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晴れた日の観覧車と息子

まさかのスキ制限がかかってしょぼくれている場合ではないと、何か書いてみることにする。

誰かが観覧車の記事を書いていたので、私も観覧車の思い出でも書こうかなと思う。

小さい物から大きい物まで今までの人生でいろいろな観覧車に乗ったが、あの日乗った観覧車を私は忘れることができないと思う。


***

あれは今から7~8年前のある晴れた土曜日のことだった。

私達家族は、ある遊園地に訪れていた。

群馬県の渋川スカイランドパークで、日本海側に住んでいる友達家族と待ち合わせをして、一緒に遊ぶことになっていたのだ。

季節は春から夏へと変わる時期で、その日は日差しが強かった。渋川市の山合いに位置していたので、私たちは肌寒いことを予想して長袖を着ていた。しかし、半袖Tシャツ姿で過ごすのがちょうど良いくらいで、あまりの季節外れの暑さに、噴水で水浴びをしている子供たちの姿も多く見られた。

初めて訪れた遊園地であったが、規模自体はそれほど大きくなく、未就学児から幼児、乳児が混在している私たち&友人夫婦の子供たちの年齢に対して、ちょうど程よく遊べる雰囲気で私は内心ほっとしていた。

娘はゴーカートに乗ったり、大きな滑り台を滑ったり、お化け屋敷に入ったり、年の近い友人夫婦の息子君と仲良く遊んでいた。満面の笑顔である。

山のふもとでは小さなステージがあり、地元のご当地アイドルが「群馬のキャベツは世界一♪」と歌い踊っていて(今調べたらAKAGIDAN(通称AKG)というアイドルらしい)彼女たちを熱心に撮影する男性たちが集まっていて、夫と友人夫がそんな彼らを面白半分で見つめていた。

友人妻と私はそれぞれ幼い子を連れていたので、マイペースに行動していた。友人たちは専門学校時代からの知り合いで、お互いに気心知れた仲だったから、あまり密に連絡を取りあわなくとも、気持ちが通じて何となく過ごすことができる、私達夫婦にとってはありがたい存在であった。

私は息子と観覧車に乗っていた。

息子はこの頃はおそらく2歳くらいだったと思う。

彼は娘に比べてお話しするのが比較的遅く、おっとりとしていた。

乳児の時もあまり泣くこともなく、夫が車から降りる時に彼の存在を忘れて鍵をかけようとしていた時もあったくらいだ。

やっと拙いことばでスローに話し始めた彼は、少しずつではあるが自己主張もできるようになってきていた。

その日はめずらしく「観覧車に乗りたい」と息子が言ってきたので、夫に断って二人で観覧車に乗り込んだ。

息子が新しいものにチャレンジするのは珍しいことであった。
初めて乗りたいものを伝えてくれた息子に、私は成長を感じ喜んでいた。

段々と観覧車は上昇していく。


息子は景色に夢中だ。


「見て―ママ!」
「ねえね、パパいたよ!」
「ブーブ乗ってる」
「いたいた!」

背伸びをして窓にはりつく

私に見えたものを一生懸命伝えてくれる。

私はそんな様子を嬉しく思い携帯で写真を撮った。

ちょうど頂上に差し掛かる時だった。

地面から離れて、下に見えるアトラクションも家族たちもミニチュア模型のように小さく小さく離れていた。

視線を少し上に向けると緑の森の向こうに渋川の街並みが広がっていた。

知らない街並みに私はふと目を奪われる。

そして、写真を確認するために携帯を見ると、そこには母からのLINEが入っていた。

「おばあちゃんが今しがた亡くなりました。最期は私とお父さんと○○ナースの3人で見送りました。また細かい事が決まったら伝えます。今までありがとね。」


私は不思議とその事実を、そのまま静かに受け入れていた。

祖母が数日のうちに亡くなることは私は何となく予測していた。

そしてそれをわかっていて、私は友人たちとの旅行を選んだ。

なぜなら、私は祖母とあの日
祖母が入所していた施設
なおかつ私が勤めていた施設で
お互いにさよならをしていたからだ。

夕日の差し込むあの病室で
私は確かに祖母と「別れ」をした。

そして祖母が亡くなる時はその場にいなくともいいと
私は思っていた。

何より私の母がその場にいて良かったと心より安堵していた。

私のことを誰よりもかわいがっていた祖母は
私にとって大切な存在で
祖母にとっても私は
きっと特別な存在であったと思う。

私は少しずつ地面が近くなる観覧車にゆられて
隣にいる息子を見つめた。

息子は「ママまた乗りたい」と笑顔で話しかけてきた。

結局私たちは、その日は3回も小さな観覧車に連続で乗った。

私はひたすらはしゃいでいる我が子を見つめていた。


観覧車を降りて夫に祖母の事を報告した。


夫は「ごめんね。おばあちゃんの大事な時に来ちゃって良かったのかな。」と心配してくれた。

私は大丈夫であると話し、みんなの輪の中へ戻った。


祖母は私たちと同じ観覧車を降りただけだ。

今度はきっと違う観覧車に乗って、おそらく頼りない私を見てくれている。

私は今でも祖母の気配を感じるのだ。

そしてまだまだ怒られる気配すらある。

あの日の事を
お友達noterさんとも約束したので
また書いてみたいとも思っている。
長くなったので今日はここまで。



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