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ナナはお山にかえったよ

小さい頃から動物が好きだった。

幼い頃の私が、動物が好きなことは、家族全員が知っていた。
私は長女であり、母方の家の初孫でもあったから、みんなにとっての「はじめての子ども」だった。

私の親やおじさん、祖父母は、そんな私の喜ぶ顔を見たくて、いろいろな動物をかってきてくれた。

ある時は犬、ある時はひよこ(ちゃんとにわとりになった)、ある時はカブトムシ(これは虫だけど)おたまじゃくし(ちゃんとカエルになった)金魚・・・うさぎを飼ったのはたぶん、私が幼稚園の頃だったと思う。

うさぎは「ナナ」と名付けた。

なんでその名前にしたかは覚えていない。

ナナを誰が買ってきたかも覚えていない。

人間の記憶なんて、本当にいい加減なものだ。


でも私はナナの毛色は覚えている。
ナナは白い毛並みをしていた。


触るとふわふわとしていて、まるでタンポポの綿毛のようだった。
私はその感触が好きで、力加減を調節しながら、指を皮膚にそわせる。
指はナナの毛に少し埋もれるが、完全に見えない訳ではなく、白とペールオレンジのコントラストになる。指を滑らせると毛が波うつ。やわらかい毛並みは寝ている時は触りやすいが、ナナが起きている時は動いてしまう。だからいつも私は眠っている時をねらって触れていた。

目は赤い色だった。

くりくりとした緋色のビー玉のようで、じっと見つめていると本当にビー玉のように見えてくるから、落っこちてしまわないか心配になった。

えさをあげる時は鼻をひくひくさせて、キャベツなどをむしゃむしゃ食べていた。食べる時は大人しくなる。けれども「食べている時はあまり触っちゃだめだよ。」と親だか祖父母だかに言われたので、私はそのいいつけを守って食事タイムをよく眺めていた。

時折祖母は、ナナをベランダに出して、日光浴をさせていた。飼っていた自宅の家のベランダは2階にあり、隣のお家の柿の木が良く見えた。ベランダの屋根はなみなみのトタンのような素材で、広さは2~3畳くらい。そこで、ぴょこぴょことナナは日差しをうけながら気持ちよさそうにはねていた。私はその光景を今でも覚えている。


そんなうさぎのナナはある日突然、私の前から姿を消した。


私はナナがいないことに気づき、母親に「ナナがいないよ」と聞いてみた。

母親は「ナナはね。お山にかえったんだよ。」と私に話した。

私はうまくその事実が飲み込めなかったが、ナナがいない時間が長くなるにつれて、いないことへの実感がひしひしと沸いてきた。

泣き虫の私は泣いていたと思う。母親や祖母は私を抱きしめて慰めてくれた。

私はナナが山にいるところを想像してみた。「一人でえさがとれるかな」とか「野良犬などにおそわれていないかな」と不安になり、また涙を流した。

それから、何年か経ったある日。
小学校の高学年に上がったころだった。うちの飼い犬と母方の祖父がほぼ同じ時期に亡くなった。

私は人生の中で初めて身近な家族を亡くした。

しばらく学校に行っても、飼い犬とおじいちゃんの事が頭から離れず、教室の窓から青い空を眺めていた。
「死んだらどうなるのだろう」「おじいちゃんや飼い犬はお空の上で私を見守ってくれているのかな」とぼんやりと考えていた。その時、なぜかナナの事を思い出した。

ナナはお山にかえったんだよ。

母のセリフが蘇ってきた。私はその時確信した。
ナナはあの時、何らかの要因できっと亡くなってしまったに違いない。母は我が子を悲しませないように私に「山へかえった」と嘘をついたのだ・・・。愛する子どもへの死や喪失のダメージを和らげるために嘘をついたに違いない。


ナナがお山にのぼっていく。山の向こうはあの世だ。

そんなイメージが私の頭を離れなかった。

私はお山のむこうで、ナナや飼い犬やおじいちゃんが待っているところを想像した。

きっと私が亡くなる時にみんなに会えるんだ。
勝手にそう思いこみながら、愛する人たちとの別れを私なりに納得させて飲み込んでいたように思う。


最近になって母親と久しぶりにナナの話になった。


私ももう大人だ。それほど多くはないけど、大事な人の死も経験してきた。職場でも私と関わった方たちが、長い経過の中で命を終わらせてしまうこともめずらしくはない。

私は今、ナナの真実を聞いてもおそらく動揺しないだろう。

あの時の真実。私は確かめるように母親に聞いてみた。
「ナナはお山にかえったって言ってたけど・・本当はナナが死んじゃったんじゃないかって思ってた。どうなの?」

母は「え?何言ってんの。本当に山へ返したんだよ。

とあっけらかんとした表情で言った。


あれ?私が思ってたことって完全に勘違い?


母は、ナナが凶暴化して、祖母をおそうようになったことが発端となり、本当に山へ放したんだというような事を続けざまに話した。


今まで私が思ってた事って何だったんだろう・・勝手に信じていた母親のやさしさは幻だったのか。

何だか少しがっかりしている私の気持ちを知らない母は「なんでそんな事思ったの。」とケラケラと笑っていた。

でも、私はまさか自分の親や祖母が動物を遺棄するとは想像もしていなかった。(今だったらまずい案件です)
確かに思い出のナナは、洗濯物を干しているおばあちゃんの靴下や足をガジガジと噛んでいたことは何となく思い出せるが・・まさか本当に山に返したとは思ってもみなかった。


何はともあれ、あの時のナナは死ぬこともなく山でしばらく過ごしていたのだ。私の思い出は山を自由に駆け回るナナに書き換えられた。

そして、私はこの時の思い出のイメージが強く残っているせいか、生き物が亡くなる時は山を登っていくような気がしてならない。


そんな、なんてことはないお話でした。おわり。



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