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岬にて、なみだはかわく

メモリーが限界まで達すると


私は自分がよくわからずに

涙を流し、姿を隠した。


それは場所や時間を選ばない。
1人の場合はただひっそりとしていればいい。
しかしその日は
専門学校の授業中だった。

私はロッカールームでひとりしゃがんで床に座り込みぼんやりとしていた。

わからない

わからない

どうしたらいいのかわからない

私がわからない

相手もわからない


何がわからないのかも


わからない。


世界が複雑すぎる!


ひんやりとした白いビニールの床から
ゆっくりと立ち上がり

涙をふいて、ロッカールームを出ると

彼が目の前に立っていた。



「いいよ、さぼろう」

「海へいこう」



窓を開けて風が隙間から入り込んでくる。

緑の田んぼ
一戸建ての民家
曲がったガードレール
遊具がさびた保育園
捨てられた自転車
にごった川
薄らぐ白線
古い蕎麦屋
ねこやハトのいる公園
雲が多い空
小さな郵便局
海猫がとびかう漁港
あさりのラーメン屋


椎名林檎の曲がカーステから流れる。

貴方に降り注ぐものが
譬え雨だろうが運命だろうが
許すことなど出来る訳ない
此の手で必ず守る
側に置いていて

また涙が自然と流れてきた。


彼はこういう時はあまり話さなかった。


私はことばをえらんで

自分を苦しめているものの正体を

説明しようと試みるが

それは全てすべりおちて

かくれんぼするみたいに

おばけのように

どこかにさっといなくなってしまう。


「授業始まったらいないから」

「どうしたかなと思って」

「まあ、いいや。たまにはさぼるのもいいんじゃない」

といつもと変わらない口調で彼は話す。

私はそれを目線を合わさずに

はらした目をふせながら
こくんこくんと小さく頷いた。


少しずつ風に潮の匂いが混じってくる。


彼はいつも、学校がある市から隣の市の岬まで車を走らせてくれた。岬は先が細く細くのびていた。それはまるで三角コーンのように見事に三角の形をしていた。航空写真ではその形がはっきりとわかる。その三角コーンの先端、すなわち岬の先に行くまでは別荘地があったり、大きなプールや民宿、公園、土産物屋と、比較的緑の木が多い空間が続く。

岬の先端にはよくわからない、階段が重なったオブジェのような建物があった。
それが先端に近づくにつれ、どんどん大きく迫ってくる。

駐車場に車を停めた。

私はふぬけた砂浜に打ち上げられたクラゲのように、ただただ所在を無にして、助手席に座り込んでいたが

彼に

「少し海を見ようか」と言われ


のそのそとドアを開けて、車内から降り

砂浜をそろりと歩き出した。


私は砂浜があまり好きではない。

海は好きだが

砂浜の砂の感覚が

あまり足裏に心地よいものではないので

砂浜の中でも割と草が生えているところを選んで進む。


岬には親子連れや
カップル
犬の散歩に来た人
ジェットスキーを楽しむ人
それぞれがそれぞれに
過ごしており

私はまだはれている目をこらしながら

それぞれの姿を見届ける。


オブジェは「明治百年記念展望塔」というもので

私はそんな大層な名前がついた代物とは知らずに

彼につられて登り出す。


錆びていて

風が吹くと容易にゆらめくその足場を

一段一段と上がって

頂上に着く頃は

なんだかもう

いろんなことが

どうでもいい気持ちになって

この目の前の小さな
綺麗でもない湾を眺めながら

また彼と車で学校に戻るのだった。



あの頃。

ことばなんていらなかった。



私はあれから何年も
ことばを探し続けて
手繰り寄せて
なんとか世界を見届けようと
慣れないながらも
こまやかに神経を集中させ
たくさんの人に出会って
たくさんの思いにふれて

なにかをまなざそうと

ここまでやってきたけども。


あの時は確かにことばなんかなくて。



ことばなんかなくても



なにかひとつの

丸くてふんわりとしたような

包まれるような

見えないその彼の心に


確かに生きる力をもらっていたのかもしれない。



仕事で運転していると


時折、あの例の「岬」の近くを通る。



今でもあの岬は
よくわからないオブジェと共に
今日も三角形を保ちながら
また湾を望んでいるのだろうと
変わらぬ姿を想像しながら


私は窓を少しだけ開けて


海風をすいこんだ。








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