに来るユーザーの人が座れるようになっている。
 それで番号順にユーザーの人が窓口に来て、その都度手の空いたものが窓口で応対したな。あそこ確か10くらいの窓口があったんじゃないかな」
「結構大きいオフィスね」「ああフロアには100人くらいはいたかな。一応部署が別々で4つの課があったんだ。それで中央の奥、窓際の席にひときわ大きなデスクがあって、そこには鈴木部長が陣取ってた」
「じゃあ、ユーザーの人から」「ああ、見えなくはないと思う。でもだれも部長見に来たわけじゃないだろうけど」
 ひとみはいきなり意外性のあるオフィスの話になったためか、興味がますます湧いてくる。和夫の話は続いた。
「その部長の左右に、直接の部下が4人並んでいたんだ」「課長さんね」「うん、でも全員が同じ地位では無かったよ。部長の右横にいるのは1課・課長を兼任している佐藤次長。逆に左横には、2課の大山上級課長。そのさらに左横には3課担当の山本課長がいた」
「次長は知っているけど上級課長って何?」
「同じ課長でも俺のいた職場には、上級課長と普通の課長がいたね。それから次長の左隣に4課の課長がいた。でもその人まだ課長ではなく、課長代理だったんだ」

「課長代理、課長、上級課長か、日本の役職って複雑ね」「俺のところが特殊だったんだと思う。でも彼ら普段仕事しているのかと思うほど、暇そうにデスクに座っているんだ。かと思えば、突然立ち上がってウロウロしていたな」

「管理職なんて何か大きなトラブルでもなければ暇そうね。雑務は周りの人がやるんでしょ」「ああ、でも彼らのほうが給料いいからな」
「ふうん。で、それだけ」ひとみは、つまらなそうな表情になっている。

「いや、その上席連中に関する面白いエピソードを思い出した。あれは、ちょうど2年前になるのかな。一昨年の2月6日。海苔の日と抹茶の日という記念日があるらしくて、それが関係したのかな。こんな感じだったんだ」

「鈴木部長、今度のA社への進物について相談が」
「佐藤君、それは君に任せたじゃないか。私は最終承認だけだ。決まってから改めて呼びたまえ」憮然と言い放つ部長に一礼した佐藤次長は、そのまま自分の席とは反対側にいる大山上級課長のところに言く。
「あ、次長」「大山君、さっきの進物の件だけど、部長は承認だけなさる。だから俺たちで決めなくてはならない」「はい」
「お前は海苔と抹茶なら、どちらが進物としてよいと思う」「うーん、次長それは難しい。海苔のほうが料理とかに使えそうだけど。抹茶のほうがなんとなく高級感ありますね」「そうか、大山君。これ難しいか」
「で、次長はどちらが」「俺はどっちでも良いと思う。だから大山君が決めておいてくれ。わかったな」

 佐藤次長はそう言うと、自分の席に戻る。大山上級課長は、小さくため息をつき首を少しかしげて、隣にいる山本課長に視線を置く。
「おい、山本君。今聞いたよな」「はい、上級課長。これ確かに難しいですね。海苔と抹茶うーん」「どう思う、やっぱ難しいなあ」
「私ならばどっちも好きですね」「おう、そうか。俺も海苔と抹茶両方好きだ。よしここは君の意見に従おう」
 しかし山本は慌てて首を横に振る。
「え、いや、A社は創業以来の重要顧客です。これで万一粗相があった場合、私では荷が重く責任取れません。ここは上級課長の直感でいかがですか」
「俺の直感ね。ふう、わかった」

 大山上級課長は、鈴木部長の前を過ぎて佐藤次長のほうに行くと「次長!」「うん、決まったか?」「いえ、相手は重要顧客です。責任問題になったらいけませんので、私では手に負えません。次長の直感でお願いします」
「はあ?」「ちなみ次長は海苔と抹茶は?」
「ああ、どっちも好きだが... ... ああ、もう!」次長は渋い表情で席を立つと、部長の前に来て「部長、その、え、組織の責任者としてですね」

「おい! さっきから君たちが目の前でウロウロしているからわかってる。直感で決めろだろ。ったく、誰も決められないのか。しょうがねえな」
「部長は海苔と抹茶、どちらが?」
「は? どっちも好きだ。そんな話ではない。つまらん管理者たちだ。ならば一般社員のほうが。お、おい、さっきから仕事せずにこっちを見ている山田。お前どう思う?」

「ということで部長から直接、海苔と抹茶のどちらが進物がいいかって聞かれた」「大変ね。で、どうしたの」
「もう直感だよ。それで海苔」「海苔にしたの」
 和夫は首を横にして「じゃなくて『海苔と抹茶の詰め合わせ』っていった」「え! ああ、そうかあ両方ね」

「そしたら、部長も次長も上級課長もみんなにこやかになって、こっちを向くんだ。
『おお、詰め合わせか。君、いいね』
『部長やっぱり若い者は決断力が』
『次長のおっしゃる通りです。我が2課に所属しております、山田君の意見がよろしいかと』 『上級課長、もちろん私は依存ありません』
となって、海苔と抹茶の詰め合わせで決まりだって」

「ア、ハハハ!」瞳は思わず笑う「それ、なんかコント見たい。私はずっとリモートワークばっかだから、オフィスの組織の人って、お、面白い!」「ほんとそう。あ、でも通常の業務は、暇そうだけどみんなしっかりしてるよ。これは多分、重要顧客にみんなビビってただけだったから」

「でも和夫君も仕事せずに、5人の上席たちの会話ずっと和夫君聞いてたんだ」「え、あ、いあぁ、もう夕方の終業前だから。あ、それから4人の上席ね」「あれ、さっき5人て」

「うん、4課の課長代理でしょ。あの人ここには参加してないから」
「え、なんかかわいそう」「いや、その中では一番下だし。ほんとまじめだったんだ。田中課長代理は。だからAIロボットっていう噂」

「AIロボット! そんな上司いたの。それに田中って私の苗字じゃん」ひとみの驚きように、思わず和夫が噴き出す。

「プッハハア! ひとみちゃん、それはあくまで噂。みんながこっそり付けたあだ名が『AI』だけどね。海苔と抹茶の話題にも首出さないし、忘年会とかそう言うのにも基本出席しなかった」
「へえ、でもその人抹茶と海苔好きかしら」ひとみは手を口元において考えるそぶり。
「ひとみちゃん、多分課長代理が一番好きだ!」「え? そうなの」「だって、いつもお昼弁当持参だけど、いつも海苔弁食べてるし。『やっぱ抹茶だなあ』ていう独り言、なんども聞いたから」
「それなのに仲間外れか。ちょっとかわいそう」「でもさ、実はその課長代理からヒント教えてもらったんだ。だから部長の前で即答で来た」
「ヒント?」
「その日のお昼休みに、その人がつぶやいていたんだ。『迷ったら詰め合わせかな』って」

「へえ、すごい課長代理! やっぱり苗字が田中だからかな」和夫はそれには答えない。ただ懐かしい日本の生活を思い出して、ひとり懐かしく微笑む。

----

「そうだ。思い出した」数秒後に和夫が何かを思い出すとm立ち上がって部屋に行き、2分後に戻ってきた。
「ほら、海苔と抹茶。寿司屋のボスが賞味期限切れかけているからって、昨日くれたんだ」と言ってひとみ見せる海苔と抹茶の詰め合わせ。

「おっと、この話でぐっとタイミングね。じゃあ今夜はこれで日本料理作ろうか」と、笑顔になるひとみであった。


新しい電子書籍「ペナン島のノート 父の足跡を追って見つけた物」が発行されました。

 今回の小説で登場した山田和夫と田中ひとみの出会いを描いた物語です。平成から令和にかけてのマレーシアペナン島が主な舞台。これはどこにも公開していないオリジナル作品です。読み放題の設定になっていますので、ぜひご覧ください。


こちら伴走中:24日目

※次の企画募集中
 ↓ 

皆さんの画像をお借りします



※こちらから「旅野そよかぜ」の電子書籍が選べます

https://www.amazon.co.jp/s?i=digital-text&rh=p_27%3A%E6%97%85%E9%87%8E%E3%81%9D%E3%82%88%E3%81%8B%E3%81%9C

ーーーーーーーーーーーーーーー
シリーズ 日々掌編短編小説 382

#小説 #掌編 #短編 #短編小説 #掌編小説 #ショートショート #30日noteマラソン #上席 #海苔の日 #抹茶の日 #和夫とひとみ

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?