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わたしやかぞくのはなし

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わたしやわたしをとりまく家族たちの話です。
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#思い出

岬にて、なみだはかわく

メモリーが限界まで達すると 私は自分がよくわからずに 涙を流し、姿を隠した。 それは場所や時間を選ばない。 1人の場合はただひっそりとしていればいい。 しかしその日は 専門学校の授業中だった。 私はロッカールームでひとりしゃがんで床に座り込みぼんやりとしていた。 わからない わからない どうしたらいいのかわからない 私がわからない 相手もわからない 何がわからないのかも わからない。 世界が複雑すぎる! ひんやりとした白いビニールの床から ゆっくりと

キャラメルとオブラート

潮の香り。 引き戸の玄関をガラガラと開ける。 石段が2段あって、下りると目の前には右側にコンクリートの塀があり、その中にある2階建てのベランダにはそよ風に揺られて洗濯物のシーツがゆらゆらと軽やかに踊っている。 左側には雰囲気のある日本家屋が静かにたたずんでいて、その隣は昔は旅館だった細長い家屋が続いている。 左右の家の間にはアスファルトの細い道が続いていて、その先に海が見えた。 私の街の港には商船がたくさん停まっているので、〇〇丸のように大きな文字が書かれた船が停泊してい

彼女の傷はばんそうこうの中にかくしている

あれ……? と思ったのは、評価学の授業の時だった。 私はまだその頃はリハビリテーションの専門学校の学生で 「評価学」というのは、関節の固さ、筋力、感覚、バランス、反射、高次脳機能といった、患者さんなどの対象者に起きた困りごとや困難感の一因を探るような、身体機能を確認するアセスメントの技術を学ぶ授業である。 その日の授業は、筋力のテストをお互いに実技を交えて確認するものだった。二人一組で検査する役と患者役を交代しながら、体を接近しながらクラスメイトと技術を確認していく。

2011.3.11のあの日

6分前の14時40分。 そのあたりから気づいたら会議は始まっていた。 会議のメンバーは、これから退院を控えた患者さん、ケアマネージャー、ソーシャルワーカー、看護師、リハ担当のPT、そしてリハ担当のOTである私。 ソーシャルワーカー主体で話が進行していた。 私たち病院スタッフは、今までの入院生活の様子を各コメディカルの目線から伝え、そしてそこから患者さんの退院後の生活を皆で話し合う。 話し合いの場は患者さんの病室。8人部屋の多床室で患者さんのベットを囲むように私たちは向か

晴れた日の観覧車と息子

まさかのスキ制限がかかってしょぼくれている場合ではないと、何か書いてみることにする。 誰かが観覧車の記事を書いていたので、私も観覧車の思い出でも書こうかなと思う。 小さい物から大きい物まで今までの人生でいろいろな観覧車に乗ったが、あの日乗った観覧車を私は忘れることができないと思う。 *** あれは今から7~8年前のある晴れた土曜日のことだった。 私達家族は、ある遊園地に訪れていた。 群馬県の渋川スカイランドパークで、日本海側に住んでいる友達家族と待ち合わせをして、

シネマノスタルジア【愛すべき映写技師のおっちゃんたち】

しばらくお待たせしていました。 またこのシリーズをそろりそろりと再開したいと思います。 前回まではこちらをどうぞ。 今回は4回目になります。 今日は予告していた「映写技師さん」たちのお話です。 私が勤めていた映画館の映写技師さんは2人いらっしゃいました。お2人ともおじちゃんです。 お2人は主にB館とC館のフィルムの装填や上映のつなぎ操作を行なっておりました。 A館は当時の最新の映写機だったので、私たちアルバイトでも操作できるし、専務も常駐していたので、お2人は時々ハプ

シネマノスタルジア【本日の売り上げ−560円の日】

前回から、私がアルバイトをしていた映画館の話をしております。 今日は、アルバイトの仕事内容について具体的にお話ししていきます。気軽にお読みくださいね。 アルバイト従業員の仕事朝の出勤時間はゆっくりでした。 映画が上映されるのが、早くて大体午前中の10時頃なので、その1時間前にくればいいよと専務(経営者)に言われていました。 映画館は、私の実家のすぐ近くにあったので(自転車で2〜3分)かなり余裕を持って家から映画館に向かっていました。 映画館に着くと、専務か、映写技師さ

シネマノスタルジア【私が毎日映画館で過ごしたあの日々】

シネマノスタルジアといえば 久石譲さんのこの曲ですね。 私はこの歌が流れてくる金曜日の夜がたまらなく好きでした。 この映画がはじまる瞬間というのは、いつになっても、年を重ねても、何の映画のはじまりでも、心がわくわく躍るような気持ちになります。 アクター達が日常と非日常のあいだを鮮やかに演じる時のあの表情やあの立ち振る舞い、あの仕草。 心を震わすセリフが訪れるあの瞬間。 バックミュージックがさりげなく気持ちを昂らせて、思わず息を呑んでしまうあの演出。 映画館で映画を

赤シソジュースへの衝動

赤シソのジュースが飲みたい! 私は先週位から、赤シソのジュースに取りつかれていた。 この時期になると思いだす。赤シソのジュース。 私は人生で1度しか飲んだことがない。 思い出があるからこそ近寄りがたかった赤シソのジュース。 (思い出についてはいずれ書くかもしれないし書かないかもしれない。何とも難しい問題なのだ。) レシピは検索した。 赤シソも買った。 あとはやるだけだ。 購入した赤シソを洗う そして3リットルのお湯でゆがく 茎などは下処理をしなくてもいいと

ナナはお山にかえったよ

小さい頃から動物が好きだった。 幼い頃の私が、動物が好きなことは、家族全員が知っていた。 私は長女であり、母方の家の初孫でもあったから、みんなにとっての「はじめての子ども」だった。 私の親やおじさん、祖父母は、そんな私の喜ぶ顔を見たくて、いろいろな動物をかってきてくれた。 ある時は犬、ある時はひよこ(ちゃんとにわとりになった)、ある時はカブトムシ(これは虫だけど)おたまじゃくし(ちゃんとカエルになった)金魚・・・うさぎを飼ったのはたぶん、私が幼稚園の頃だったと思う。

トラバーチンを眺めていた

私は幼い頃から気管支喘息を患っていた。 最近skyfishさんの記事を読んで、このことをふと思い出した。 彼女は大人になってから、喘息を患った。この記事は猫のチーちゃんとお別れしなければならない過程を描いたお話だ。読んでいると切なくなる。 病と言うのは、おそらく、その人の人格形成にかなり影響を及ぼしているのではないか。 病によって制限されるもの、できないこと、普通じゃないこと、我慢しなければならないことがたくさんある。そして病をもつ人を取り巻く人たちもきっと同様で、制