Kiki

日々ぼんやりと思うこと、浮かんだ想い、不意にでたフレーズを、つかまえて形にしています。…

Kiki

日々ぼんやりと思うこと、浮かんだ想い、不意にでたフレーズを、つかまえて形にしています。好きなこと : 歌うこと、旅をすること、花と空。

最近の記事

直感が冴える

直感が冴えることが増えた。そういう時は往々にして自分の利益や願望、物事の善悪がない状態で起こる。急にビジョンが見えたり、アイデアや言葉が降りてくる。 そんな話をしたら「自分がそぎ落ちたから見えるんじゃない?」と言われた。なるほど。なるほど。 以前、いわゆる”スピリチュアル”に憧れて、南の島のオカルトなアシュラムにまで行って占い師になろうとした(厳密にいうとちょっとだけなった)。修行中は、朝4時に起きて砂浜で瞑想、朝焼けを見ながら身体を海で清めた、半年。リチュアル(儀式)で燃え

    • 条件で検索しないマッチングアプリとかないのかね

      条件で相手を探してもうまくいかないですよね。 背が高い、年収○万円以上、学歴、職種、海外経験があるとか、○○やってますとか、趣味が一緒とかそういうのって、結局関係ないんだわ。 環境が人を作る、経験が人を成長させるというのはわかる。けれど、成長度合いや認識の範囲や方向性ってその人次第。条件で人を選ぶと、その条件が崩れた時にショックを受ける。勝手に期待しちゃってるんだろうね。お互いに。 それでも繋がる時は繋がるもので、その人の居住いとか雰囲気とか、文章ならその行間に惹かれるし、言

      • ”最高の自分”という概念に思う

        2023年、意気込んでMacを購入したので、ほったらかしにしていたnoteを再開してみる。 過去記事を見たらタイトルが連続して「自分」という単語から始まっており、昨年はひたすらに「自分とは何か」という問いをしていたことを思い出した。 この問いに対してとりあえずの答えが出たのが2ヶ月ほど前。 答えが出たというより、考えるのは無駄だと分かった。「自分」そのものに対してどうこういうこと自体、その問いを問いせしめている元であり、一旦離れて外から「自分」を感知した時、そんなことはどうで

        • 自由に生きたい♪って思ってた!

          ずっとずっと、自由に生きたいって思ってきました。 みなさんも、そう思いませんか? でも私、会社辞めても、海外旅しても、なんか、思ったのと違う、、! こういうんじゃない! って毎回、思ってきたんです。 結局、再び就職して数年仕事がんばってきました。 そしたら、なんか、わかったかもしれません。 それは、 自分が枠の中で、自由を求めてたってこと。 この社会で「自由な暮らし」をしている人たちを自由だと思い込んで(お金もちとかノマドワーカーとか) それが羨ましかった

        直感が冴える

          自分がやりたいことってなんだろう

          昔から、自分はこの人生で何をしたいんだろう、使命といわれるものがあるならば、なんだろうと思っていました。 一度社会人になったけれど、違和感から会社を辞めて海外へ行って旅をしたり、南の島で半年ほどオカルトチックな場所で過ごしたりしました。 それなりの経験はできたけれど、どこに行っても何をしても、納得のいく答えには辿り着けませんでした。 考えすぎてよくわからなくなって、ここ数年はとにかく目の前のことをひたすらやるというフェーズに入っていました。 それで気づいたのが、社会が

          自分がやりたいことってなんだろう

          自分の言葉で定義づける

          あなた自身の世界観を構築するために、言葉の一つひとつを自分の言葉で定義づけるといいよと言われた。 確かにそう考えると、私たちのコミュニケーションは共通とされている言語の概念を通してなされているけれど、一人ひとりが正確に全ての言葉の意味をとらえてはいないだろうし、全く同じ認識で言葉を理解し、使っているわけでもない。 それでも対話を重ね、空気感を通してやりとりをしているのだからある意味お見事だけれど。。 でも、じゃあ自分の中での思想、哲学を持とうとする時、借り物の言葉を連ね

          自分の言葉で定義づける

          囚われごっこ

          自分の内側、見えない世界、精神世界を旅して、 実際に一人で海外にも行って、 何かわかったことがあったかといえば、 「答えはない」ということかもしれない。 人と同じことをしたくない、という社会への反抗は誰よりも他者を意識してのことであったし、 どこかで正解を求めていたのも、何かすごい存在に”Yes!”といってもらいたかったのだと思う。 自由を叫んでいる割に、枠の中で、枠があるからこその制約を ある意味楽しんでいた、囚われごっこをしていたのかもしれない。 そんなこ

          囚われごっこ

          正しさからの解放

          幼少期から自由奔放な私はいつも、正しさにやられてきた。 その度に正面から傷ついて、真に受けて、その自由さに蓋をするようになっていった。 大人になってからも、調子に乗って私らしさを出すと大体怒られる。 でも、それもだんだん質の違いがわかってきた。 自由を履き違えなければ、私はもっと自由であっていい。 自分勝手なわがままからくるものかどうかちゃんと吟味して、 その上で、本質からくる自由さは、どんどん解放していっていい。 ありのまま。本質。そういった部分を解放していく

          正しさからの解放

          二極性の反応

          よく“自分はこう在りたいな”とか“これが好きだな”と思うことがある。それはいいことだと当たり前に感じていたし、自分をより自由にするために大切だとさえ思っていた。 でも。自分の望む在り方や振る舞いと、全く反対の人たちに遭遇すると腹ただしくなったり、気付かぬうちに拒絶していたのだ。その原因は、長年に渡って染み付いた極性の思考のためだった。 例えば、”人に親切にしたい“と思っているとすると、自分にとって不親切にされた時やそういう場面に出くわすと、”この人は間違っている!”と言い

          二極性の反応

          花の盛り

           花が好きで、よく通勤路で花壇などの花を見ている。そうすると、本当に目に眩しく飛び込んでくる花がいる。花の盛りってこのことなんだなと思う。蛍光色のような鮮明さで、浮立って見える。 そんな瞬間に出会えると「わあ〜!」と感動するし、「今輝いてるあなたを、私は見てるよ!」と全力で言いたくなる。同じ花でも、数日すると見え方が変わってきて、今度は別の花が飛び込んでくるからおもしろい。 盛りだけが綺麗で、いいわけじゃない。でも、いつも見ている植物の最高潮に出会えたことが、過程を知る身

          花の盛り

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          花の盛りを見る

          花の盛りを見る

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          【写真】4〜5月の花たち

          【写真】4〜5月の花たち

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          【写真】スペイン巡礼中に撮った道の写真。

          【写真】スペイン巡礼中に撮った道の写真。

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          【写真】スペイン巡礼中の花、植物。

          【写真】スペイン巡礼中の花、植物。

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