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”最高の自分”という概念に思う

2023年、意気込んでMacを購入したので、ほったらかしにしていたnoteを再開してみる。
過去記事を見たらタイトルが連続して「自分」という単語から始まっており、昨年はひたすらに「自分とは何か」という問いをしていたことを思い出した。
この問いに対してとりあえずの答えが出たのが2ヶ月ほど前。
答えが出たというより、考えるのは無駄だと分かった。「自分」そのものに対してどうこういうこと自体、その問いを問いせしめている元であり、一旦離れて外から「自分」を感知した時、そんなことはどうでもいいものなのだと分かった。
「最高の自分になりたい」「理想の自分はこうあるべき」みたいな目標、願望のなんと空回りなことか。なんと虚しいことか。足りない足りない、そんなはずはないの繰り返し。今の私を受け入れて、今に感謝して、理想を思い描いて、そんなことも忘れるくらい今を生きて手放せたら、引き寄せられるのよなんていうスピリチュアルあるあるから距離を置いてみると、ああ、そういうものにハマって振り回されて、ドラマを楽しんでいたんだなと思う。
今の自分が全てわかっていて過去の自分がバカだったといいたいわけではなくて、そういうものがあった、というだけ。ただ、そういう段階から今は違うフェーズに入ったんだなと感じるということ。
なんだか、そういう感じ。



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